エピローグ
自家用車に乗り込んだ浅見のポケットで、携帯電話の着信音が鳴った。
浅見は電話に出た。
「ああ、優奈……終わったよ」
浅見は、助手席にそっと置いた骨壺を見た。
「……あとは……」
クロを、安らかに眠らせてやる。そして……
その言葉の先の思いを、浅見は優奈に短く伝えた。
◇ ◇ ◇
浅見は携帯電話を切り、深く深呼吸をした。
浅見は、静かにアクセルを踏んだ。
鈴の音はもう聞こえない。
<終>
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補足(本文ではありません)
作中の設定について、少し補足します。
冒頭で、浅見は「シュレーディンガーの猫」を「量子ビットの説明」に使っておりましたが、本来「シュレーディンガーの猫」は「量子力学の奇妙さの例」の説明として使われるものです。本作では意図的にそこをぼかしております。
また、浅見は「量子コンピュータは、不確定性を扱う問題において計算の高速化を期待させるもの」と説明しております。ここは正確に言うなら、「量子コンピュータが高速化するのは不確定性そのものを扱うからではなく、量子重ね合わせと量子干渉を利用したアルゴリズムによるもの」です。こちらも物語のテンポを考慮して簡易な説明としました。
そして、城山綾乃が直接受託先の他社の担当者である浅見に直接細かい指示を出しているシーンがありましたが、業務委託契約なのにこのようなことをすれば「偽装請負または無許可の労働者派遣」と疑われてもおかしくありません。つまり城山はすでにコンプライアンス的に問題となる行為をしているわけです。決して城山のような行為をされないよう、お願いいたします。受託先には、その業務責任者を介して依頼を行うのがより適切な行為です。
さらに、浅見の母親(彩子)がクロの遺骸を庭に埋めていますが、現在では衛生面や近隣への配慮から、こうした埋葬はあまり推奨されていません。本作では、浅見の実家が田舎の広い一軒家であるという設定に基づくフィクションとして描いています。
あとがき(本文ではありません)
この物語を執筆しているあいだ、私は坂本龍一さんの「Bibo no Aozora」と、遊佐未森さんの「クロ」を流していました。
「Bibo no Aozora」の音の揺らぎは、量子論が扱う「観測されるまで確定しない世界」の気配を思わせます。
「クロ」は、いつの間にか半野良で暮らし始めた黒猫との心の交流と突然の別れを歌った曲であり、その優しい歌声は本作にインスピレーションを与えてくれました。
この二曲を行き来しながら、私は「観測されないまま残ってしまった想い」や「存在の揺らぎが収束する瞬間」を想像し、浅見悠人とクロの物語を整えていきました。
ペットを飼った人であれば、ペットとの別れは悲しいものです。
しかも、飼い主がペットの死を観測できなかったのであれば、心の中で「まだどこかで生きているかもしれない」と思い続けてしまうものではないでしょうか。
本作ではその感覚を量子論の比喩として扱いました。「観測されない想いは、いつまでも重ね合わせ状態に留まってしまう」というわけです。それが収束する瞬間は、きっと痛みと救いが同時に訪れる。
そんな情緒を描きたいと思いました。
楽しんでいただけたら幸いです。
2026年9月、投稿。




