踊る王子のタメ息
してやられた。
教室を冷凍庫に変えつつあるカノンを横目で見ながら、リョウは眉間を揉んだ。
首を緩く回す。肩もかなり凝っている気がする。
これは頭痛がする予感か。
それとも、頭痛を起こす事態になる予感か。
今頃、星蘭の腕の中では、マリカが怒りで憤死しそうになっていることだろう。
それを思うと、さらに眉間がズキズキと痛む。
がっちり手綱を握っていたはずのイノシシが、手綱を引きちぎって暴走した。
いや、あれは全てのお膳立てを破壊する、直感と思い付きで生きている野生の生き物なのだ。手綱などつけられるわけがない。うっかり目を離してしまったカノンが悪い。
それにしても、まさか幼稚舎メンバーをバラバラにするとは。やってくれたね。
グループ分けをくじ引きで決めるだけならば、工作のしようがあった。しかし、幼稚舎メンバーを引き離すのであれば、リョウ達は絶対に同じ班になれない。
それがわかっているからだろう。
星蘭の案に賛同したクラスメイトに、カノンは冷気を張りながらキラキラとした美しい微笑みを放射している。
初等科から入ってきた者達はうっとりと見惚れているが、幼稚舎からのメンバーは蒼白だ。
------カノンは本当に怒っている時こそ、美しい微笑みを浮かべるのだから。
その証拠に、幼稚舎メンバーの一人である賀茂清明は、ぶるぶる震えながら魔除けの印を切っている。
陰陽師の家系に生まれた彼は、幼稚舎時代は怪談話に詳しい幼児で、よくカノンを泣かせていた。
ガラス細工のような顔が、怖い話を聞いた時だけハラハラと綺麗な涙を溢していたのを覚えている。
そんなある日、合同遠足の送迎バスが、飛び出してきた黒猫をひいてしまった。停車したバスから降りたリョウ達は、その無残な姿を見て硬直した。すすり泣く女の子もいたと思う。
カノンは無表情で、死んだ猫にすり寄る子猫を抱き上げていた。そんなカノンを清明は「親を殺された呪いがお前に移るぞ!」と脅したのだ。
カノンがまた泣く!………とみんな思った。しかしその前に星欄が「ふぁ~はははははは!ブロック~!!」と雄叫びをあげたのだ。そして手や服が血まみれになるのもかまわず血塗れの猫を両手にのせてアフリカの呪術師のように天高く上げた。猫から垂れた血は白い頬にも飛び散り「生き返れ~!!」と叫んだ時には、あまりの不気味さに腰が抜けた。そして星蘭は、止めようとした運転手や先生を振り切り、猫を頭上に掲げたまま山の中に消えていった。
あれは怖かった。星欄恐怖話の中でもベスト10に入ると思う。
その夜、大王はおねしょをしたらしい。
次の日、星蘭は珍しく幼稚舎を休んだ。
熱を出しても気づかないおバカの星蘭がだ。
それを知った清明は「呪われたんだ!」と宣言した。そして「お前も呪われるぞ!」とカノンに指を突き付けた。
しかし、いつもなら俯いて泣くはずのカノンは、とびっきり綺麗な笑顔を浮かべただけだった。
そして、真っ赤な顔の清明に近づいて、微笑みながら股間を握りつぶした。
あれは、ひどい絶叫だった。うん。
それ以来、清明はカノンが笑みを浮かべると挙動不審になる。
ちなみに、星蘭はつきっきりで猫の様子を看ていただけだった。あの山の中からどうやって白鳥家お抱えの動物病院に連れて行ったのかは、永遠の謎だ。親猫は奇跡的に助かって、今も子猫と一緒にレオパルドの家で飼われている。
カノンは猫アレルギーだったのだ。
最低な言動を繰り返していた清明だが、本当はカノンを女の子だと勘違いしていて、初恋の相手に構って欲しくていじめていたらしい。
思えば、暴走する星蘭と暴走を止められず憤怒するマリカ、そしてまわりに切れるカノンを宥めるのはいつもリョウの役目だった。
なにせ、彼らは外面と内面が違いすぎる。
…………仕方ない、今回もなんとか事態を収拾するか。
幸いにも、クラスには初等科から入った大王の犬がいる。彼を自分達のかわりに星蘭の班に潜り込ませよう。
あとは、食いしん坊の星蘭お気に入りの有栖川くるみ。
彼女は初等科からの入学生だが、おっとりしていて星蘭がバカなことをしても気づきそうにない。なにより、人の頼みごとを断れなさそうなのがいい。
一応、人選に誤りがないか、大王にも確認しておいた方がいいだろう。
この様子では、どうせ今日はこのままホームルーム終了だ。
リョウは星蘭の荷物を片づけて立ち上がった。
「カノン、マリカ姫の荷物を持って来てくれ。ブランシュで戦略を練る」
振り返ったカノンの神々しいまでに美しい笑顔にタメ息がもれる。
ああ、これから長い一日になりそうだ。