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緊張感のない潜入調査


 キンディッシュ・ヴェドリア。

 それがあのなんちゃって貴公子の名だ。


 士官学校を今冬卒業予定の21歳。

 容姿と実力の評価は高いが、評判はあまりよろしくないらしい。

 少なくとも情報提供者――<シエスタ>新メンバー第一号、クレールの評価は最悪だった。


 公爵家ということもあって表立っては誰も多くを語らないが――ヴェドリア家の異常性愛ぶりは有名なのだとか。

 男は第二次成長期を迎えていない少女を好み、女は肌が白い女の血を好むという。


 故、公爵領における少女の失踪はヴェドリア家の関与が疑われている。

 噂や評判止まりで、直接的な証拠はないようだが……。


 表では普通――というか、他の貴族と比べて特別に問題が多いというわけではない。

 貴族が町娘を気に入り、側室としたり使用人として雇ったりする話はどこにでも転がっている。士官学校に貴族の子息子女が溢れんばかりに存在しているのはそのせい……かもしれない。


 ヴェドリア家の場合、召し上げる年齢が少々若いのが問題といえば問題だが、手を出された少女たちが行方不明になったケースは実はないようだ。

 というか、15~6歳で多額の給金を手に家へ戻ってくることが多いとか。

 だからこそ黒い噂が噂止まりで済んでいるのだろう。


「……代々とかなんだろうな。遺伝病か何かか?」

「その考え方が正しいかもしれませんね。他の上級生をあまり見ていないので確たることは言えませんが、あの場において魔力は頭ひとつ抜けていました。おそらく普人族以外の血が混じっていますね」


「血を好むとなれば、吸血鬼の類かのう?」

「種族の本能的なもんだってことか……?」


「ええ、半分はそうでしょう。ですが、本能のままに行動することを衝動の解決手段に選んでいるならば、情状酌量の余地はありませんね」

「歪んだ願望すら実現できてしまう環境に生まれた不幸はあろう。じゃが、そんな不幸は虐げられる側のそれとは比べものにならん」


「ま、同感だ」

『ん』


「とはいえ、噂レベルの情報のみで判断するのはよろしくないじゃろう」

「ああ、調べてからだな」


「――では、午前3時まで各自待機ということでよろしいですか?」


「おう。俺はちょっと寝とく」

「妾もそうするとしよう。このまま起きている自信はないしの……」


 * * *


 ここへつれてこられて、どれくらいたったのかな……?


 ここでは毎日毎日……いたいことをされる。

 苦しいことも、いやなことも、たくさん。


 泣いても、おねがいしても、やめてくれない。

 いやがればいやがるだけ、ひどくなる。


 あいしてるからするんだって、言うけど……。

 あいしてるのに、いたいこととか苦しいことをするの……?

 いやがることを……するの?


