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おまけ

「はぁ……」


 孝太は、すっとぼけた返事しか出来ないでいた。


 プライベートのインタビューと言われても、脳筋の彼が面白いことなど言えるはずなどないのだ。


 くすくすと、周囲から笑い声が起きる。


 孝太は、それに恥ずかしくなって首を竦めた。


 雑誌の取材。


 こうやって、彼の人気が出れば出るほど、防衛戦の興行収入が上がり、ファイトマネーにも反映するから、いくつかは出ておけと社長に言われていたのだ。


 どうせならと孝太は、美奈子が仕事をしている出版社の取材を、受けることにしたのである。


 その方が、美奈子のためにもなるのではないか。


 バカなりの、浅はかな考えによるものだった。


 前に、彼女の家で会ったことのある雑誌社のスーツの男も、隅の方からこっちの様子を見ている。


「KO孝太って、何で呼ばれるようになったの? やっぱり、KO数?」


 インタビュアーの言葉に、孝太は軽く天井を見た。


 難しい質問ではなかった。


「あの、単にオレのイニシャルが、KOなんで。そっから、先輩たちがふざけて呼ぶようになっただけです」


 岡崎孝太。


 Kouta OKAZAKI。


 そんな単純なところから始まった、馬鹿馬鹿しいあだ名。


「いいね、いいね。イニシャルKO…それ、表紙のコピーに使わせてもらうよ」


 何だか分からないが、インタビュアーは喜んでいるようだ。


「プロになって、破竹の勢いで勝ち進んだ孝太くんだけど…一回だけ負けてるよね。やっぱり、悔しかった?」


 あの日のことを、掘り起こされる。


「くっ! やしかったっす!」


 反射的に、彼は身を乗り出して答えていた。


 あの悔しさはもう、本当に言葉に出来なくて。だから、彼は会場を飛び出して、ただ走ったのだ。


 だが。


 その日、美奈子に出会った。


 負けた日の中で──唯一よかったことだった。




「ぶわっはっはっはっは!」


「誰だ、こいつ!」


 孝太は、ぶすったれていた。


 ジムの先輩たちが、先日の取材の雑誌を開いて、抱腹絶倒の騒ぎで笑い転げているのだ。


 雑誌の名前とか、聞いてなかったな。


 てっきり、普通の週刊誌か何かだと思っていたのだが。


 まさかまさかの女性ファッション雑誌、だった。


 なのに、表紙は孝太。


 インタビューの合間に、やたら写真を撮られていたのは覚えているが、はにかんで笑ってしまった写真が、ばっちり使われてしまったのだ。


 中も、1枚まるまるでっかい写真が使われ、その合間に記事があるという構成で。


 文章も、確かにこんなことは答えたが、1.5倍増しくらいに、かっこいい言葉にされていた。


 自分で見ても、『誰?』という騒ぎなのだから、孝太を知る人間が見たら、大爆笑だろう。


 まあ、いいけどさ。


 無駄な脚色は面白くはなかったが、孝太を貶めるものではない。こんな雑誌、1か月もすれば、新しい話題にとってかわられるのだから。


 そう、思いかけて。


 はたと、孝太は動きを止めた。


 ちょっと待て、と。


 自分は、この雑誌の取材を何故受けたのか。


 それが、引っかかった。


 そう。


 美奈子の、仕事関係の出版社だったから。


 ということは。


 この雑誌は。


 うわぁぁぁぁぁ!!!


 彼女も、見る可能性が高かった。


 ちょ、ちょっと待って!


