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第十五話「地震」

 夜道、一人の男が歩いていた。


「ふいー。今日も今日とて定時退社。休日出勤もなんのその! やっぱデキる男は違うなぁ〜。家に帰って晩酌でもするか」


 突如、一部の街頭が点滅し始める。


「ん? なんだ? 故障か? 全く、はよ直せよなぁ……どこに消えてんだよ俺らの税金は」


 そう愚痴を溢す通行人の側の路地裏から黒く、しわがれた手が伸びる。

 それは通行人の体を握り潰すかのように掴み、そのまま路地裏に吸い込まれていく。


 "それ"は男に手をかざす。

 すると男の口から青白いモヤが出てくる。霊魂だ。


 出てきた霊魂が"それ"の手の中に吸い込まれていく。

 霊魂が全て吸い取られた時、男は事切れてた。


 "それ"は不気味な笑みを浮かべる。

 シワだらけの黒っぽい顔に耳まで裂ける不気味な口を開け、不気味な音を発する。


「ポッポポ…ポポ」


 そしてその長い手を振り回し、辺りの家を一気に破壊した。


 家の瓦礫に潰され、亡くなる者、奇跡的に助かり、外に逃げ出してくる者もまた、先ほどの通行人同様、霊魂を抜かれ、死亡するのだった。


 その周辺だけに収まらず、板橋区を瞬く間に破壊、殺戮の限りを尽くした。


 これが政府の言う"地震"であった。


 当然"それ"の姿は一般人には見えない。彼らは何が起きたのか理解できぬまま死んでいった。


 その頃、家族で夕食を食べていた幻花達も激しい揺れと轟音を感じた。


「なんだ? 地震か?」


「大きいわね……。一応テーブルの下入った方がいいかも」


 母がそう言った次の瞬間だった。


 突如家が崩壊し始めたのだった。


 それに静はいち早く反応し、幻花と一緒にテーブルの下に潜ったのだった。


 幻花の父と母は瓦礫に潰されて即死だった…


 テーブルの脚は瓦礫に耐えきれず簡単に崩壊した。


 だが静はそれを想定し、幻花に覆い被さる形でテーブルの下に潜っていた。


 そのため、幻花には大きな怪我は無かった。


 しかし、静は背中と足に重傷を負っていた。


「お姉ちゃん! しっかりしてお姉ちゃん!」


「ま、幻花……。け、怪我は、ない?」


「ない、ないよ! でもお姉ちゃんが!」


「私は大丈夫よ。お姉ちゃんなんだから……」


 静が力無く笑う。明らかに大丈夫ではなかった。


「近くに病院あったはずだから……! あたしが絶対助けるから!!」


 涙ぐみながら幻花はそう言うと静の手を肩に回し、歩いた。


「確か、こっちだったはず…」


 その時、幻花は今まで感じたことのない感覚に襲われる。


 付近の空気全体が凍ったように冷たい。

 同時に生命の危険を感じるような、危険信号を体が発し始める。

 寒気が止まらない。

 氷の刃物を背中に押し付けられるような感覚だった。


 その時どこからか聞こえてくる異音を幻花の耳が拾った。


「ポッ、ポッポポポ」


(なに……? 鳩?)


 その異音は遠くで聞こえた。

 しかし次に聞こえたのは耳元だった。


 幻花の全身に鳥肌が立つ。


 咄嗟に異音がした方向を向いても何も見えない。


 しかし、明らかに何かがいて、それもすぐ近くに迫ってきている。


 そんな謎めいた確信だけが幻花の中にあった。


(ここはやばい……! 早くこの場から離れないと……!)


 幻花が再び歩こうとしたその時、前方から青白いモヤが浮遊してきた。


(な、なに……、あれ……)


 その青白いモヤは一箇所ではなく、瓦礫の下から次々と出てきた。


 そしてそれは幻花たちの後方に吸い込まれるように飛んでいく。


(後ろ……に、何か、いる)


「だめ!」


 静は後ろを振り向こうとする幻花を制止した。


「多分、やばい。振り返ったら終わり、そんな気がする」


「お姉ちゃん……」


「前だけ見て、振り返らないで……」


 二人は歩き始める。

 数歩歩いたところでまたあの鳩の鳴き声のような異音が耳元で聞こえ始めた。


 幻花の心はもうほぼ限界だった。


 未知への恐怖と両親を失った悲しみで、ガチガチと音をたてながら歯が震えるのが分かった。


 しかしそれでも幻花が正気を保てていたのは姉である静の存在が大きかった。


 静と一緒にいる時、幻花はいつも心が安らいだ。


 ウザい姉だが、同時に自分のことを本当に思ってくれているということを実感させてくれる存在だった。


 だからこそ、その姉がピンチ、だから守りたい、助けたいという思いが幻花をギリギリで繋ぎ止めていた。


「ま……どか、たす……けて!」

 

 突如、か細く、だがはっきりと母が助けを求める声が後方から聞こえた。


(マ、マ……? 生きてるの!?)


