崩れる得意顔
翌朝、ゲルダは食堂へ向う伯爵を呼び止め、得意顔で採血キットを手渡した。
「どうぞ、これを鑑定に出して下さい。あの子の血を採るのは本当に気が引けたけれど、申し訳ないと思いながら針をさしたのよ。正直こんな事をしても何の意味も無いと思うわ。何度も私が言った通り、ただあの子があなたの子だと証明されるだけの話ですもの。それに、もう認知はされているのだし。ね? 私がサインしたあの書類は提出したのよね?」
珍しく朝から機嫌の良いゲルダは、昨日運良くアナスタシアの血を手に入れて、問題は解決したと信じて疑わなかった。伯爵も今朝は機嫌が良いらしく、笑顔で返事を返した。
「ああ、これはもう必要無い」
「え?」
ゲルダは意味が分からず、間の抜けた顔で首を傾げた。伯爵はゲルダの反応を面白がり、鼻で笑って先を続けた。
「昨日リックと遊んだ時に私が採血したからな。針を刺した時は驚いていたが、すぐに治癒をかけたから泣く暇も無かったよ。採血キットはすでに昨日の午後早馬で届けさせた。結果はすぐにわかるだろう。君の血も向こうで保管されている事だしな」
ゲルダの笑顔は一瞬の内に剥がれ落ち、考えもしなかった伯爵の言葉に唖然とした。どうにかそれを撤回させる事はできないかと考えをめぐらせて、やっとの思いで捻り出した言葉は支離滅裂なものだった。
「わ、私はそんな事して良いと許可してないわ! それは無効よ! あの子は私の子供なのよ、勝手に私の子を傷つけて血を取るなんて、母親として絶対に許さない!! あなたにそんな事をする権利はないわ! 訴えるわよ」
「何を言っているんだ? 君は王都にリックを連れて行くのは駄目だと言ったが、血を採る事は了承しただろう? 自分の発言には責任を持て。是非そうしてと言ったのは、他でもない君だぞ。それに、君の子供は私の子なのではなかったのか?」
ゲルダは言葉を詰まらせた。あの時なんと言ったかを懸命に思い出す。
「あれは、私がやるならという意味よ。実際、ここに私が用意した物があるんだから、これと交換してよ! あなたが提出したものが本物だって証拠はないでしょ。これは間違いなく本物なんだから」
ゲルダにキットを一つ渡したのは、あーだこーだとゴネられて面倒な事になる前に、採血する事を許可させるのが目的であった。彼女の希望を聞いてやれば、油断するだろうとも考えていた。玩具をひとつ渡しておいて、そちらに意識が集中している隙に、伯爵自ら採血を行った。本物を渡す必要なんて無い。渡した物は伯爵が使用人に見本を見せて作らせた、その辺の石ころがはまっただけの木の切れ端だ。
それに、あれだけゴネていたくせに自信満々で手渡して来たところをみると、十中八九アナスタシアの血を入手したのだろう。メアリの報告で、リックを助けるために怪我をしたのは知っている。その時何かに付着した血液を使ったに違いない。そんな事をしても、ゲルダとアナスタシアに血縁関係は無いのだから、無駄な努力としか言いようが無いのだが。
「うーん、誰が、とは明言しなかったと記憶しているがな。君は後になって自分でやるとは言ったが、自分が採血したものならば提出しても良い。とは言っていないだろう? だから、少しでも早く結果を知りたくて私が採血したのだよ。だいたい、君はさっきからおかしな事を言うね、どちらを提出しても結果は同じだろう? それとも、誰か別人の血でも含ませたのかな? 面白い、これも鑑定に出してみるか。一体誰の血だろうな」
ゲルダは唇を噛み、憎憎しげに伯爵を睨み付けた。ただひたすら頭の中には「騙された」という思いだけが渦巻いていた。そして、ひとつ気になる事があった、いつ取られたかも記憶に無いのに、血を保管されていると聞こえたのだ。
「私の血なんか、いつ取ったの? そんな覚え無いわよ」
「忘れたのか? リックを認知するための書類に、サインと同時に血判を押しただろう。あの書類は王宮に保管されている。親子鑑定用の血液サンプルとして、君の分は先に提出させてもらったよ。もちろん私の分も提出済みだ。結果が出るのが楽しみだな」
伯爵が初めから認知する気が無かったと知り、ゲルダは真っ赤になって激昂した。
「私を騙したのね!? この人でなし! あんたが私にした事を町で言い触らしてやるわ! 若い女を無理やり犯して妊娠させ、生まれた子供を冷たく突き放して、認知もしてくれない。挙句に、親子鑑定なんて、非現実的な道具を使って親子かどうか調べるだんて、人として最低よ! あんたの評判を地に落としてやるから、覚悟しなさい!」
食堂前での騒ぎを聞き、使用人達が集まって来た。アナスタシアはリックを連れて来ていたが、こんな場面を見せるべきではないと思い、早々に子供部屋に引き返していた。その前に、リックは二人が言い争う姿を見るなり壁際で蹲り、怯えて縮こまってしまったのだ。子供部屋に連れて戻ってもリックは一目散に部屋の角に逃げ、丸くなって頭を抱えている。尋常でないその反応に、アナスタシアは心配になった。
単純に、大人の怒鳴り声が怖いというだけなのか、ゲルダの金切り声に反応したのか分からない。
アナスタシアはキャリーにリックを任せて、また食堂に戻ると、ゲルダが警備の騎士に連行されるところだった。
「お父様、一体どうしたというのです? ゲルダ様をどこへ連れて行くのですか、うちには彼女の息子のリック君が居るのですよ」
「彼女の事は親子鑑定の結果が出るまで拘束することにしたのだ。放っておけばおかしな行動を取る危険性があるのでな。なに、数日特別な部屋で軟禁するだけさ。地下牢には入れないから、心配しなくて良い。リックの事はキャリーが見てくれれば問題ない」
特別な部屋とは窓に格子が付いた部屋の事だ。容疑者を入れるための部屋として、屋敷の裏側に用意してある。室内は質素ではあるが、不便を感じないだけの設備は整っていて、屋敷を警備する騎士の詰め所の隣なので、常に目を光らせる事も出来るのだ。ゲルダは騎士を懐柔しようとお色気作戦を実行するが、ゲルダ程度の容姿では、ここの騎士は誰一人惑わされる事は無かった。
鑑定結果が出たのはそれから数日後の事だった。結果を伝えるために王宮からは人が遣された。役人が来るのかと思えば、なんと第二王子セーファス殿下が国王からの密書を持参してランスウォールまで来たのだった。




