三時間後 特異生物対策本部 玄関広間
頭が働かない。待合椅子に座してから、どれくらいたったのか。時計を見る。短針は9を指している。考えたくない。むしろ、考えられない。解らない。死にたい。死にたくない。暗い。痛い。苦しい。
「おい、珠李」
呼び掛けられて、私は体を抱え込むようにして俯いていたと気付いた。はっとして顔を上げると、仲緒が私の前に立っていた。相変わらずの峻険な貌。
「なにをしている――いや、大丈夫か」
その声はいつものように威風辺りを払うようなものだった。だけど、たとえ形だけであろうが、そこに気遣いの言葉が含まれていた。ただそれだけの事だったのに、吐いている糸を引っ張られて動く芋虫みたいに私は、声を漏らしていた。
「……たい」
でも、声は言葉になっていなかった。だから、しっかりと聞き取ろうとしたのか、仲緒は片膝を折って、私に視線を近付けた。その動作に、また私は、引き摺られた。
「お母さんに会いたい……! お父さんにも!」
言葉が思ったよりも大きく口を衝いて出た。そして、私の頬を涙が伝う感触がする。私は仲緒の顔を直視できなくなって、必死に目を拭った。意味はなかった。
「済まないが、会わせる事は出来ない」
仲緒の返事が鈍く頭を打つ。どんな返事が来るかなんて解りきっていたのに。
私は声を上げて泣いていた。声を抑える事は難しかった。何度もしゃくり上げて、泣き止もうと唇を引き結んで、嗚咽が漏れて、そうしてまた声を上げていた。泣き止むこと以外は頭になくなっていた。それでも、泣いて、泣いて、きっと十分近く経ったろうか。私は漸く泣き止むことが出来た。漸く私は、本題に入ることが出来る。
「私に妹がいたなんて聞いていない」
仲緒の顔を見た。仲緒は明らかに面喰っていたが、すぐに平生の厳めしい表情に戻る。
「生まれたのは十四年前、お前が特生対の観察下に入ってから少し後だ。お前の母親が身籠っていたことは、お前の身辺調査の時点で判っていた。そして生後三か月の時点で調査部と研究部の合同で種々の検査が為され、何の異常もない、普通の赤子だということが判った。お前には、精神面への影響を考慮して秘匿された。彼女の名前は……」
「清裳紅李」
「そう、そうだ。その名前を何処で知った」
「そんなのはどうでもいい。それよりも、貴方は、貴方たちは、どこまで私を虚仮にし続ければ気が済むの? 私をこんなもので縛り付けて――」私は首輪を摑んだ。引き千切ってやりたい。「――強制と脅迫と嘘で戦いをやめさせない。どこまで……」
「お前の怒りももっともだ。だが、お前にしか出来ない役目だ」
「そんなの嘘よ! 私がいなくたって、デストラクターを倒す事は出来る! この前にそうしたし、私がディフェンサーをやる前はそうしていた筈!」
「危険が伴う」
「ディフェンサーの私には、なんの、危険も、ないって言うの!?」
「程度の問題だ」
「程度ってなによ! 百人が犠牲になるより私一人が犠牲になった方が良いって言うの!? 何なのよ、それ、なんなの……」
解っている。仲緒の言うことはまともだ。でも、それじゃあ、世界の正常さに弾かれた私はいったい何なのだ。これは何かの罰なのか。いいや、違う。紅李は、私と同じだった。同じ人生を歩んで、紅李だけが守られ、私だけが守護の外に弾き出された。人身御供を強要された。私は私だから守られなかった。世界は純粋に理不尽だ。
仲緒が立ち上がる。
「もう帰れ。いつデストラクターが来ても不思議はないからな。例の【人型】の事もある」
「いいわよね、貴方は」
「何がだ?」
「貴方は何も迷う事なんてない、何も苦しむ事なんてない。ただひたすら私を戦場に送り続けていればそれでいい。その一事に従っていればいい。特生対の奴らは皆そうよ。自分のしている事に苦しみなんてない。自分自身に迷うことなんて、これまでも、これからも、ありはしない。皆クズよ」
私の言葉を聞いて、仲緒は明らかに私を睨んだ。普段なら怖じ気付くところだけど、今はそれ以上に怒りが怒り以外の気持ちを押し退けていた。そうして暫しの無言があってから、仲緒は口を開けた。
「お前が俺や特生対の職員をどう思おうが、それは勝手だ。恨むにも正当な理由はある。だがな、誰も苦しんでいない、迷っていないというのは間違いだ。誰しもが、己の職務について、迷い、苦しむ事がある。自分自身に己が正しいのかどうか問い掛ける。子供ではないんだ」
「それでも貴方たちはいつか迷う事をやめるでしょう!? 苦しみを拒否して。私は違う。貴方たちが私に括り付けた苦しみは、今だって私を離してくれない。誰も、私を守ってくれない!」
「それは違うぞ、珠李」
「何が違うって言うのよ!」
「強いられているかどうかに関わらず、やめる事の出来ない迷いもある。少なくとも俺は、或る事に迷い、苦しみ、今際の際までその迷いを抱え続けた男を知っている。それはその男自身の問題ではなかった筈だが、あいつは最後まである人物の身を案じていた。自分の選択が正しいと信じていなかった。俺はあいつの遺志を受け継いだが、俺自身、あいつと同じような迷いを今も抱えている。もう十年以上前の話だ」
「っでも、だって……」
私は言葉を詰まらせた。
「貴方たちは守られているじゃない」
言い訳のような調子で、弱い声が喉で震える。
「……もう帰れ。俺はもう帰るぞ」
言い残し、仲緒は歩き去っていった。私はいま暫く、座り込んでいた。