そう思った幻花は母の声のする方を向いた。


「見ちゃダメ!!」


 静が制止した時にはもう……、幻花の瞳に"それ"が映っていた。


 少し離れた場所に"それ"はいた。

 白い花嫁装束を身に纏い、背丈は異常に高い。

 首を横に倒し、耳まで裂ける口を開けて、笑った。


「あ、あ……」


 幻花はこの世のものとは思えないその姿を見て、ただ呆然とするしかなかった。


「幻花!! 逃げるよ!!」


 静の声で我に返った。

 "それ"は異常な速度で走ってくる。

 幻花は必死で逃げた。


 しかし怪我人を抱えながら逃げ切るなど、不可能だった。


 気づけば"それ"はすぐ真後ろまで迫り、大きく長い手を振り下ろした。


 その時、どこからか現れた影がムチのようにしなり、"それ"の手を弾いた。


 "それ"が目だけを動かす。


 そこにいたのは黒装束の男一人と女二人だった。


「いたぞ! こっちだ!」

「なんなの、そいつ!」


「わからん! だが気をつけろ! 悪霊なんて生温い奴じゃない! おそらく、俺たち以外の先発部隊は、もうとっくにやられている!」


「そこの人たち! 危ないから早く逃げなさい!」


 いきなり現れた謎の集団。

 しかしこれは絶好の機会だった。


(逃げる最後のチャンスかも……!)


 幻花は力を振り絞り、その場から離れようと必死に歩く。


 後ろからは先ほどの集団が飛び掛かるような声が聞こえる。


(何がなんだか分からないけれど……とりあえずはなんとか)


 その時、後方から何か飛んできた。

 幻花たちの前にベチャッと落ちる。


 それを見た幻花は青ざめ、思わず腰を抜かしてしまい、静と共に尻餅をついてしまう。


 飛んできたのは、人間の片腕だった。

 切断されたばかりだからか、少しビクビクと動いていた。


 再度、後ろを振り返ると先ほどの三人は変わり果てた姿になっていた。


 一人は体を激しく抉られており、もう一人は胴体を真っ二つに裂かれ、血の海の中に倒れていた。


 そして片腕を無くしながらもギリギリまだ息がある黒装束の女がこちらに気づくと、血反吐を吐きながら叫んだ。


「に"け"て"!!!」


 それが女の遺言だった。


 直後、"それ"が足を振り上げ、女を踏み付けた。


 そして三人の体に手をかざす。

 青白いモヤ、霊魂が抜き取られていく。


(あたし、たちも……あんな風に、ここで……あの速さ……逃げられっこない……)


 目の前の惨劇と幻花の様子を見つめていた静の瞳に覚悟が宿る。


「走れる? 幻花」

「……え?」


 静の突然の問いに幻花の思考が追いつかない。

 静は幻花が問いの答えを言うのを待たずに続ける。


「ううん、走りなさい、幻花。いい? よく聞いて。振り返らないで、とにかくここから離れて……!」


「無理、だよ……ここで二人とも死ぬ……あいつからは……逃げられない……」


「……確かに逃げられないかもしれない。"二人"ならね」


「……どういうこと?」


「私を置いて逃げなさい」


「……え…」


「幻花は足が速いでしょ? 幻花の足の速さなら私が時間を稼げば、逃げられる可能性はある」


「……いやだ。いやだよ、お姉ちゃん……。あたし、お姉ちゃんを置いて逃げるなんて……。お姉ちゃんがここで死ぬって言うなら、あたしも一緒に死ぬ! お姉ちゃんがいない世界なんて、あたし生きたくない!」


 声を震わせながら、しかしはっきりと幻花はそう言った。


 瞬間、幻花の頬に平手打ちが飛ぶ。

 頬が赤くなり僅かに腫れる。


「走れったら走れ! お姉ちゃんの言うことを聞きなさい!!」


 静が幻花を声を荒げて叱りつけるのは後にも先にも、これが初めてであった。

 静は幻花の両頬に手を置く。


「幻花には多分……まだ"やるべきこと"がある、そんな気がするの。なにより、私は幻花に生きて欲しい」


 直後、静は幻花を優しく、温かく包み込んだ。

 その瞬間、幻花は恐怖や絶望を忘れるほどの安心感を感じた。


「またね、幻花。あなたは私の、世界で一番大切な宝物。ずーーっと大好きだから……!」


 幻花の心に、その言葉は嫌というほど染み渡った。

 この抱擁は、幻花の生涯で一番長く、一番苦しいものだった。

 静が抱擁を解く。


「さぁ、走って……! 振り返らないでね」


 決断が迫る。

 もうすぐ"それ"はすぐこちらに向かってくる。


 自分一人だけ生き残るぐらいならば姉と一緒に死にたい、そんな思いが幻花を躊躇させた。

 だか同時に、静の覚悟が嫌というほど身体の芯まで伝わっていた。


 ……決心がつく。


「あ、あたしも……! 大好き……。ずっと、ずっと、ずーーっと大好き!!」

 涙で顔がぐちゃぐちゃになり、言葉も途切れ途切れになりながらも伝えた。

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― 新着の感想 ―
こんな悲しい過去があったんですね……
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