その10
ぐにょり、ぐちゅ、ぶちゃ……ぽちょ。
足元からは奇妙な音がし、それがブヨブヨした壁に反射されているのか、そこかしこから似た音が聞こえてくる。外見はまるで繭のようだったが、中に入ると、生き物か何かのようにも思えてくる。
「足元が悪いですね……。内部は全て、このような状態なのでしょうか?」
「の、ようですね。しかも視界まで悪い」
片手にはライト、もう片方の手は壁に触れることで視界と足元の悪さをごまかしつつ、少しづつ奥へと向かっていく。ここまで来るともうすでに、折山さんと別れた入り口の光も届かなくなっていた。
ーーと。
「っ!」
「どうしました? ……いや、これは」
唐突にそれは来た。そのせいで視界が揺れるが、舌打ち一つでなんとか振り払う。これまで何度も感じてきた感覚。近くに、奴がいる。
突然漏らした舌打ちに渡辺さんが不思議そうに顔を覗き込んでくるが、それもすぐのこと。直後にそれを感じたのか、顔がさらに引き締まった。
「少しずつ近づいて、様子を見ましょう」
気配自体は多くない、どころか少ないとはいえ、流石に二人で相手するのは荷が重い。お互いに顔を見合わせ、渡辺さんの提案に首肯する。
ぺちゃ、ずる、ずるるる……。
足場のせいで、音がなってしまうのはもうどうしようもない。それでも少しでも立てる音を小さくするため、足を滑らせるようにして移動する。気づかれるのを防ぎ、少しでも暗闇に目を慣らすためにも、ライトの光は既に消してある。
ぼんやりとした視界と、手で触れる壁を頼りに進んでいき、ようやく。
「あそこ。少し広い部屋のようです」
前をいく渡辺さんが指差す先。まだ慣れきっていない目ではあるが、それでも少し広い空間のようなものが映る。
「ということはあそこに……」
「ええ、間違いないでしょう」
もう一度頷き合うと、さらに慎重に前進していく。そして、もう少しで部屋の中も覗き込めるかという所まできた時。
ひゅるるる……、ひゅるるる……。
「……何か聞こえませんか?」
そんな少し気の抜けた、もとい風が通るような音が聞こえてくる。それも一定の間隔で、だ。
「一定の間隔……?」
「私も多分同じことを思いました。……ですがこれはおそらくその通りでしょう」
この同じ間隔で途切れることなく聞こえてくる、音。まるで寝息のようで。
「寝てる……?」
「でしょうね」
ずり、ずり、と足を引きずりながら部屋の目の前までたどり着いた。対して、部屋の主からは特段反応もない。聞こえてくるのは、変わらず気の抜けた音だけ。
ぐい、と頭を突き込むようにして部屋の中を、部屋の主の顔を覗き見る。果たして、その目はしっかりと閉じられていた。
「これは……いや良かったというべきなのでしょう」
決死の覚悟で乗り込んだ先で、敵がまさかの睡眠。しかも俺たちが何か策を弄した結果ですらない。ただ単純に、敵が、ドラゴンが部屋で眠りこけていた。流石に俺たちの気も少しは抜ける。抜けてしまう。
「さて、どうしましょうか」
そこまで考えた所で、渡辺さんの声に抜けた気を取り戻す。そうだ、気を抜いている場合じゃない。
「私たちが取れる選択肢は二つです。無論、倒すか、無視するかですね」
「…………」
倒す。
渡辺さんのその言葉を聞いた瞬間、心の中に黒いものが湧き上がってくる。これまで何度か感じたあの感覚。しばらく感じなくなっていたからか、あっという間にそれに呑まれていく。
……殺す、仕留める、狩る。
途端にそんなことしか考えられなくなってくる。そうして、飛び出しかけた俺の肩に、不意に手が置かれた。
「落ち着いてください。……まぁそれには自分も賛成ですが」
「……っ。すみません」
その一言に、ようやく自分が足を前に出していたことに気がつく。もう後一歩も踏み出していれば、そのまま駆け出していたかもしれない。その足を戻してから、渡辺さんに向き直った。
「いえいえ。……さっきも言いましたが倒すことには自分も賛成です。ただ、あの巨体です。普通にやっても手こずるとは思います。どうしますか?」
そう、巨体。目の前のドラゴンは狙ったように、奥への道の前でその巨体を横にしている。辛うじて後ろにある部屋の出口は見えるが、とても回り込んでどうにかなるようには見えない。
奥に行くならば、巨体を退けるか踏み越えるしかないだろう。
「目を、狙うのはどうでしょう?」
「なるほど、定石通りでいいですね。では自分は向かって右を潰します。反対側はお願いできますか?」
渡辺さんの提案にこくりと頷き。
ぶじゅ……。
今度は二人で一歩を踏み出す。足音は消せないが、それでも慎重に進んでいく。
一歩、一歩と進めていき、そして。
「いま……!」
「っ!!」
渡辺さんのその合図で、俺たちは同時に強く地を蹴る。足を取られてしまわないか不安はあったが、それでも体は強く跳び、そして。
そして、目の前の巨体に襲い掛かった。




