第212話 本音
レグナント王城内の知られざる大広間で、剣と拳が激しくぶつかり合う。
ノアが魔力を纏えば極寒の氷が室内を覆い、だが次の瞬間にはカイロスの拳圧がそれをたやすく砕く。
それは幼き少年と引退間際の老兵の闘いではなかった。
才覚としての剣神と、拳帝の名を持つ王。
王城を揺らすその衝突は、歴史に刻まれてもおかしくない戦闘であった。
高速で拳と剣が交錯するさなか、拳帝カイロスはノアが技や魔力を発動するたび、その胸に刻まれた聖印から微かに滲む“竜の気配”を感じ取っていた。
「その魔力……自律してお前を守る氷の盾。自身に眠る力の根源に順応し始めているな」
重い打撃を打ち込みながらの低い声音が響く。
「そうだ! ライゼル先生との特訓で目覚めたこの盾で、みんなを守るんだ!」
ノアの感情に呼応するように、氷盾が唸りを上げて先行し突撃する。
「あんたみたいな、脅威からね!」
二枚の氷盾が攻撃の起点として加速する。
一枚が正面から牽制し、もう一枚が死角へ回り込む。
防御と攻撃を同時に成立させる、氷竜共鳴の応用。
カイロスはそれをいなすため両手を氷盾へと集中させた。
相手が防御に回ったと判断したその瞬間。
盾の軌道の裏――死角に潜んでいたノアが、迸る魔力を刃へと凝縮し、氷の斬撃を振り抜こうとしていた。
「ここだ!」
両手を塞がれているカイロスを見て、ノアは斬りかかりながら、確信した。
この距離なら、カイロスのガードは間に合わない。
確実に斬撃が入る。……だが、全力で振り抜けばカイロス皇帝は致命傷になるのは必至だった。
対モンスターならともかく、人相手に本気の魔法剣で斬ったことはない。
ライゼルとの特訓は本気で取り組んでいたが、真剣や魔力で顕現させた剣を生身に打ち込んだ経験は未だなかった。
それゆえか、ノアは無意識に刃に込めた力をわずかに緩めてしまう。
――その刹那。
カイロスの眉が鋭く跳ね上がる。
情けをかけられたと悟った瞬間、その体から怒気が噴き上がった。
「貴様、この拳帝カイロス相手に、戦いの中で手を抜くとは!……見くびるなよ!!」
「くっ!」
そのあまりの迫力と闘気に、ノアは咄嗟に氷盾を戻そうと魔力を込め操作するが。
――動かない。いや、動かせない。
「何かに……押さえつけられてる!?」
焦りの中、カイロスの背に強大な存在をノアは感じ取った。
カイロスの背後に、光と闇の二体の竜の化身が顕現していた。長い首を伸ばし、ノアの氷盾を咥え、強引に抑え込んでいる。
「その甘さが招いた結果だ! 特と味わえ!」
カイロスは深く身をかがめ、勢いよく突き上げるように拳を振り上げる。
燃え滾る魔力を宿したボディブローが炸裂した。
「ぐはっ!」
ノアの身体はくの字に折れたかと思うとそのまま天井へと凄まじい勢いで叩き上げられた。
天井にぶつかり、そのまま重力に引かれて地面へと落下する。
鈍い衝撃が背中を打ち、肺の奥に残っていた空気が強制的に押し出された。
「ゲホッ……!」
胴体を抉るような痛みが遅れて走る。
内側からえぐられる感覚に歯を食いしばり、視界が一瞬白く揺らぐ。
それでも意識を手放すまいと無理やり体を起こそうとした瞬間――
すでに拳を振り下ろしているカイロスの姿が視界に入った。
あまりにも冷徹で、躊躇の欠片もない。
咄嗟に後方へ身を引く。振り下ろされた拳が石床を叩き割り、衝撃波が足元を震わせる。砕けた石片が弾け飛び、間髪入れず横薙ぎの蹴りが迫った。
「まだだ、来いっ!」
体勢が整わないまま歯を食いしばると、竜の拘束をふりほどいた二枚の氷盾が自律的に滑り込み、カイロスの蹴りと激突する。
ガゴンッ!
