EP10_死の王
重厚な扉が悲鳴のような音を立てて開くのと同時、肌を焼くような冷気が吹き荒れた。
そこは、死の静寂に支配された広大な空間だった。
壁面には無数の髑髏が埋め込まれ、天井からは錆びついた鎖が垂れ下がっている。そして部屋の中央、骨で作られた玉座に、その怪物は鎮座していた。
ボロボロのローブを纏い、肉の削げ落ちた指先で杖を弄ぶ骸骨の王。
眼窩の奥で揺らめく蒼白い炎が、侵入者たちを嘲笑うかのように瞬く。
ダンジョンマスター、リッチ(Lich)。
二十四階層の守護者にして、生者の理を冒涜する不死の魔術師。
「来るぞ!」
ガンダルが叫んだ刹那、リッチが指を弾いた。
詠唱はない。ただそれだけの動作で、空間そのものが歪む。
ドォォォォォォォンッ!
天井が落ちてきたかのような衝撃が、パーティ全体を襲った。重力魔法だ。
等価原理(Equivalence Principle)による物理干渉。
空間そのものが歪み、彼らの肉体を常に地面方向へと引き寄せ続ける強制的な加速場が発生しているのだ。
静止していながらにして、猛烈な速度で『落下』し続けているようなGが全身にのしかかる。
「ぐ、おおおおおっ!」
ガンダルが咆哮を上げ、ハンマーを捨てて大盾を石床に叩きつけた。
全身から赤い闘気を噴出させ、自らを楔として固定する。展開された闘気がドーム状に広がり、強制的な加速場を中和して押し返す。
鎧の継ぎ目がきしみ、鋼鉄のブーツが床にめり込んでいくが、彼は膝を折らない。
「ガンダル!」
「構うな……行けぇッ!」
巨漢の戦士が作り出した一瞬の隙。
そのわずかな「重力の凪」を縫って、アルフレッドが杖を突き出した。
「舐めるなよ、骨屑風情が……!」
眼鏡の奥の瞳が、かつてないほどの集中力で細められる。
彼の周囲に展開されたのは、赤と黄の魔法陣。二重詠唱による合成魔法だ。
「雷鳴と紅蓮よ、螺旋に穿て!『Tximista, Gar, Zurrunbilo』!」
杖の先から放たれたのは、螺旋を描いて荒れ狂う雷と炎の奔流だった。
Sランク冒険者の本気の一撃。直撃すれば、ミノタウロスごときなら灰も残さず消し飛ぶ高火力。
爆炎が玉座を飲み込み、轟音が広間を揺らす。
しかし。
煙が晴れた玉座の前には、傷一つない透明な壁が立ちはだかっていた。
六角形の光の板が幾重にも重なり合う、絶対不可侵の結界。
「な……多重魔法障壁だと……?」
アルフレッドの顔から余裕が消え失せる。
こちらの最大火力を、リッチは立ち上がりもせずに防ぎきったのだ。それどころか、障壁は受けた魔力を吸収し、より強く輝き始めている。
「チッ、魔法がダメなら物理でこじ開けるまでだ!」
ライナスの鋭い声が響く。
彼はすでにガンダルの背後に回り込んでいた。重力魔法の余波が消えた一瞬、ガンダルが盾を構え直し、その上にライナスが飛び乗る。
「飛べぇッ、ライナス!」
「あいよッ!」
ガンダルが全身のバネを使って盾を跳ね上げる。
人間カタパルト。
小柄なライナスの体は弾丸と化し、音速に近い速度でリッチへと肉薄した。
逆手に持った二振りの短剣に、風属性の魔力を限界まで纏わせる。一点突破の刺突。
キィィィィィィンッ!
