同刻 址藍弖市危険区域 境界付近 喫茶店「エリアル」
私だって、お洒落には気を遣う。だけども、それは意地だ。誰かに見せたいとか、褒められたいとか、そんなんじゃない。私だって出来るんだぞ、そう私自身に思わせるための儀式じみた真似だ。だから、他人が良く思うであろう格好をしようとするけど、本当は他人の目なんてどうでもよい。そんな私に対して、紅李の装いは自然だった。無理がない。他人と関わることに慣れている、そんな印象を与えられた。垢抜けている、と言うのだろうか。瀟洒? 平気だとは思うけど、自分が野暮ったいと思われないか不安になった。
紅李は小走りに私へ近寄り、お辞儀をした。
「その節は、本当に有り難う御座いました」
「いえ、気にしないで。さあ、掛けて」
「では、失礼して……」
紅李が席に着いて注文したのは、偶然にも私と同じ紅茶だった。
「本当はお父さんかお母さんとも来たかったんですけど、二人は区域に入る事を禁止されているみたいで……。あ、つまらないものですが、どうぞ」
紅李は菓子折りを突き出す。
「あ、ありがとう。……ね、ねえ、ご両親は誰かに区域の進入を禁じられてるの?」
「はい。理由は話してくれないんですけど、昔、良くない事に関わっちゃったらしいんです」
「そうなの」
危険区域への進入は一般に禁止こそされていないものの、なるべく避けるような風潮が浸透している。当然の話だ。かと言って、特定の人物が区域への進入を禁じられるという例は聞いた事がなかった。国家も関わる機密情報が少なくない地域だから、そういう措置自体は不思議でもないけど、少し驚いた。
二つの紅茶が運ばれてきて、私達は一服する。ほっと一息吐くと、紅李がやや身を乗り出して切り出した。
「あの、ところで、今日はお時間ありますよね? 私、珠李さんのお話を色々訊きたいんです!」
「ええ、私の方も、貴女の話を聞きたいわ。そんな斜に構えないで。気安くいきましょう」
そうして、それから、私達はお互いの事を話し合った。もっとも、私が話せるのは特生対の職員であるという事実と、こういう時のために作られた幾つかの設定、真実をぼかした経験談だった。私がディフェンサーである事、その事の辛苦、お母さんとお父さんの許へ逃げたい事……私の胸の内側にある搔痒を我慢する度に、対面している紅李との間に、透明な壁が挟まっていて、それが為に会話の通じないような、虚無感を覚えた。
紅李の話は輝かしかった。私も途中までは、彼女と大差のない人生を送っていた筈なのに、どうしてか、肌を刺す日光みたいに輝かしかった。学校の事、習い事、先生の事、友達の事、両親の事……。紅李の話は透明な壁を打ち破って一方的に私を痛めつけた。私は辛かった。でも笑っていた。自分を惨めに感じる以上に、純粋に、羨ましかったからだろう。嗚呼、そんな人生って、良いな、って、思えたからだろう。いったい、私と紅李の、何がそんなに違ったのだろう。
途切れなく続いた会話も、お互いに少々の疲れが入ったところで、小休止となった。紅茶の匂いが漂う空間は、疲れを心地好いものと思わせてくれた。ここに来る前の、光との遣り取りが取り留めもなく思い出されても、ぞんざいな対応だった事を後で謝ろうと考えられるくらいには、私は落ち着いていた。
「ねえ、貴女とご両親の話、他にも聞かせてもらっていいかしら?」
「ええ、構いませんよ。え~と、こないだ……」
紅李のするご両親の話は、なんだか私に馴染んだ。私のお母さんとお父さんの顔が想い起こされた。だから、尚の事、心地好かった。
話はそのうち、私達自身の事に移った。何が好きとか、嫌いとか、何処に行きたいとか、此処は嫌だ、とか。
「あ、そうだ、珠李さん! 区域内の海岸って、泳げるんですか?」
「え? どうだったかしらね。特に封鎖はされていなかったと思うけど、どうして?」
「区域内の海岸って、穴場っぽそうじゃありませんか。私、あんまり水着になりたくないというか、いえ、水着はいいんですけど、人前で肌を晒したくないんですよね」
「恥ずかしいから?」
「恥ずかしい、というか、私、背中に大きな痣がありまして、それを見られるのが嫌だな、って。でも、海には行きたいし。仲の良い友達と一緒に、珠李さんと遊びたいな、とか。何かあっても、珠李さんが守ってくれますしね! なんて……。――珠李さん?」
「い、いえ、なんでもないわ。でも奇遇ね。私も背中に痣があるの。大きなやつよ」
「え!? 凄い! て、いや、喜ぶような事じゃないのかな? 痣だし。う~ん、でも、なんか、繋がりがあるって嬉しくなりますね!」
「そうかもね」
私はティーカップを受け皿に置いていた。何かを飲み下すのが、急に辛くなっていた。どうしてか考えようとしても、思考の塊がどんどん蚕食されていくような不快感を覚えるだけで、何も解らない。
「……その痣、原因はなんなの?」
「え? 痣が出来た原因ですか? 解りません。物心付いた時にはもうあって、お父さん達に理由を訊いても、知らないって言うんです。でも、病院には行く必要はないって頑固なんです。変ですよね。ちょっと酷いし。それに、偶に疼くような感覚があるんです。しかも、妙な予感めいたものまであって、ざわざわするというか、本当に落ち着かないんですよ」
こんなこと、これ以上、訊くべきではない。失礼だろう。聞きたくない。
「どんな予感がするの?」
「或る場所、或る方向に、何か在る、というような感覚ですね。それというのも、実はこの危険区域になにか在るような感覚なんです。ここ最近、この二ヶ月辺りはその感覚が頻繁になってきて、実は今もちょっと落ち着かないんです。区域の中心の方向に、何か居そうな気がします」
そこで、紅李は表情を一際、真剣なものに変えた。
「珠李さんは何かご存知ないでしょうか? 実は私、こないだ区域内に居たのも、その感覚の元を探るためで……。特生対の珠李さんなら、ひょっとしたら――」
「知らないわ」
「そ、そうですか」
残念そうな顔を、紅李は見せた。でも、直ぐに笑った。
「そうそう、この感覚にも二種類あって、一つは凄く嫌な感じがするんですけど、もう一つは逆に落ち着くんです。居るべき場所がそこに在るっていう感じです」
「居るべき場所?」
「はい。珠李さんからそんな感じがします」
屈託のない笑顔だった。私は時計を見た。
「ねえ、もうこんな時間だわ。そろそろ帰った方が良いんじゃない?」
「え、あ、そうですね。残念ですが」
私達は席を立つ。
「また会ってくれますか?」
「ええ、いいわよ」
「やった! ありがとうございます」
店を出て、少し歩き、別れ道。挨拶を済ませた紅李の背に、声を投げ掛けていた。
「待って」
紅李が振り返る。
「お互い、ちゃんと自己紹介をしてなかったわ。私は仲緒珠李、よろしくね」
「私は清裳紅李です。これからもよろしくお願いします」
「ええ、そうね。さようなら」
「はい、ではまた!」
紅李が去っていく。その姿を、ずっと私は見ていた。あれは、私の後ろ姿だった。
あかい夕陽が差している。