 よく……わからない。

 あたしが知らないだけで、ふつうのことなのかも……。


 だって、おとうさんとおかあさんもそうした、から。

 はなれるのはいやだって言ったのに……あたしを……。


 今日も夜がくる。


「……いつまで、つづくの? いつになったら、おわるの……?」


 何回も何回も何回もくりかえした問い。

 いつものように、答えはかえって――……。 


 * * *


「あんたたち、ホントに行くつもりなのかい? ――もしバレたら、死罪だよ?」

「はっはっは。要らぬ心配じゃぞ、クレール。妾は不死身じゃっ!」


『……主、主、そういう問題なのかな?』

「だな、そういう問題じゃないよな」


 俺は不死身だ――ちょっと言ってみたい台詞ではあるがこの場合は誤用であろう。


「ま、ホントに心配してるワケじゃないんだけどさ……」


 腕を組んで溜息をつくクレール。

 20代後半くらいの、面倒見のいい姉御肌の女性だ。


「あんたたちのことだから、その手の法具もいろいろと持ってるんだろ?」

「そんなとこです」


「2時間ほどで戻ります。起きているなら、お風呂を沸かしておいていただけますか?」

「……ああ、わかったよ」


 屋敷にあった浴場はリーンとエイヴによって改装されている。

 お湯は魔具もとい法具で温める方式だ。


「くれぐれも気をつけるんだよ、いきなり夜逃げなんてイヤだからね」

「了解」


「よしっ、ゆくぞっ! いざ出陣じゃっ!」

「……エイヴ、ちょっと声のボリューム大きいぞ」

『ん、うるさいと思う』


「むっ……!? むぅ、それもそうじゃなっ! 隠密行動でいくぞっ!」


 と言いつつ、どこかの不可能ミッションで流れる曲を口ずさむエイヴである。


「……ハイになってるんじゃないか?」

「昼寝をしたといっても普段は寝ている時間ですからね。音は漏らさないようにするので、声については問題ありませんが……」


 * * *


「……大丈夫ってわかってても、どきどきするな」


 俺たちはヴェドリア邸の庭に潜入していた。


 現在、庭に放たれている番犬の間をステルスモモモードで通過中だ。

 見つからないとわかっていてもやっぱりびびる。


 なにせ犬がけっこうでかい。

 ドーベルマンと似たような犬種で、体長は倍くらいある。

 訓練されてる分、同体格の魔物より脅威度が高そうだ。


 といっても……ビクビクしてるのは俺だけみたいだけど。

 魔法を使っているリーンはいつものように平然としているし、エイヴは遠足気分。

 アリアも肩の上で鼻歌混じりだし……。


 そんなこんなで庭を横切り、とりあえず壁の前に辿り着く。


「ここで投光器の光を浴びせられたら様になるんじゃがなっ」

「いや、それ泥棒が捕まるシーンだからな?」

「黒塗りの気球や凧を使って、包囲網から華麗に脱出するシーンであろう?」


「どちらにせよ、お宝をくすねた後のシーンでしょう」

「だなー」


 俺たちはまだ侵入前。そんなロマンが発生してもらっては困るってものだ。


「――邸内の状況は?」

「邸内に人間の反応は32です。26名は就寝中。活動中の6名は警備でしょう」

「家の中でも明かりが動いてるもんな。警備ルートは?」

「隣を歩いても気づかれませんよ」

「身も蓋もないな……ああ、窓やドアの開け閉めなんかを見られたらどうなんだ?」

「追加の幻影魔法を展開すれば問題ありません」


 抜かりなしか。


「んじゃ、どこから入る……? そこの窓か?」

『主、主』

「ん、どした?」

『窓、開ければいいの?』

「おう」

『わたしが開けてもいい?』

「……リーン、警備は?」

「問題ありません」

「それじゃアリア、頼む」

『ん』


 どうするのかと思って見ていると、アリアは実体化を解いた。

 数秒後、窓の向こうで実体化したアリアの手によって、鍵が外され窓が開いた。


「さすが妖精さん、グッジョブ」

「壁をすり抜けられる者が使う、由緒正しき侵入方法じゃなっ」


 肩に戻ってきたアリアを褒め撫でして、中に侵入した。


 さすがに公爵家様の邸宅。

 もはや家とは思えない規模で、廊下に立って受けた印象は学校の校舎のそれだ。

 今の時期は少し寂しい庭園も、運動場くらいには広かったし……。


「人がいる部屋を順に覗いていけばいいか……?」

「そうですね」


 魔法に頼った雑な方針で動き出す。

 計画性ゼロなので仕方ないんだよ……。


「寝てるのは26人だっけ――ほとんど住み込みの使用人だよな?」

