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第三話 悪友

「ロンドンってなんだよ?」

「ロンドン、ロンドン、ロンドン、ロンドン」

 K2はフレンチカンカンらしき奇妙の踊りをしながらふざけている。そういう姿は無性に腹が立つのだが、同時に腹のそこから笑いたくなる。まったく困った奴だ。


「1ヶ月になるかもしれないし3ヶ月以上になるかもしれない」

「そんないい加減なものなのか?留学って」

「俺もよくわかんないだけど、あの馬鹿オヤジが決めたことだから」

「まぁ、あのオヤジさんのことだから、そういうこともあるのかもしれないけど……」

「まぁ、何とかなるでしょう。あ、それポン」


 K2とは柏木謙介のことである。小学校からの腐れ縁、高校からは別々になったが、それまで僕は奴とずっとつるんできた。いや、実際は中学に入ってからのほうがより親密になり、高校受験では、受験勉強をすると言ってはマージャンに明け暮れた。要領のいい――それは結果的な話だが、僕は目標の中堅の公立高校に受かり、ヤツは私立の男子校にようやく引っかかった。正直僕はガッカリした。『やればできる子』K2は自他共に認める頭の回転は速いが、勉強に対する集中力、そして進学や将来に関する「一般的な不安」を持ちあわせない、面白い奴だった。僕はやはり、大学に進学する事を熱望していたし、そのそもそのきっかけを作ったのはK2だったのだ。中学生のときに奴の面倒を見ていた家庭教師でありK2の将棋の弟子の角田さんという法政大学の学生が居た。


「そういえば角田さんって、最近どうしてるの?」

「知らない。どこだったか出版社に就職したって話を聞いたけど、仕事忙しいんでしょう」

「そーなんだ……あ、ちょっとまってね。よし、リーチ!」

「やばいやばい。親のリーチだよ」

「逆らうと火傷するぞ」

「チー」

「あ、この野郎!一発消しやがって」


 角田さんは絵に描いたような自由人だった。少なくとも中学校の校則に縛られながら毎日過ごしていた僕らには、そう見えた。あるとき角田さんに誘われて、大学の学園祭に行くことになった。そこで僕等ははじめて若者だけの世界、自由で奔放な世界を垣間見た気がした。中学生から見た大学生というのは、それはもう、ある意味大人を見る目とそれほど変わらない。しかし、その彼らは、まるで子供のようにはしゃぎながら露店でやきそばやお好み焼きを売っている。しかし、校舎の中を覗けば、心理学を利用した性格判断や、世界各地で撮った戦場の写真。まったく意味がわからない前衛的な自主制作映画。そこには混沌があった。僕はその空気にすっかりと当てられてしまい、大学に行くことを熱望するようになったのだ。


「だいたいお前、英語なんかまったくしゃべれないじゃないか。いやいや、英語どころか日本語だってまともな点数取ったことないのに」

「ディス・イズ・ア・ペン」

「そりゃ点棒だ」

 K2とは、当然に柏木謙介の頭文字KKから来ているのだが、登山が趣味のヤツが言うところはもちろん世界で最も登頂が難しいという中国とパキスタンの国境沿いにある標高8000メートル級のカラコルム山脈にある世界第二位の高さの山のことである。K2は人気者である。奴がいる場は必ず笑いが起きる。実際マージャンをすることよりも、奴と他愛もない馬鹿話をすることのほうが目的で人が集まるのだ。そのK2が海外に留学するというのは、僕にとってなんとなく寂しくもあり、悔しくもあった。


「ちぃっ!なんだよこれ。やな流れだなぁ」

 リーチ後に鳴きが入り、本来自分が積もるのとは違う牌が僕のところにめぐってくる。その流れを作ったのはK2であり、その牌は明らかにK2の仕掛けに対して危険なものだった。しかしリーチをかけていれば問答無用で捨てなければならない。

「やめて!」

「ローン!ロンロンロンローン!」

「うるせぇよ」

 場から笑いが起きる。もちろん僕以外からだ。

「タンヤオドラ1 2000点」

 奴にはかなわない。学校の成績やおよそこの年齢で求められる一般的な社会的要求に対して、僕はおよそ奴よりも評判がいい。しかし、そんなことはどうでもいい。僕はなりたかった大学生になり、そこで何一つ得られないでいた。だから、髪を伸ばし、バンドを始めた。思い描いていた憧れは、そばに近寄ってみてみると、案外にすかすかで、実感の伴わないものだった。幻滅こそしなかったが、手品のタネを見てしまったような残念な感覚は常に日常に漂っていた。しかしK2には、そんなものは微塵も感じられなかった。やっていることは滅茶苦茶だが、少しずつ距離を開けられているようで、僕は嫌だった。


「で、いつから行くんだ?そのロンドン」

「あれ?来週だったかな?いや、再来週か?わかんないや」

「おいおい、準備とかいろいろあるんじゃないの?」

「大丈夫、パスポートはもう準備したから」

「いや、そりゃ、最低限の話だろう」

「だから、大丈夫」

 そうなのだ。奴なら多分大丈夫なのだ。僕なんかと違って――

「向こうで落ち着いたら手紙くらい書けよ」

「日本語がまともじゃない俺が、なんで手紙なんか書けると思う?」

「ふん!漢字は書かないとすぐに忘れるぞ」

「忘れるも何も、そもそも覚えていないから」

「ほら、選別だ!2000点」

「ありがたき、しわよせ」


 馬鹿話をしながら、いつまでもマージャンは続いた。そして、奴が言っていたより早くK2はロンドン行きの飛行機に乗ったのだった。そして一ヵ月後、約束どおり、奴から手紙が届いた。その手紙の内容は、筆舌に語れないほど、珍妙で誤字と脱字、意味不明な日本語で綴られていたのだが……


 その手紙が思わぬ役割を果すことになるのは、まだ先の話である。



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