 こんなかっこつけたことを、自分が言ったと思われたら、美奈子に呆れられそうな気がしたのだ。


 少なくとも、苦笑くらいされそうだ。


 そりゃあ。


 彼女の前でくらいは、かっこつけたいところはある。


 けれども、それは決して──こんな形ではなかった。




「こ、こんにちはっ!」


 雑誌が発売された後、勇気を持って孝太が美奈子の家を訪ねた時、彼女はすぐに玄関に出て来てくれた。


「「いらっしゃい、孝太くん。どうぞ、上がって」」


 いつも通りの美奈子の様子に、彼はすこしほっとした。もしかしたら、あの雑誌を見ていないのではないかと思ったのだ。


 しかし、「お邪魔します!」と上がった居間のテレビの横に、孝太が表紙の例の雑誌を見つけた時、「うわあああ!」と思わず変な声をあげてしまった。


「「孝太くん?」」


 しゃがれた美奈子の声は、とても怪訝そうで。彼は、雑誌に目を釘付けにしたまま、あわあわと落ち着きのない声を出してしまうのだ。


「見たよ、ね……これ」


「「え、ええ……孝太くん、かっこよかったわよ」」


 にこりと美奈子に微笑まれ、チャンピオン戦でもたじろがなかった心臓が、じたばたとしてしまう。こっぱずかしいというのは、まさにこのことだと彼は思った。


「何かこう、いろいろ脚色されてて……恥ずかしいんで、美奈子さんこれ捨てて!」


 雑誌をひっ掴んで、孝太がそれをぐしゃぐしゃにする直前、横から白く細い指が伸びてそれを止めた。


「「孝太くん、待って。私、孝太くんの写真持ってないから、孝太くんのついている雑誌を買って眺めるのがいまの楽しみなのよ。それを奪わないで?」」


 優しく諭されて、孝太はうっと言葉に詰まる。彼女が自分のことを思ってくれていると分かるのは、嬉しいことなのだ。


 しかし、理不尽な気分もまた拭えなかった。孝太は、美奈子の写真を持ってないし、手に入れようとしても手に入らないのだか──あっ。


「美奈子さん、オレも、オレも美奈子さんの写真欲しいっす……もらえませんか?」


 手に入らないのであれば、本人にもらえばいいのだ。


 孝太は、見事に孝太理論を振りかざし、本人に突撃した。一瞬、面食らった顔をした美奈子が、少しの間をあけてふふふっと微笑む。


「「最近は写真も撮ってないから、昔の写真しかないわ……そうね、孝太くんくらいの年の写真かしら」」


 微笑が、途中で苦笑に変わる。そして彼女は、本棚の中からアルバムを引っ張り出すのだ。


「「うう、余り写真映りよくないのよ……ああ駄目、やっぱり学生時代の写真は恥ずかしいわ」」


 彼女が一人でアルバムを開いては悶えていたので、孝太は我慢しきれずに、そんな美奈子の背後から、手を伸ばしてアルバムを奪い取った。


「「あっ、駄目よ孝太くん!」」


「美奈子さんだって、オレの見て欲しくない写真見たんだから、見せて下さいよ」


 そうして開いていたページを見たら。


 そこには、高校のセーラー服姿だろう美奈子の写真があって、思わず孝太は動きを止めてしまった。


 頭の良さそうな、静かな佇まいの写真。


 もしも、彼らが同じ年で同じ高校であったとしても、決して孝太が近づくことの出来なかっただろう、賢そうなオーラがそこにはあった。


 実際、現実であっても、彼女は頭脳労働。孝太は肉体労働である。噛み合わなかったはずの二人が、本当に針の先ほどの確率で出会ったのだと思い知る瞬間だ。


「これ、美奈子さん、オレ、これ欲しい!」


 一人で、校門を前にカメラの前に立つセーラー服の彼女を指差して、孝太は訴えた。


「「高校の卒業式の時の写真よ、それ」」


 恥ずかしそうに手を握ったり開いたりしながら、美奈子が唸る。


「これがいい。セーラー服の美奈子さんが、オレを見てる気がする。何だろう、胸がむずむずする」


 彼女を愛しいと思う気持ちは、いつも孝太の中にある。しかし、この写真はその気持ちを更に強いものにするのだ。


「「その気持ちは、何となく分かるわ……私もこの雑誌の孝太くんを見てたら、胸がむずむずしたもの」」


 困ったように微笑みながら、美奈子はさっき孝太が台無しにしそうになった雑誌の表紙を見つめている。


 そんな彼女が、自分の方を向くまで根気強く待っていると、美奈子の視線がゆっくりと上がってきた。


「だから、この写真オレに頂戴? 美奈子さん。すっげー、欲しい」


 色気のある言葉や、ムードに溢れた言葉は、孝太は持っていない。ただ正直に自分の気持ちをぶつけるだけしか、彼には出来ないのだ。


「う……分かったわ。いいわよ、持っていって」


「美奈子さん……可愛い!」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる美奈子が可愛すぎて、孝太はアルバムを握ったまま、彼女をぎゅっと抱きしめてしまったのだった。




 その日から、孝太には宝物がひとつ増えた。


 わざわざ新しいアルバムを買い、その中に一枚だけの美奈子の写真を大事に入れるのだ。


 早くこれがいっぱいになればいいと彼は願ったが、カメラを買うという発想はなく、アルバムの二枚目以降が埋まるには、長い時間が必要だった。


 それでも、たった一枚の美奈子の写真は、その後の孝太を何度も、そして長い時間多くの幸せを与えてくれたのだった。



 美奈子もまた、雑誌に載った彼の写真を大事にスクラップして、ふと開いては幸せな気分を味わっていることを孝太が知るのは──もっとずっと後になってからだった。



『終』



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