第八話 年上
悲しいこと、辛いことに耐える時間は、とても長く感じるのだろうとは、想像していたがあなたとあうことを待つ時間は、僕の想像をはるかに超える苦痛に長時間耐えなければならなかった。あなたとのことを思い出せば、あなたと過ごした時間よりも、同じ時間軸にいながらもあなたと会えない時間の苦しさのほうが、はるかに鮮明に覚えている。その反動は当時の僕の行動に少なからず現れていたようだ。
「どうしたのよ、最近、なんか良いことでもあった?」
「え、何でですか」
「いや、ほら、最近テンション高くない?風間」
「そうですか?」
「本人が気付いていないというのが、一番の証拠だよ」
「そういうものですか?」
「そうさ、俺にも幸せ分けてくれよ」
「そんなんじゃないですよ」
「じゃあ、どんなんだよ。ズバリ女でもできたか?」
「だから、すぐそうやって……」
「すぐ顔や態度に出るタイプだな、風間」
「あ、もう、本当に鋭いというか、大迫さんにはかなわないですね」
「伊達に歳くってないからなぁ。若造」
大迫さんは、2浪でこの大学に入った。いわゆる「さん」ナンバーの一人だ。僕は大体がこの「さん」ナンバーの人たちと相性がいい。風間家の長男の父のもとに生まれた長男である僕は、物心ついたある時期から異常に兄や姉を欲しがったという。生まれてまもないころ、父方の兄弟の長女、父からみるとすぐ下の妹ということになるのだが、晩婚だった父よりも早く嫁ぎ、僕が生まれた頃には二人の子供がいた。年上の男女の従兄弟。それはまるで本当の兄と姉のように慕っていたし、面倒を見てくれていたようだ。
僕が4歳のころ、父が田舎から東京に出たとき、従兄弟と離れるのがいやで、僕はとても寂しがり、そして泣き出したそうだ。東京で弟が生まれ、僕は弟の面倒を良く見たそうだ。でも時々、母に向かって「御兄ちゃんかおねえちゃんが欲しい」とねだり、母を困らせたそうだ。中学の頃にはもう、そんなことはすっかり忘れていたが、僕が音楽にのめりこんだきっかけは、当時一番良く遊んでいた友人の兄の影響だ。僕はそこでクイーンやキッスとであった。高校では放送部に入り、お昼にはDJまがいのことをして、洋楽をかけまくった。その放送部の部長は、ギターをやっていた。こうして僕は先輩に憧れ、バンドをやりたいと思うようになった。僕の人生は、少し年上の兄貴分に影響され続けている。それは今でも変わらないのだと思う。
「はいはい、観念しますよ。でも、ここだけの話ってことでお願いしますよ」
「やっかむやつ、多いからな」
「そうでしょう?それにまだ、『できたって』わけじゃないんで」
「セックスがか?」
「ちょ、ちょっと、なんですかそれ!」
「顔が赤いぞ、かわいいな、お前」
「大迫さん、からかわないでくださいよ。僕はツッコミは得意ですけど、突っ込まれるのはどうも苦手で」
「そうだろう?おれは気付いていたぜ」
「これだからAB型の人は嫌なんですよ」
「なんで?AB型で何が悪い」
「天敵なんです」
「天敵?AB型が?」
「そうですよ。僕の20年弱の人生を振り返れば、B型の人間にとって最大の敵はAB型です。年上ともなればなおさらです。増して女なら、逃げるしかない」
「なんだよそれ」
大迫さんは、うっかりすると『先輩』と呼んでしまいそうなほどに、或いは『兄貴』と呼んでしまいそうなくらいに、僕の中では絶対的な存在だった。他人から見れば、何が凄いということはないのかもしれないが、僕にとってプライベートのことで相談をできそうな人は、当時、この人くらいしかいなかった。
「俺の20年強の人生経験から言わせてもらえばだ、女はやるまでわからんぞ」
「そういうものですか?」
「そういうものだ……年上ならなおさらだ」
「え?」
「年上だろ、その女」
「何でわかるんですか?言いましたっけ、僕?」
「顔に書いてあるよ」
「なんて?」
「お姉さまって」
「ぼ、僕はシスコンじゃあ、ありませんからね。もちろんロリコンでもないですけど」
「で?脈はあるのか?」
「部屋までは、入れてもらいました」
「おー、やるじゃんか!どんな手を使ったんだよ、おい、俺にも教えろこの野郎!」
「そんなんじゃないですって、僕は何も……ただ……」
「ただ、なんだよ、やっぱ、なんかあるんじゃんか?雑誌の特集でも読んだのか?『How To年上の女の落とし方』とか」
「ちがいますって、僕はあの手の雑誌は読みませんよ。ただ、ちょっとした心理学というか、そういうのを利用して、その人が僕に関心があるのかなぁって、試してみただけです」
「なんだっけ、『悪魔の心理学』ってやつか?」
「本を読んだことはないんですけどね。そんなことが好きな……前に話しませんでしたっけ?中学時代からの腐れ縁の悪友が、そんなこと話していたなぁって、ただそれだけです」
「で、その悪魔みたいなテクニックを使って、女の部屋までは侵入できたわけか?やるな風間」
「人のことを空き巣か強盗みたいに言わないでください大迫さん」
この人と、彼女のことを早いうちに共有できたことは、僕にとって救いだったのかもしれない。彼自身、二浪をしてまで六大学以上のランクを目指していたにもかかわらず、まったくの滑り止めだったこの大学にしか合格しなかったことは、彼のプライドをズタズタにしたようだ。最初彼は、一定以上の距離を他の学生ととっていたが、ある飲み会をきっかけに、僕等二人は意気投合し、兄のように慕うようになった。彼は言う。
「挫折した奴は強いって言うけど、あれは嘘だよ。挫折なんか経験しないで、どこまでも行く奴はどこまでも行くし、どこまでも強い。挫折なんて経験しないほうがいいに決まっている」
「そういうもんですかね。でも、大迫さんは、やっぱ強い人だと思いますけど」
「強いんじゃないよ。挫折を経験するとな、強がるのがうまくなるんだよ」
「強がるのが……うまくなる?」
「そう、だから挫折を経験した人間は強いように見えるってだけさ。でもそれが武器になるとわかったときに、何かが変わるのさ」
「何かって、何がです?」
「それは教えられないな。別料金だ」
「えー、お金取るんですか!」
「人生の先輩のありがたい言葉を、ただで聞けると思っているほうがあつかましいんだよ」
「あつかましさこそが、若さの武器です」
「やるなぁ風間。もう一杯飲むか?」
「飲みましょう」
僕が大迫さんに不義理をしてしまうまでの間――そう、特にあなたと別れてからは、いつも一緒に居たような気がする。あなたと別れ、そして大迫さんと疎遠になるまでが、僕の人生の一つの区切りだったのかもしれない。