「ええ。ヴェドリア家の者はキンディッシュと公爵家当主のみで、他の家人は公爵領にいるようです」


「ふっ、悪党は一番奥にいると相場が決まっておるっ」

「いや、まだそいつらに会う必要はないと思うんだけど……?」


 悪党の寝顔を見る趣味もない。


「なんじゃ、枕元に立ってやらんのか?」

「いやいや、びびるだろうけどさ、それじゃ単なる嫌がらせだろ」

「嫌がらせは復讐の始まりじゃぞ?」


「なんだそれ……聞いたことないぞ」

『……うそつき? どろぼう?』

「それだなー」


「嫌がらせはともかく、当主や親族の部屋へ行く必要はないでしょう。つい――殺したくなるかもしれませんから」


 おいおい……。


『……リーン、おこってる?』

「……みたいだな」


 珍しい。

 というか、潜入中に騒いでるからという程度のことで怒るような性格ではないし、その怒気というか殺気は些か不自然だろう。


 ……そういえば、クレールの情報にヴェドリア家の人間の所在は入ってなかった気がするな。


 そうこうしている間に、最初の部屋に到着する。


「――まずはここじゃなっ!」


 エイヴが無造作にドアノブに手をかけた。


「俺たち一応、潜入してるんだけどな……」


 トラブルが起きたところで問題なく踏み潰していくだろうが、注意力は散漫どころかもはや皆無っぽい。

 出会ったときと比べると、ちょろっと背は伸びているがまだまだ……自主規制っぽい……。

 成長中の体が眠りを求めているのかもしれないし、だとしたら夜更かしはさせない方がいい気がするな。


「たのもーっ! むぅっ……!?」


 ドアを開けようとしたエイヴの行動は、がちゃっという音に阻まれた。


「って……まさか、いきなり当たりか……?」


 中に人がいるのに鍵がかかっている部屋。

 安全上の理由やらプライベートの確保なんていう可能性ももちろんあるが――閉じこめられているというケースも考えられる。

 それに、邸宅への侵入ルートを提案したのはリーンだ。偶然とは思えない。


「この程度で我が訪問を妨げようとは笑止千万っ! たのもーっ!」


 よくわからないことを言いながら、エイヴが再びチャレンジ。

 開いた。

 ……魔法でアンロックしたらしい。


「ぬぅ……」


 テンションの高かったエイヴが押し黙る。


『……女の子、寝てるよ』

「ああ……」


 部屋の中央にある大きなベッド。

 そこで、女の子が寝ていた。

 暗いのではっきりとはわからないが、顔立ちや布団の膨らみから推定するにエイヴより幼い年齢だろう。


 胸の中がざわつくのを感じながら、部屋の様子を探る。


 まず思ったのは、物が少ない、だった。

 ベッド以外にあるのは小さなテーブルとイスくらいのもの。

 寝室ならとも思えるが、それにしたって不自然だ。


「……鉄格子、か?」


 中庭方面への窓には格子が嵌っていた。

 刑務所などで連想される鉄格子ではなく、デザイン性のあるそれだが、窓からの出入りを許していないことに違いはない。

 そして、ここは1階。安全上の理由で設置されたわけではない。


「――さて」

「リーン……?」


 壁際に移動したリーンが、何もないように見える空間へ手を伸ばした。


 戻ってきたリーンの手にあったのは水晶玉だった。


『リーン、それなに?』

「映像を記録する魔具です。夕方に来て仕掛けておきました」


 ……やっぱりか。

 納得すると同時に後悔が生まれる。


「被害者がいたときのことを考えて、あの後すぐに来るべきだったか……」

「――そうかもしれませんね。ですが、アカシ様がそうすべきと提案されていても、私が止めていましたよ」

「ん……?」

「冤罪でした、では困りますから。どうしても確たる証拠が必要なのです」


「貴族と対するのに……?」

「いえ。キンディッシュがこの少女を性奴隷として扱っていたとしても違法ではありません。どう足掻いても犯罪の証拠にはならないのです」


 映像の公開という強硬手段に出ても、せいぜい評判を落とすくらいの効果しかないようだ。

 しかもヴェドリア家にとっては今さらな評判を。


 どこかから少女を誘拐してきたのだとしたら話は別だが……。


「ってことは――……」

「私が動くためです」

「うむ……感情のみで動くことは避けねばならん――天魔の力は法に等しい故にな」


 傲慢な言い様だが、天魔には実際それくらいの力がある。

 気に入らない者を好きに排除できるほどの、そう、新世界の神になれるほどの力があるのだ。


 そういえば、この世界には天使や悪魔はいないんだろうか?


