第十話 メロウ2
そういうものには 縁がないと思っていた。
歌や恋愛ドラマに出てくるような そんな激しい感情を 自分が抱くとは思ってもみなかった。
結局のところ、抱いてみなければわからない。人を好きになるということと「それ」は僕には全然違うことのように思えた。焼き付けるような陽射しの中、砂漠の上を歩くような心の乾き。体の中で蛇がのた打ち回るような欲望の暴走。一人高層ビルの屋上で死と隣り合わせに星を眺めているようなスリル。どれも、ちがう。言葉に言い表せないと言ってしまったほうが、よっぽど真実味がある。しかし、真実などいったい何の意味があるというのか? 欲しいのは答えだ。
「僕は、あなたを愛しているのだろうか?」
そうでなければ、嫉妬などするものか。そうでないのなら苦しいはずがない。そうでないのなら会いたいとも、触れたいとも、抱きたいとも思うはずがない。しかし、果たしてそうなのか?
「他に男がいる、それも不倫している女を抱いておいて、どこに愛があるというのか?」
いまはそうでなかったとしても、結果的にそうなればいい
「そうなれば?その前に嫉妬に狂い、縛らずにいられなくなる。憎まずにはいられなくなる。」
嫉妬、拘束、愛憎。そういうことじゃない。僕は彼女を……
「抱きたくなったから抱いた。だって好みのタイプじゃないし、彼女だってお前のことを好きだとか、愛しているとかいったことがないじゃないか」
言葉に出していったことがすべてじゃない。今というときがすべてでもない。過去から今、そしてその先に続く道に可能性がある限りは、何も否定できない。
「なにも肯定できない」
そうとも。それが罪深いことだというのなら、愛とは時にそういうものなのかもしれない。僕は……愛を知らない。
「いや、それは嘘だ。お前は嘘をついている。お前は愛を知っている。お前は愛に触れている。思えは愛を抱いている。そして、それと等質、同量の嫉妬を知っている。」
僕の胸の中のざわめきは、あなたを抱いたときから始まった。あのときあなたを抱かなかったら、僕はこんなに苦しい思いをしないですんだのかもしれない。でもそれは無理だったろうと僕は思う。僕があなたにかなうわけがなかった。あなたに抗うすべを持ってはいなかったし、あなたに安らぎを与えることも、まして導くことなど出来やしなかった。あなたがどこかはかなげでいるのが怖くて、僕はあなたを抱くことでしかあなたの存在を僕の前につなぎとめておくことができなかった。
「そう、お前が抱いていたのは彼女自身じゃない。彼女のすべてじゃない。そして知らなかったものを知った」
僕は、あなたの何を抱いていたのだろう?
あなたは僕に何を許したのだろう?
でも、あのときの僕には、あなたに向かい合う事ができなかった。愛を知り、愛に触れ、愛を抱き、そして怖くなってしまった。愛することは、それと同時に憎むことでもある。愛が深ければ深いほど。愛する気持ちが強ければ強いほど、それは僕の心の中のより不確定な要素となって、僕をぐらぐらと揺らす。
二度とあなたに触れることの出来ないと知っていれば、僕はあなたに触れる事ができただろうか? あなたを抱く事ができただろうか? 愛を知った今ではできない。知る前だからできたのだと、今ならわかる。あなたを失った今の僕になら。
僕がこの歌を思い浮かべるたびに、あなたは表情を変えてしまう。月日を重ねれば重ねるほどに、まるであなたも同じだけの齢を重ねたかのように。追いつくことのない螺旋の先にいるあなたは、いつまでも僕をせつない思いにさせる。常しえに続く刹那の苦しみは、僕を狂わせずにはいられない。生爪を剥ぐような痛みですら、僕の狂おしい思いはとめることはできない。ただ、落ちていくしかないような思いに身をゆだねるほかに術はない。恋に落ち、愛に溺れるなら、いっそあなたを抱くそのときだけは、僕はあなたそのものに手を触れたいと思っていたのに。
メロウ―螺旋階段の君― 第3章 完
第4章につづく




