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メインエピソード2【盤上の改革、監査チーム発足】⑱

『灰咳』

一見すると、普通の風邪と変わらない。初期段階では、頻繁な軽い咳と、わずかな呼吸のし辛さを覚える程度。

だが、ある一定期間を過ぎると、まるで自然治癒したかのように咳は治まり、呼吸も平穏を取り戻す。

……これが、多くの者が『灰咳』を風邪と誤診し、手遅れになる最大の要因だ。

中期段階に入ると、絶え間ない激しい咳が襲いかかり、呼吸困難に陥る。

この段階でようやく診断が下され、隔離施設へと搬送されるが、そこに至る前に黄泉路を渡る者も少なくない。

そして、隔離施設に運ばれた者が迎える最終段階。全身は石のように硬直して灰色に変色し、抗う術もなく命を散らす。

文字通り、人が「灰」へと変わっていく、不知にして不治の病。それが『灰咳』の正体だった。


そもそも『灰咳』自体の症例数が少なく、治療手段の確立や原因解明なども進んでいない。

最後に発症したのも数十年前で、その際には発症者を全て隔離し、蔓延を防止するしか出来なかったと記録にある。

つまりは、感染者を救うことが出来なかった訳だ。違うな、救わなかった、…いや、正確に言おう。見殺しにした訳だ。


石パンを(かじ)りながら、急ぎ足で施療院についた俺は、手近にいた職員を捕まえ、状況を問い質し、先の述べた情報を得た。

職員は怪訝な表情を浮かべていたが、資材管理部部長の使いである旨を周知すると、打って変わった態度で情報を提供してくれた。

財務局長宛の送金(賄賂)はともかくとして、施療院宛の送金はそれなりに功を成していると思われる。

…それが良かったのか、悪かったのかは、見なかったことにしておくが。


情報提供してくれた職員は、疲労で思考が鈍っていたのか、それとも元々ロが軽かったのか。

こちらが水を向けると断片的な情報を提供(漏ら)してくれた。

曰く、事前通達も無く、緊急事態宣言を発令するよう、上層部より指示があったこと。

曰く、『灰咳』以外にも、治療に必要な薬品類の納入が滞っていること。

曰く、普段は厳密に検査しない『灰咳』の検査を、急に実施するよう指示があったこと。

曰く、隔離先に指定されている施設への搬入体制は、未だ整っていないこと。

聞けば聞くほど、辻褄が合わない。思考が違和感で満ちようとしている。

…落ち着け、慌てるな。まず、事実と情報を整理しよう。


まず、事実として。

一つ、『灰咳』には、命に関わる危険性がある。

一つ、症状が悪化することで命に関わるが、進行速度には個人差があり、中期段階から最終段階に進行するにも、年単位の時間がかかる。

一つ、特効薬は現存せず、対処療法で凌いでいる。

次に、情報として、

一つ、感染拡大するので、感染対象者は隔離施設へと搬入する。

一つ、通常は行わない検査をして、『灰咳』認定数を増やしている。

一つ、薬品類の搬入が滞っている。

一つ、隔離施設への搬入体制が整っていない。


駄目だ、今のままでは、整理が追い付かない。

俺は(かじ)りかけの石パンを全て含み、強引に咀嚼(そしゃく)する。

睡液を残らず吸い取る粉っぽさと、舌全体に広がる不味さを無視し、一息に飲み込む。

喉の奥で主張する不快感をそのままに、スキルを起動する。

【カロリーコンバータ・ライト】

瞳を青く染め上げ、時の流れが遅延していくような感覚に沈みながら、思考を加速させる。

事実と、得た情報を整理する。それぞれが点で存在し、線で結ばれ、道が出来ていく。

道は仮定となり、仮説へと至る。

散りばめられたパズルが組み上がり、絵を示すように。

組み上げたいくつかの絵(仮説)に、俺は戦慄する、背中に走る冷たい汗が、不快感を加速させる。