甲高い音とともに衝撃が拡散し、カイロスを押し返した。
すかさずノアは顔を上げ、氷の魔力を刃の形に凝縮して魔剣を生み出す。
つう、と口の端から血が流れ落ちる。手で拭うとペッと吐き出した。
痛恨の一撃を喰らってなお即座に立て直したが、ノアの腹部には見過ごせないダメージを負っていた。
「今のをくらって倒れないとは……なるほど。ライゼル将軍の指導についていっているのも頷ける。」
皇帝の声音は落ち着いている。怒りの熱は消え、冷静な観察者の目がノアを射抜いていた。
「カイロス皇帝……あなたも竜の魔力を使えるのか」
虚ろになりながらも、ノアの視線はカイロスの背後に浮かぶ二体の竜の化身を捉えていた。
「……光と闇、二属性の竜の化身を」
構えていた拳をゆっくりと下ろし、カイロスは静かに語り出す。
「お前と私に宿る竜の力。帝国の支配者の証――竜の継承印を持つ私が、それを扱えるのは当然のことだ」
その言葉に戸惑いながらも、ノアは自らの力について答えを求めていた。
「その竜の印とか血筋とか……この力は一体なんなんですか!? ただの魔力の源じゃないの!?」
真実を求めるノアの叫びに、カイロスはわずかに口角を上げる。
「それなら、互いの力が教えてくれるはずだ」
言うが早いか、背後から素早く伸びた闇竜がノアへと襲いかかる。
その瞬間、一枚の氷盾が即座に割り込み、闇竜の顎を受け止めた。二つの魔力が火花のように散り、激しくぶつかり合う。
「かつて竜族が、人と魔を守る本来の存在だった時代がある。竜を崇め、共に在ろうとした人と竜が混じり合い、子を成した」
闇竜と氷竜の魔力同士が空中で衝突し、軋む。
「そして、特別な印を宿した竜と人との間の子は、竜の力を扱える特別な存在となった」
「人と竜の子!? そんな話、聞いたこと……!」
その瞬間、二体目の光竜がノアの頭上から飲みこもうと迫る。
だが二枚目の氷盾がすかさずその顎へ滑り込み、強引にノアから軌道を逸らした。
「これは特別な竜の継承印を持つ一族にしか伝えられぬ歴史だ。だからこそ――今、お前に話している」
皇帝カイロスがノアの眼をしっかりとらえながら言い切る。
「故に、竜印を持つ者には竜本来の属性である光と闇の属性が宿るのだ」
言い終えると同時に、カイロスが一気にノアの真正面へと距離を詰めた。
即座に放たれた正拳突き。その拳には竜の形を象った魔力が具現化していた。
ノアは氷の刃を交差させ、辛うじてそれを受け止める。拳と双剣の支点が激しく拮抗し、互いの魔力で空気が軋む。
額と額が触れ合いそうな二人の距離でカイロスが問う。
「それでも……竜の継承印をもつ者でさえ、光と闇の二属性が限界のはずだ……だがお前は違う。それすらをも凌駕する“全属性”を持つ」
拳に込められた竜の魔力が、さらに増し咆哮を上げている。
「しかしなぜかその中でも水冷属性が顕著に現れ、お前の主体となっている。……これには何か意味がある」
鋭さを増した視線が、ノアの奥を射抜く。
「心当たりがあるのではないか? 根源と精神を通じ合わせた時――あるいは、別の形で“知った”のではないか? なぜ氷竜なのかと」
その問いに、ノアの心臓がドクンと跳ねた。
まだ誰にも話していない真実。双子のカナリアにさえ告げていない、禁書での過去の追憶。
そこを、正確に射抜かれた気がした。
「何を見た? 何を感じたのだ、ノア。答えろ。真実を話せ! そこに、いま世界を取り巻く状況を、打破する答えがあるやもしれぬのだ!」
拳を押し込みながらの叫び。焦りに近い熱が、ノアへと叩きつけられる。
だが――
ノアの出した答えは、恐れでも理屈でもない。ただ、自分の心に従ったものだった。
「……やなこった!」
押し返すようにノアが睨み返す。
「姉さんにもまだ話してないのに、アンタになんて話すもんか!」
氷の刃が軋み、衝撃で足元の石床が砕ける。
「それに、昔なにがあったかなんて関係ない。今を生きてるのは僕たちだ。世界を守るのも僕たちだ!」
胸の奥の痛みも、動揺も、すべて押し返す。
「だったら全属性でも竜の力でも剣神でもなんでもいい……みんなを守れるなら、なんだって利用するって決めた!」
その叫びとともに、カイロスの拳を受け止めていたノアが両刃を振り抜いた。
氷の魔力が爆ぜ、その勢いに押されてカイロスの身体が後方へと押し出される。
二枚の氷盾がビキビキと軋みながら蒼白の魔力を放ち、カイロスの背後にある竜の化身を凍りつかせようと迫った。
闇竜と光竜が唸り、氷盾を弾き飛ばす。
凍結寸前で解放された竜は、大きく翼を打ち、再びカイロスの背へと収まった。
「やはり、まだ子供か。理想だけで解決するほどこの世界は甘くはないぞ」
冷ややかに告げるが、その瞳の奥には微かな苛立ちが宿る。
「お前が話さないのなら……やはりユリウスを連れ戻すしかないようだな」
「竜の継承印は僕に出たのなら、もう父さんは関係ないでしょう!」
食い下がるノアに、カイロスは静かに首を振る。
「いや。何かは知っているはずだ。白状させる」
一瞬の静寂。
その間に滲んだカイロスの表情は、怒りや執念というよりも、ある種の諦めや悲哀に似た感情であった。
「……そもそも、ユリウスもロザリアも、なぜ私に話さずに消えたのか! なぜ私を頼らなかったのだ……。」
拳を握りしめたまま、カイロスの視線がノアを射抜く。
だがその眼差しは、いま目の前にいる少年だけを見てはいなかった。
その目には幼き日のユリウスの姿が、ノアと重なって見えていた。
「お前達を……守ってやれるのは私だけだったというのに……」
その言葉は、皇帝としてでも、竜印を継ぐ者としてでもない。
ただ一人の男として、思わず零れ落ちた本心が大広間に響いた。
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引っ越し中につき絶賛不定期更新中です。
3月10日以降ペースもどしますので隔日投稿ができない日は察してくれたら幸いです。
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