表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3-8 十七歳の境界線【ザラメ砂糖三代記】  作者: maki_senokouji


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/4

第1話 十七歳のブリーフィング

 春の陽光が、アンティーク調の擦りガラスを通して、放課後には少し贅沢なパティスリーの店内に柔らかな模様を描いていました。

 ショーケースに並ぶ宝石のようなケーキたちには目もくれず、川野詩織は手元のダージリンティーのカップを静かに置き、向かいの席で苺のタルトを幸せそうに見つめている親友を、少しだけ呆れたような、けれど温かな眼差しで見つめました。

 「……で? 秋葉原の一件のその後の進捗状況、そろそろ聞かせてもらおうじゃない」

 詩織の問いかけに、高校三年生になったばかりのまさ子は、ふんわりとした、いつもの「ふわゆる」な笑顔を向けました。

 数週間前、まさ子が秋葉原のメイド喫茶「リトルキャット」に単身で突撃し、体験入店をした事件。結局一日行っただけで、邦明にお店から連れ戻されたとは聞いていましたが、その時の邦明の反応や、それで二人の関係がどうなったのかをまだ聞いておらず、詩織は気になっていたのです。

 「はい。あの日、叔父さまと一緒にマンションに帰った後のことです。お部屋に入った途端、叔父さまが普段の冷静なお顔を真っ赤にして、深い溜息をついていたんです。そして、私の目を真っ直ぐに見て言ってくれました。『まさ子のあの格好はとびっきり可愛らしかった。だから、もう二度と、他の男の前では着ないでくれ』って」

 「へえ。あの堅物で生真面目なおじさんが、随分と素直な独占欲を見せてくれたじゃない」

 「えへへ、本当は、私が問い詰めたんですけど。でも、もう、あの叔父さまの言葉を思い出すだけで、幸せで、胸の奥のザラメ砂糖が甘く溶けていくようです。……あと、その後のことと言えば、驚いたことに、数日してお店からお洋服が一式届いたんです」

 「お洋服って、メイド服? お店で着てたやつ?」

 「いえ、お店でお借りしたのは、新人用の着回しでしたけれど。送られてきたのは、新品で、きっとお店のトップの子たちが着るような明らかに質の違う最高級の生地で、しかも私の体型に寸分違わず仕立ててあったんです。『一万年に一人の逸材へ。気が向いたらまた遊びに来てね』と女将様からのお手紙付きで。頂いていいのか分からなくて叔父さまに聞いたら、『まあ、もらっておけ』とのことなので、そのまま頂いてお部屋に置いてあります」

 詩織は感心したように息を吐きました。

(なるほどね。期待のまさ子をなんとか繋ぎ止めるのと同時に、裏の世界の重鎮であるおじさんの機嫌を損ねないための、心づくしの貢ぎ物ってわけか。その女将、なかなかのやり手ね)

 大人の世界の生々しい処世術を察しつつ、詩織は視線をまさ子に戻しました。

 「それで? まさかそのメイド服着て、またお店に行ったの?」

 「いえ、お店には一度も。ただ、叔父さまが深夜にお仕事で疲れて帰っていらした時、たまにそのお洋服でお出迎えをするようにしています。叔父さま、毎回とっても困ったような、でも嬉しそうなお顔をなさるんです。あれは喜んでもらえているのですよね?」

 両手で頬を包み込み、この世の春を全て独り占めしたように身悶えするまさ子を見て、詩織は小さくため息をつきました。

 「……ちょっと、まさ子。あんた、それで満足しちゃってるわけ?」

 「え? いけませんか?」

 「大いにいけません。あのね、おじさんのその言葉も態度も、まさ子を女性として意識している何よりの証拠よ。でもね、だからこそ厄介なの」

 老舗である川野製菓の令嬢ですが、子どもの頃から大人の職場で揉まれてきた詩織には、すでに人を見る目が同世代よりも格段に厳しく身についています。そんな詩織ですから、何度もまさ子と一緒に駿河台のマンションに足を運んで邦明の人となりを見てきて、彼がどれほど誠実で、まさ子を大切に想っているか理解していました。

 「おじさんはね、誠実で、責任感が強すぎるのよ。自分が年上の身内だっていう立場を重んじるあまり、まさ子を『可愛い姪っ子』っていう安全な箱にしまっておくことで、自分の理性を必死に抑え込んで、まさ子を傷つけないようにしている。決して誤魔化そうとしてるわけじゃないと思う。まさ子の将来を誰よりも案じているからこそ、自分から動けないのよ。そういう意味ではあの頃の私の旦那様と似ているわね」

