9話:4Hクラブの思い出と再就職に工場長の推薦状
やがて、空が白々明けてきて、午前5時、延焼はないでしょうと山内技術部長が言うと消防車は、次々に帰って行った。清水が、何か、手伝いますというと、じゃー、ここで異常がないか見ていてくれと言われた。
その後、事務所に上がり、電話をかけてくると言って去った。40分位して戻ってきて車を運転した。しばらくすると工藤工場長や里村課長が来た。
里村課長が、これで、2回目の火災ですねと言った。
もし、もう1回、火事を起こしたら、ここから出て行くことになるとポツリと言った。里村さんは、地元出身で、パイプも太い。しかし、この地区は、田舎で、噂話が広まるのが早く、特に悪い話には、尾ひれが付いて大げざになるのが常だ。
出来るだけ吉富工場長と共に有力者の家に謝りに行くと告げた。その後、約1ヶ月は、再稼働できず、地元の消防署、警察署の実況見分が行われ、今後、火災用起こさないという念書まで書かされた。
そして、大事件が起こった1976年が終わり、1977年が始まった。この年は、火災を二度と起こさないように、1日3回の乾燥を2回にして、万全を尽くす様になった。
その頃、清水は、地元の4Hクラブ「農村の後継者の若者クラブ」に参加して、仲の良い若者が増えていた。しかし、飲み会には出るが、生活環境、教育も違い、なかなか、なじむことが出来なかった。
しかし、2人の友人ができ、バーベキューや農閑期の温泉旅行にも招待されてたり、時もtの野球大会、お祭りにも参加した。しかし、彼女は、できず、お見合い話が、数回、あった程度。
1度、冷やかし半分で、お見合いを経験していたが、その彼女には、既に、意中の地元の男性がいて、ただ、その男性が、貧農の家の息子のために言い出せないという話を聞いて興ざめした。
しかし、彼女は、できず、お見合い話が、数回、あった程度。1度、冷やかし半分で、お見合いを経験していたが、その彼女には、既に、意中の地元の男性がいて、ただ、その男性が、貧農の家の息子のために言い出せないという話を聞いて興ざめした。
その後、その2人は、夜逃げ同然で、駆け落ち事件を起こし都会へ出て行った。こんな時、工藤工場長が、将来のある若者が、こんな所で、埋もれちゃ駄目だと言われ、もっと良い起用を探して再就職するのが、君のためだと説得してくれた。
そのために、僕は、全面的に協力してやるといってくれ、感動した。その後、新聞を眺めて、就職先を探してると製薬企業で、8人のプロパー募集の公告が目に入った。
その応募条件としては、大学の薬学部、化学科、経済、商学部卒業、または、短大、高専卒以上で、2年以上の社会経験のある者と書いてあった。だたし、採用後、入社研修として医薬品の勉強期間が、約3ヶ月ありと書いてあった。
それを工藤工場長に見せると、良いじゃないか、医薬品企業と言えば、給料も高く、景気の良し悪しに左右されにくいと言われていると話した。
そこで、早速、応募して、提出すべき資料を作成した。
この会社ので勤務経歴を書き、工場長の印をもらった。すると、突然、工藤工場長が、推薦状を書いてやろうかと言いだし、お願いできますかと清水が言うと了解と言い30分程で書いてくれた。その工場長の印をもらい推薦状を入れた封筒を閉じた。
この推薦状を入れて履歴書と一緒に提出しろと言ってくれた。それらが入った封書を入社希望の会社に送った。約1週間後、筆記試験の受験日と面接の日程を書いた書類が送られてきた。工藤工場長が、この事は、2人の秘密にしておけと告げた。
そして有給休暇を取って、その会社を受験することにした。数日後、東京支社に出勤し、筆記試験、その後、支店長面接を受けた。その数日後、1次試験合格の通知が届いた。次回は、中京地区の工場で、社長面接の日程が書いてあった。
再び有休を取り出かけて、社長面接を受けると、社長に挨拶をすると、君か、工場長の推薦状を携えて、受験したのは、と言い、ニコニコして、君は、我が社に対しての希望は、何かと聞かれ、働いた分の給料をちゃんといただければ、それで十分ですと答えた。