その15
いつか、そいつは言った。自分は白奈を依代に、俺たちの前に現れたのだと。
その依代とやらになってしまったせいで、あいつと白奈は同化してしまっている。
だからこそ、俺は目の前にいるはずの白奈を認識できず、再会することもなかった。奴が、白奈の精神を押さえ込み、その肉体を使っているから、と。
だが……。
「しろ、な……?」
「う……にぃ……」
少しずつ、光が薄くなってくる。
発光が治っても、まだ視界は明滅しているが、それでも。目の前に現れた姿は、白奈そのもの。
一瞬、奴の一人芝居を疑わなかったといえば嘘になる。
「白奈!!」
が、直感が囁く。目の前の存在は間違いなく、俺の妹そのものなのだと。
その直感に従い、言葉を発するのももどかしく思いながら足を前に出す。
さっきまでかなりの距離に感じていた数メートルはあっという間に埋まった。まるで、正しい距離感を取り戻したかのように。
「にい、さん……?」
「ああ、俺だ! 白奈……!!」
駆け寄り、その勢いのまま抱きとめる。
その手が触れた瞬間、白奈の体から力は抜け、俺に体重がかかってくる。
ああ、懐かしい感覚だ。懐かしい、思い出だ……。
最後にこうして白奈と触れ合えたのはいつだっただろうか。それでも今こうして、やっと……。
「兄さん! 兄さん……!!」
泣きじゃくりながら、白奈も腕を回してしがみついてくる。
そして。
「お願い、兄さん。私を、殺して……」
そして、そんな言葉が耳元で囁かれた。
言葉の意味はすぐに理解できた。たったの一言だ。理解できないはずがない。
それでも、そのこと自体を理解したくないかのように、脳が考えることを拒否する。
思考が回らない。
「は……?」
漏れたのは意味のないただの音。宙へ放り投げられた、ただの音。
けれども、今の俺にはその音を出すことが精一杯だった。
「白奈、お前……何言ってーー」
「お願い、兄さん……お願いだから」
問いかけても、白奈はそう呟くのみ。これではどういうことなのか分からない。
それでも諦めずに、白奈の肩に手を置き、体を引き剥がして顔を覗き込む。
「(にちゃあ……)」
「っ……!!」
覗き込んだ先にあったのは、確かに白奈の顔。が、それも半分だけ。
残りの半分は、顔のパーツこそ白奈のものだろうが、醜く歪んでいた。まるで何かを喜ぶ顔のように。
「お前、まさか……!?」
『ああ、僕だヨ。まったくこの子には驚くネ。まさか一刻とはいえ、こうして主導権を握り返すナンて』
「あ……あ……」
顔の半分が喋る。その表情はさっきまで目の前にいたトカゲ。
ちょうど半分ずつで、表情がまるで逆になっていた。
『それで、どうするンだい? この子の言う通り殺すカイ?』
「兄さん、お願い。私が死ねば、私と同化しているこの人もいなくなる。そうすればーー」
みんなを助けられる。
すぐに全部解決することはなくても、確かにこいつさえいなくなれば、ドラゴンもこれ以上増えなくなるかもしれない。
それは、ドラゴンを連れてきたというこいつの発言からもなんとなくわかっていた。
でも。だが。
だったら、目の前の少女はどうなる?
もちろん死ぬだろう。なにせ、そうすることでしか目の前の存在は殺せないのだから。
「おれ、は……」
『できないよねぇ!! だって君は白奈のために戦ってきたんだもんねぇ!?』
白奈の、いやトカゲの顔がさらに醜く歪む。
けれど、そうだ。その通りだ。
俺は白奈を助け出すために、もう一度会うために戦ってきた。それなのにどうだ。
やっと白奈と再会できたと思ったら、それを自分の手で殺さないと、目の前の敵を倒せない。
ファンタジー共を殺せない。人間が、救われない。
「……けてくれよ」
小さく呟く。
助けてくれ、と言いたかった。言って正義のヒーローが現れて。
目の前の存在を白奈とトカゲに分離し、白奈を助け出してくれる。そんな展開を期待したかった。
けれどそんな都合のいい願いは叶わない。
今、世界の命運と白奈の運命を握っているヒーローは自分なのだから。
いやだ。でも。だって。それでも。
自分の中で言葉が飛び交う。うまく息ができない。視界が霞む。
「ねぇ、兄さん。お願い……」
「っ!!」
白奈の泣きそうな目。
それでも、この状況でなお、自分のことよりも俺たちのことを優先しようとしている。
(多分お前は、これから選択を迫られる事になる)
思い出すのは、折山さんの言葉。それが、いまやっと実感として理解できる。
よりにもよってこんな、タイミングで。
「うあああ”あ”あ”!!」
叫ぶ。それはもう、ほとんど泣き叫ぶような声。
辛くて辛くて、どうしようもない時に出る、子供の癇癪のような声。
その証拠に、目からは血とも涙とも取れるような液体が迸る。
「俺はお前との約束を守る。例えそれが、お前を殺すことになるのだとしても!!」
体を押し倒し、馬乗りにマウントを取った。
震える手でナイフを、構える。あとはそれを振るうだけ。
その時になって。
そんな時になって。
「うん……ありがとう。ごめんね」
目の前の顔はそんなことを宣う。
その言葉に、顔に。手は動きを止めようとする。
いやだ……いやだ! いやだ嫌だ嫌だ!!
ぐちゅ、ぶしゃ、ぞり、ぐに、がっ……。
けれど、腕は止まらない。止めない。
それは目の前の白奈の意思を否定することでもあるのだから。
何度も何度も何度も何度も何度も。
振り上げては、振り下ろす。
べちゃ、どろり、ぽた、ぐり……。
迸る血飛沫。それを浴びながら何度も何度も。
愛する者との約束を守り、愛する者を確実に殺すために。
愛する者が守ろうとした世界を、人を、それから、俺自身を守るために。
そして不意に、ガッ、と鈍い音と共に手からナイフが吹き飛ばされる。
どうやら顔面の骨に強く当たったらしい。手に力が入らない。
そんな手で握ったナイフなら、簡単に吹き飛ぶのだろう。
遠くでナイフが墜落した音を聞きながら、どこか他人事のように思考する。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」
そこでようやく、しばらく飛沫が浴びていないことに気がつく。
俺の体や手、それに地面にはその飛沫が飛び散っているが、その顔も乾き始めたのか、少し動かすだけで何かが剥がれ落ちる感覚がする。
「…………」
それを頭の片隅で考えつつ、視線を巡らせる。ふと目に着いたのは、微かに光る鏡のようなもの。
そこに映る俺の顔は、飛沫と自身が流していた涙でぐちゃぐちゃのひどい有様だ。
『やれやれ。君たちには血も涙もないのかい?』
空中から聞こえてきた声に、答えることができない。
けれど、それらは今、確かに失われてしまった。
「そんなものは、ない。たった今、なくした」
俺の涙も、妹の血も。
妹はたった一人で、世界を変えるための血を流した。この世界中の人の血を肩代わりして。
俺が。俺の手が、そうさせてしまった。
「……ぁ」
「っ!! 白奈!?」
微かに響いた声に耳を寄せる。
「あ、りがとう……にいさ、ん……」
言って、その口からごぼっと血が溢れる。まるで、体から最後の力が抜けるように。




