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零
この世に生を受ける時。
自ら望んで形を成し、自己のアイデンティティを備え持って、この世に産まれ落ちる存在はあるだろうか。
産まれ落ちたその時から、何事にも替え難い願望や欲求を自覚する存在はあるだろうか。
恐らくは無いだろう。
少なくとも、そう多くは。
産み出す苦労とはよく聞くが、産み出される側の葛藤や苦悩と言った話はあまり聞いた事が無い。
大抵の人間は意見も提言もする機会すら与えられず、一方的にその命と姿形を与えられる。
選択権は、無い。
拒否権も、無い。
しかもそうやって勝手に授けられた命は簡単に投げ捨てられるものでもないから、仕方なく、予定調和的に、人は人生を歩む。
生きる理由や存在意義という物は、言ってしまえばその理不尽を誤魔化して正当化させる為に付け加える後付けのオプションだ。
そうして人は、自ら選んだ、或いは選んだと錯覚させられた価値観に、更に上塗りに上塗りを重ねて自己を形成していく。
自らの人生が価値のある有意義なものだと、自らを納得させる為に。
でも。
だからこそ。
私はきっと幸運で、幸福なのだろう。
生まれながらにして、存在意義を与えられたのだから。
与えられた命の意味を、はっきりと自覚しているのだから。
自らが望んで、この"禍"を受け入れたのだから。