耳をつんざくような金属音が響き渡り、火花が散った。
切っ先が障壁に突き刺さる――はずだった。
だが、現実は非情だ。短剣は障壁の表面を滑り、ライナスの体ごと強烈な反発力で弾き飛ばされた。
「ぐあっ!?」
空中で体勢を崩したライナスが、床を転がりながら受け身を取る。
手首が痺れ、短剣の刃がこぼれているのが見えた。
「硬ってぇ……! 岩盤どころじゃねえぞ、ありゃ!」
「退いて!」
間髪入れずにセシリアが飛び出す。
純白の修道服を翻し、彼女の拳には神聖な白い光が宿っていた。
アンデッドに対して絶大な威力を誇る聖竜術。魔力による防御を貫通し、浄化の力を叩き込む破邪の一撃だ。
「ハァッ!」
流れるような演舞から繰り出された正拳突きが、障壁の正面を捉える。
バヂヂヂヂッ!
聖なる光と邪悪な魔力が衝突し、激しいスパークが発生した。
障壁の表面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
「いける……!」
アルフレッドが叫んだが、次の瞬間、セシリアの表情が凍りついた。
亀裂が入ったのは一瞬。
リッチが杖を軽く振るうと、障壁は水面が戻るように修復され、逆に衝撃波となってセシリアを襲ったのだ。
「きゃああっ!」
吹き飛ばされたセシリアを、ガンダルが片手で受け止める。
彼女の拳は赤く腫れ上がり、手袋が焼け焦げていた。
「嘘でしょう……私の拳でも、砕けないなんて……」
セシリアの震える声に、絶望の色が混じる。
リッチは、未だ玉座から一歩も動いていない。
ただ静かに、眼窩の青い炎で彼らを見下ろしているだけだ。
その沈黙が、言葉以上に雄弁に語っていた。『貴様らの力など、その程度か』と。
カツン、カツン、カツン。
乾いた音が広間に響き始めた。
床の魔法陣から、あるいは壁の隙間から、無数の影が湧き出してくる。
錆びついた鎧を纏い、巨大な剣や槍を手にした骸骨の騎士たち――スケルトン・ジェネラル。
一体だけでも中級冒険者が苦戦する相手が、十、二十と際限なく現れる。
「……クソッ、冗談じゃない」
アルフレッドは杖を握る手に力を込めたが、指先が微かに震えているのを自覚した。
先ほどの合成魔法で、魔力の三割を持っていかれた。障壁を破るには、それ以上の火力を連発しなければならない。だが、今の彼に残された魔力では、あの障壁を貫く計算が成り立たない。
「おいおい、参ったな。こいつは準備運動にしてはハードすぎるぜ」
ライナスが軽口を叩くが、その額には脂汗が滲んでいる。
取り囲むジェネラルたちの包囲網が、じりじりと狭まってくる。
「総員、円陣を組め! 背中を守れ!」
ガンダルの怒号と共に、四人は背中合わせに陣取った。
襲いかかるジェネラルの大剣をガンダルが盾で弾き、その隙をライナスが斬り裂く。セシリアが回し蹴りで頭蓋を粉砕し、アルフレッドが氷の矢で動きを止める。
連携は完璧だ。Sランクの実力は伊達ではない。
だが、敵の数が多すぎる。倒しても倒しても、次から次へと湧き出してくるのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
数分の攻防で、彼らの呼吸は乱れ始めていた。
ガンダルの自慢の鎧は所々がひしゃげ、セシリアの法衣の裾は敵の刃にかすめられて裂けている。
アルフレッドは魔力ポーションをあおろうとしたが、ポーチの中身はすでに空だった。道中の余裕が嘘のように、消耗戦が彼らの心身を削り取っていく。
「アルフレッド! 次の手は!?」
セシリアの悲痛な叫びに、参謀役の男は答えられなかった。
計算できない。解が見つからない。
あの障壁がある限り、リッチ本体には指一本触れられない。そして障壁を破るためのリソースは、この雑魚どもを処理するだけで枯渇していく。
完全に、詰んでいた。
「……撤退も、視野に入れるしかないか」
苦渋の決断を口にした瞬間、リッチが再び杖を掲げた。
部屋の入り口、唯一の退路であった重厚な扉の前に、新たな障壁が出現する。
逃げ場はない。
この部屋は今、完全なる処刑場と化していた。
壁際へと追い詰められていく四人。
Sランクの威光も、歴戦の誇りも、圧倒的な「死の質量」の前には無力だった。
ただすり潰されるのを待つだけの時間が、冷酷に過ぎていく。