 いないだろうな。

 まともな神様なら、あまりにも突出した存在を創ったりはしない。

 天使支配のような状況が容易く発生してしまうし、力がありすぎると神が介入しなくてはならなくなる。


 女神ゾネ、何を考えていたんだ……。


「映像を確認します。見たくなければ、出ていて下さい」


「……見たくはないけど、リーンだけに任せるのは無責任ってもんだろ」

「うむ」

「でもアリアには見せたくないな」


 記録されている可能性のある内容は、妖精さんにはそぐわない。


 それに、アリアはまだ生まれて3ヶ月。

 誕生したときそれなりの知識を与えられたそうだが、俺が寝てる間とかに本で色々と勉強している最中なのだ。


『ん、主が見るなって言うなら、見ないよ?』

「悪いけど、そうしてくれ」

『わかった』


 アリアが肩の上で反転した。


「では、再生します」


 壁に――夕刻の部屋の情景が映し出された。


 女の子はベッドの縁に座っていた。


 スクリーンの問題か元々なのか、解像度はあまり高くない。

 それでも、女の子のあどけない顔立ちと感情の起伏が感じられない表情は見て取れた。


「精神状態は健康とは呼べんようじゃな……」

「みたいだな……」


 栄養状態は悪くなさそうなので、食事はちゃんと出ているのだろう。

 着ている服はシンプルなデザインだが高級そうだし、エメラルド色の髪もきちんと手入れされているように見える。

 衣食の扱いは悪くない。


 だが――……。


「――早送りします」

「ああ。って、便利だな……!?」


 ゾネの居城にあったようだし、今は地球の情報も得ているからそれくらいお手の物なのだろう。

 リーン謹製ハイテク録画再生魔具により、映像が早回しになる。


 しばらくすると、メイドっぽい服の女性が食事を運んできた。


 テーブルに移動した女の子は、それを黙々と口にする。


「味をちゃんと感じているのか怪しいな……」


 女の子が夕食を食べ終わる頃には、窓の外が暗くなっていた。


 蛍光灯とはいかないが、裸電球以上の明かりが部屋に灯される。

 貴族邸だけあって、照明用の魔具も設置されているようだ。


 夜が深くになるにつれ、女の子の雰囲気も暗くなっていった。


 ベッドの上で抱えた膝に顔を埋め、今は表情が見えない。

 ただ、その小さな体が震えているのははっきりとわかった。


 それでは用をなさないとわかっていても、このまま女の子の身に何も起こらなかったことを期待してしまう。


 けれど、その期待はあっさりと裏切られた。

 見覚えのある男が、キンディッシュ・ヴェドリアが部屋に現れたことによって。


 彼の登場に対して女の子が見せた反応は怯えと諦めだった。

 

 そして。


 ベッドの上で始まったのは陰惨な性的虐待。


 どこかが、嫌な音を立てて軋む。

 怒りと嫌悪と――何よりも罪悪感で。


 俺はこの光景を防げたはずだ。

 キンディッシュが露わにした劣悪な欲望を、どこか軽く考えていたのではないか……?