もしかして俺は、とてつもない真実を掘り当ててしまったのかもしれない。


落ち着け、まだ仮説だ。それが正しいと裏付ける証拠はまだ揃っていない。有り得ない仮説は打ち消そう。

仮説その1、「口封じ」。

冒険者ギルド内で、俺が部長に対して交渉を行う際に、ビリーに裏取りをしてもらった。

その際の情報収集で、部長の子供に対する症例と、治療に必要となる金額の乖離の発露を恐れた為、他の患者を巻き込んで隔離施設に放り込み、会わせないようにする。

そして面会もさせず、ゆっくりと死に至らす。または他の病との合併症が発症したとして命を枯らす。

…いや、口封じならば、今すぐ殺すか、事故に見せかける方が早い。わざわざ手間のかかる隔離施設に搬入し、年単位の時間をかけて死を待つのは効率が悪いすぎる。

さらに、施設搬入に手間取っている時点で、この仮説は瓦解するだろう。

仮説その2、「マッチポンプ」。

現状は対処療法で凌いでおり、特効薬は存在しない。これは『灰咳』が流行した際、発症者を隔離するしかなかったことにより事実だ。

では何故薬品類の搬入が滞っているのか?対処療法で凌いでいるのであれば、搬入が断ることで危険性が増すのではないか?

薬の不足、そして緊急事態宣言を装い、危機感を煽る。症例者の関係者に対する献金を増やそうとしているのか?

そして、献金により懐が温かくなったところで、薬をばらまき、危機感を治める。

いや、これもおかしい。そもそも、対処療法で凌いでいたのだから、薬を不足させ、症状を悪化させるかもしれないリスクの方が高い。

もし献金が目的ならば、症状を落ち着かせて継続的に搾り取った方がリターンが大きいし、献金を望めない貧困層をも検査対象にする意味が無い。

そして何より。職員への負荷も掛からない。職員への負荷を、もともと考慮していれば、の話だが。

仮説その3、「選別」。

不自然な検査により『灰咳』症例者を集め、施設に隔離する。

隔離した施設内で行うことが、適切な医療目的ではなく。研究目的だとしたら?

現状の『灰咳』においては、中期段階から最終段階までの進行に年単位の時間がかかるが、これを早めるのが目的だとしたら?

進行を早める為の研究を行うため、初期段階の症例者も集めているのだとしたらその為の検査なのだとしたら?

進行を早めることにより、何の目的が?…戦略兵器?

究明されていなかった『灰咳』の原因の判明と、治療方法の確立を行うことで、他国への手札にしようとしている?

治療目的ではなく、研究目的であるため、緊急事態宣言と検査により症例者確保はするが。隔離施設への搬入自体は滞っている?

本来治療に回す薬品類も、研究に使用するため、施療院宛の納入が滞っている?

手札とは?

他国に対し、治療方法が確立したことを提示し、症例者の引き受けの見返りを外交手段として用いる?

それとも、判明した原因を逆手に取り、他国に『灰咳』を蔓延させ、国力低下を目論む?


…いや、どちらでもいい。

今大事なのは、『灰咳』症例者、つまり部長の子供や院長先生達が隔離施設に搬入され、検体として扱われるかもしれないということだ。

搬入体制が整っていないということは、まだ猶予があるはずだ。

瞳を黒に戻し、隣で呆然としていた職員に詰め寄る。搬入の具体的な日時はいつになるのか。搬入は段階により優先順位を設けているのか、などを。

結果として、何も得られなかった。搬入日時、優先順位共に、末端職員に対しては周知されていないらしい。

逆に言えば、緊急事態宣言発令のみを優先し、搬入や優先順位はまだ決めきれていないとも考えられる。

不確定要素は好きではないが、今は希望的観測に縋るしかない。

俺は死神の(あぎと)へと(いざな)われるのを止める為、走り出すのだった。


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