EP11_聖女の覚醒
退路は断たれた。
背後の扉はリッチの障壁によって完全に封鎖されている。壁際へ追い詰められた彼らに残された空間は、刻一刻と狭まっていた。
押し寄せる白骨の波。
「……前だ」
アルフレッドが絞り出すように呟いた。
ここで留まれば圧死する。後ろには下がれない。ならば、生き残るためのルートは、この死の軍勢を正面から食い破った先――リッチの座す玉座だけだ。
「くそっ……!」
アルフレッドは奥歯を噛み締め、自身の内側にある魔力回路を意識した。
枯渇寸前の感覚。まるで乾いた雑巾をさらに絞り上げるような、神経をやすりで削られる不快感と痛みが走る。
だが、やるしかない。
彼は杖を石畳に突き立て、肺の中の空気をすべて吐き出しながら詠唱を紡いだ。
「凍てつけ! 雑魚どもに構っている時間はない!」
言葉は魔力となり、現象へと変換される。
杖の先端から放たれたのは、絶対零度の波動。
それは指向性を持った吹雪となり、地面を舐めるように疾走した。
パリパリパリッ、と空気が悲鳴を上げる。
迫りくるスケルトン・ジェネラルの足元、その重厚なグリーブが、瞬く間に白霜に覆われた。
関節部分の水蒸気が凍結し、巨人の動きがギギギ、と強制的に停止させられる。
完全な拘束ではない。数秒、あるいは十数秒の足止め。
だが、この戦場において、それは永遠にも等しい好機だ。
「今だ! こじ開けろ!」
アルフレッドの叫びは、しかし、別の咆哮によって掻き消された。
「あはっ! あははははッ!!」
狂気じみた、それでいて鈴を転がすように軽やかな笑い声。
セシリアだった。
彼女の状態は、客観的に見れば限界を超えているはずだった。
純白の神官服は返り血と泥で汚れ、肩で息をするたびに、肺が悲鳴を上げているのが見て取れる。額から流れる汗が、血の混じった頬を伝い落ちていく。
だが、その双眸は。
爛々と、不吉なほどに輝いていた。
恐怖ではない。絶望でもない。
そこにあるのは、魂を焦がすほどの戦闘への歓喜。
「泣き言は墓場で聞き届けてやるわ! 今は、歯ぁ食いしばって私の背中についてこい!!!」
戦場の空気を裂くような女の咆哮が、地下空洞に轟いた。
それは祈りなどという生易しいものではない。
死地においてのみ許される、生への渇望と暴力への肯定。
セシリアが愛用の六尺棒を旋回させる。
ブォン、と重い風切り音が鳴ると同時に、鋼鉄の棒身が眩い黄金の光を帯びた。
神聖魔法の付与。
本来ならば癒やしや守りのために使われるべき聖なる光が、今は破壊のためのエネルギーとして凝縮されている。
「邪魔よッ!」
踏み込み一閃。
彼女はジェネラルの足止めによって生じたわずかな隙間へ、自らの体を砲弾のようにねじ込んだ。
六尺棒が横薙ぎに振るわれる。
切断ではない。粉砕だ。
聖属性を帯びた質量兵器の一撃は、行く手を阻むスケルトン・ナイトの頭蓋を、まるで熟れた果実のように容易く破裂させた。
衝撃波と共に、浄化の光が周囲の闇を焼き払う。
飛び散る骨片。舞い上がる塵。
その中心で、セシリアは恍惚の表情を浮かべていた。
手首に伝わる強烈な反動。筋肉が断裂しそうなほどの負荷。
そのすべてが、彼女にとっては「生きている」という実感そのものだった。
「あはっ! 重い! 硬い! でも、最高に滾るわねぇ!!」
彼女の背中から立ち上る湯気のような熱気が、男たちの本能に火をつけた。
恐怖に凍りかけていた思考が、熱狂によって溶かされ、獰猛な覚悟へと変質していく。
「……ったく。あの尼、後で説教だ」
前衛のガンダルが、凶悪な笑みを浮かべて大盾を構え直した。
その瞳からは、もはや守勢の色は消え失せている。
あるのは、セシリアの狂気に中てられた獣の光。
「オラァッ! 道を開けろ骨屑ども!」
ガンダルが突進する。
筋肉の塊のようなタックルが、凍りついたジェネラルの側面を打ち砕き、包囲網に風穴を開けた。
分厚い氷が砕ける音と、金属がひしゃげる音が重なる。
その一瞬の亀裂。
そこへ、音もなく滑り込む影があった。
斥候のライナスだ。
彼は言葉を発しない。ただ、口元を三日月のように歪め、獲物を狙う猛禽のような鋭さで、開かれた「道」を疾走した。
アルフレッドの氷結が作り出した時間。
セシリアの狂乱がこじ開けた突破口。
ガンダルの膂力が確保した空間。
それらすべてが一本の線となり、最奥に鎮座する死の王――リッチへと繋がった。
「チェックメイトだ」
誰かがそう呟いた気がした。
あるいは、それは彼ら全員の共通認識だったのかもしれない。
数の暴力に対し、個の暴力が牙を剥く。
狂乱の舞踏は、クライマックスへと加速していった。