「こういうことする奴、本当に存在するんだな……」

「どこにでも、いくらでもいますよ」

「うむ。聖人の仮面を被った鬼畜など珍しくもなんともないからのぅ」

「確かに……」


 子供を保護する施設が、神の教えを説く聖職者が、児童虐待に関わっていたことなどざらにある。


 キンディッシュは女の子に噛みつき血を啜っていた。

 単純な性行為では飽きたらず、異常な行為でもって女の子を傷つけ苦しめ続けている。


「……もう、いいんじゃないか?」

「そうじゃな、もう確認は取れたじゃろう」

「いえ、申し訳ないのですが――もうひとつ確認したいことがあります」


 俺は見るのをやめる。

 その代わりといってはなんだが、映像を見ているリーンを見ていた。

 相変わらずの無表情で、その奥にあるはずの感情も読み取れない。


「……リーンは平気なのか?」


 意地が悪いと思いつつもついつい尋ねてしまう。


「今夜この少女が苦しんだこと。加害者が生きていること。心穏やかではいられません。ただ――残虐な行為は見慣れていますからね。主に天使の所業、ですが」


 なるほど。

 人はいかなる状況にも慣れうる生物である、というようなことを言った人もいるしな……。


「――やはり、回復魔法ですね」

「は? 回復魔法? ……――まさかっ」

「ええ、そのまさかですよ」


 リーンが、ふっと笑みをこぼした。怖いんだけど。


 回復魔法の効果的な使い方のひとつは、拷問だ。

 肉体の損傷を回復できるということは、爪をエンドレスで剥ぐなんてこともできるのだ。

 回復魔法のレベルによっては傷の回復に体力やら何やらを消耗してしまうし、回帰に迫る高位の魔法は天魔でもなければ何度も使えない。

 だから無限にとは言わないが、それでも凄惨な拷問を長時間続けることが可能となる。


「行為の間につけた傷を最後に癒す。肉体に傷は残りません。この少女は肉体的には処女のままでしょう」

「……下衆の考えそうなことじゃな」

「事実、天使の中にそういう趣向を持った者もいましたよ。乙女のままで、と言えば聞こえはいいですが――」


 それでも、体に傷が残っていないことはせめてもの救い、か。


「さて、どうします? この少女を助けておきますか?」


 映像の再生を止めたリーンが、寝ている女の子へと目を向けた。


「――当然だな」


「一時的な保護では済みませんよ? 少女が逃げたことが知れれば、この少女の家に迷惑がかかるかもしれません」

「探しに行くってことか……ま、善良な親ならそれくらい我慢してくれるだろ。子供を売って平然としてる親なら迷惑かかろうが知ったこっちゃないな」


「身寄りがない境遇なら、衣食住には困らないここにいる方が幸せかもしれません」


 その上、長くともあと数年耐えれば少女は自由と大金を手にできる。


「その程度なら俺たちで提供する」


「公爵家と完全に敵対することになります」

「今さらだろ。キンディッシュの要求を蹴れば当然そうなるしな」


「そうですか。なら――心おきなくこの少女との契約を果たせるというものです」


 今夜の忍耐。

 それが、ヴェドリア家から解放されるために、女の子がリーンに払った対価だったらしい。


「……あれだな、虐めの現場に遭遇したとして、虐められてる側が反撃の意志を見せなかったら放置するってことだよな」

「自分の身に危険が迫っているのに助けを求める声すら出せないのであれば、関わる価値を感じません」


 現在ヴェドリア家に存在する被害者はこの女の子だけだった。


 * * *


「おかえり、無事で良かったよ……――その子は?」


 ホールで出迎えてくれたクレールが、リーンと手を繋いでいる女の子について尋ねてくる。


「被害者です」

「……大丈夫なのかい、連れ出してきて」

「しばらくは家の中で大人しくしていてもらうしかないでしょうね」


 ま、この家の中にいればヴェドリア家の人間に見つかることはないだろう。

 なんか色々と仕掛けてあるし……。


「外傷はありません。綺麗にして、寝かせてあげて下さい」

「わかったよ。ほら、おいで」


 クレールがリーンから女の子の手を引き継いだ。

 半分寝ているせいもあるが、意志が少し薄弱な状態だ。


 その辺りは時間がそれなりに癒してくれるはずだが、心の傷は簡単には消えないだろう。

 男の俺はしばらく顔を合わせない方がいいのかもしれない。


 あと、記憶に関しては封印という手段も取れるようだ。もちろん当人が望んだ場合は、だが。


「――んじゃ、俺はエイヴを寝かせてくるか」


 女の子を連れてヴェドリア家の邸宅を出てからしばらくしたところで、エイヴが沈没した。

 ま、仕方なかろう。ということで俺が背負ってきたのだ。


 悪魔にしては無防備極まる姿ながら、周囲に敵意や危機が生じれば魔法による擬似人格が即時対応するとか。