 「しいちゃんは、もう、戸崎さんと籍を入れたのですか?」

 「まだだいぶ先よ。ためしにちょっと言ってみただけ。さらっと言ってみたけれど、つっこまれるとまだ恥ずかしいわね。」

 これだけで結構顔を赤らめている詩織も、まだまだ可愛い純情女子高生です。

 「私だって、あのおじさんならまさ子を一生大切にしてくれるって確信してるから、こうして応援してるのよ。でもね、今の『最高に気の利く同居人』のままじゃ、あの生真面目な人は絶対に自分から境界線を越えようとしない。下手したら、このまま まさ子が二十歳をすぎても、今のまま理性を保ち続けちゃうわよ」

 詩織の言葉に、まさ子のフォークを持つ手がピタリと止まりました。

 ふわゆるな空気が鳴りを潜め、その可憐な童顔の瞳の奥に、底知れぬ濃密な情念が静かに渦巻くのが見えたように詩織には感じられました。

 「……そのままでは困ります。私は叔父さまのお嫁さまにしていただくのです」

 「だったら、あの強固な理性の境界壁を壊すには、あんたから行くしかないでしょ」

 詩織は身を乗り出し、声を潜めました。

 「いい、まさ子。明日は学校がお休みでしょ? それで、今日もこれから、駿河台のマンションに向かうのよね?」

 「はい。夕食の支度をして、叔父さまの帰りを待つつもりです。お帰りまでは、東帝大の過去問を解いていようかと」

 「その私達の特権である『受験勉強』っていう最高の大義名分を、最大限に利用するのよ」

 詩織の目は、友を思いやる優しさの中に、策士としての鋭い光を帯び始めていました。

 「数学の難問でも物理でも構わない。とにかく、おじさんの目の前で勉強に没頭するの。そして、気がつくと午前零時をとっくに回っている。当然、終バスはない。……完璧なシチュエーションでしょ?」

 「ですが、叔父さまのマンションとうちの家は歩いても大した距離じゃありませんから、叔父さまのことです。『俺が送っていく』か、あるいは『タクシーを呼ぼう』と言うと思います」

 「そこからがあんたの腕の見せ所よ。おじさんは慢性的な寝不足と過労なんでしょ? 『叔父さま、お疲れなのに夜中にうちまで往復なんて危ないです。私、今日はソファで仮眠を取らせてもらいますから、叔父さまはゆっくりお休みになってください』って、その潤んだ瞳で見つめるの。あの心優しいおじさまが、愛しい姪を深夜に一人で帰らせたり、冷たいソファで寝かせたりできるはずないじゃない」

 まさ子は音がしそうなほど瞬きを繰り返し、詩織の描いたシナリオを脳内でシミュレーションしました。邦明の性格と、まさ子に対する過保護なまでの優しさを考えると、これまでであれば、まさ子が何と言おうと帰されるように思われます。残念ながら、成功率はあまり高いとは思えません。

 しかし、今のいま、というタイミングを考えると、何か、これまでとは違う邦明の反応がありそうな気がするのも否定し切れません。その意味では、詩織が授けてくれた今夜の計略は、まさに今、施すべき好機と言えそうです。

 まさ子の頬がわずかに朱に染まります。

 「でも、しいちゃん。私は、二十歳になるまでは、叔父さまとそういう身体の関係にはならないと、自分の中で固く決めているのです。ソファでなく一緒に叔父さまのベッドで休むというのは……。今夜お泊まりをしたからといって、その一線はまだ越えるつもりがないのです。可愛気ないかもしれませんが」

 「ちょっと、まさ子ったら」

 詩織はコロコロと笑い声を立て、自分のバッグをごそごそと探り始めました。

 「私がまさ子に、今夜最後まで行きなさいなんて、そんなこと勧めるわけないでしょ。今夜のあんたの目的はね、おじさんの分厚い理性の壁、彼がこだわっている『叔父と姪』っていう境界線を、一度きれいに消してしまうことなの。『私はもう、ただ可愛がられているだけの子どもじゃない』って事実を、おじさんの脳髄に叩き込んでやるのよ。北風を溶かすのは、太陽の熱だけ。あんたの情熱で、あの頑ななおじさんの建前をドロドロに溶かしてきなさい。大丈夫、あのおじさんのことだから、溶けたところで、たかが知れているわ」

 そう言って、詩織はテーブルの上を滑らせるようにして、小さな四角いパッケージをまさ子の目の前に差し出しました。

 「……しいちゃん、これは?」

 「お・ま・も・り。万が一の時のための、女の覚悟よ」

 そのパッケージの中身を察した瞬間、まさ子の耳の先までがカッと熱を持ちました。

 「持っていきなさい。使う場面にはならなくていいの。でも、これを持ってるって事実が、まさ子に覚悟、つまり、『女としての自覚と余裕』をくれるから。……いい? 今夜を絶対に逃がしちゃダメよ」

 詩織の真っ直ぐで力強い眼差しに射抜かれ、まさ子はコクリと唾を飲み込みました。

 そして、震える手でその小さな「お守り」を掴むと、学生鞄の奥底へと、そっと沈めたのです。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