 幸か不幸か、その擬似人格さんには今までお目にかかったことはない。


 * * *


「ふぅ……」


 エイヴをベッドに寝かせた後、食堂で腰を落ち着ける。


 午前4時半。

 異世界生活は相変わらず早寝早起きを強制してくるので、昼寝をしていたとしても、いつもなら俺も夢の中にいる時間だ。

 けれど、今日はさすがに目が冴えてしまっている。


「お疲れさまでした」

「精神的に疲れた……」

「アカシ様が気に病む必要はありません。少女の救出を遅らせたのは私の独断ですから」

「まあな……」


 だが、それでリーンを責めるのはお門違いというものだろう。

 悠長に動いた自分の迂闊さを呪うべきだ。


 それに――キンディッシュの行いは犯罪ではない。

 彼はこの国の法を破っていないのだ。

 逆に、俺たちが女の子を連れ出したことこそが犯罪にあたる。


 物事の善悪などそんなものだ。

 国や社会や文化によって異なるのが当たり前。


 殺人や強盗や強姦を是とする社会があっても、それ自体は非難されることではない。


 だが、そんな社会やコミュニティは、社会やコミュニティとして長続きしないだろう。

 繁栄どころか自壊するに決まっている。


 客観的な判断基準となるのはそれくらいだ。


 どんなに歪だと思えるルールでも、それで社会が繁栄するなら種として正しい。

 逆に、正しく思えるルールでも、それで社会が衰退するなら正しいとは言い切れない。


 日本で例を探すなら、お見合い結婚の制度だろうか。

 いつからか恋愛結婚が持て囃され、個人の恋愛から結婚に至るのが正しい姿として認知されている。

 が、そういう意識が広がったことで夫婦の数が少なくなったのなら、種の繁栄という観点からはよろしくない。

 恋愛結婚によって生まれた子供が、お見合い結婚によって生まれた子供より絶対的に優れているならその限りではないが、そんな研究結果が出ることはないだろう。


 今回のキンディッシュの行為は、そのへんどうなのか。


 ひとりの女の子の意志と体が売られて、家族がひとつ潤った。

 端的に言うなら、行われたのは人身売買だ。


 地球の現代社会はこれを悪と判断する。

 何故ならその取引において、売られた者の人権が無視されているからだ。


 俺自身が怒りを覚える理由もそこにあるのだろう。


 しかし、人権という概念がない社会ではどうか。

 例えば家族単位で自給自足している社会ではどうなのか。


 凶作でこのままでは一家が飢え死にするという家族が、子供をひとり売れば家族が10年生活できる金を手に入れることができるというのであれば。

 人権を振りかざした横槍は余計なお世話となるだろう。同情するなら金をくれ、だ。


 日本にも口減らしやご奉公という言葉があるように、食糧が足りない社会情勢ではしばしば行われてきたことだ。

 そうしなければ生きていけなかったのだから、子供を売ったのはその家族にとって正しい選択だったという以外にない。


 結局、俺たちの論拠は女の子の意志だけなのだ。


 あの女の子は家族とキンディッシュ――周囲の人間の幸福のために不幸を背負わされた。

 学級委員長やら実行委員長を推薦という形で押しつけられた誰々くん誰々さんのように、自分の意志を無視されて。


 その不条理を覆したいと女の子が願えばこそ、だ。


「リーンはちょっとビジネスライクすぎるとは思うけど……」

「私が天使だということをお忘れですか? ――生憎と慈愛の精神など持ち合わせてはおりませんので。力を借りるというなら相応の代償が必要となるのですよ」


 リーンが動くなら勝ちが決まる。たぶん大陸丸ごと敵に回してさえも。

 そんなリーンの力を借りられるのなら、その代償の重さは推して知るべし、かもしれない。


「で、明日……っていうか、今日からどうする?」

「従者の帯同が許される状況では共に行動するべきでしょうね」

「誘い、っていう意味で?」

「ええ。少女がいなくなったことを知れば、すぐにでも仕掛けてくるでしょう」

「……まあ、そうだろうな」


 一夜限りではなく、奪いに来るはず。


「とりあえず、返り討ちにしておけばよろしいかと」

「返り討ち、ね……」


 できるだろうか。相手は仮にも公爵家なのだ。

 どういうちょっかいのかけ方をしてくるかもわからないし……。


「結末は決めていますが、その前に少々恥を掻いていただきましょう」

「うーわー……」


 リーンが浮かべた薄い微笑に背筋が寒くなる。

 ――公爵家? 国家権力?

 いや、そんなものより世の中には喧嘩を売っちゃまずい相手というのがいるのだ。



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