第350話:甘えて
深夜の寮の自室。
自主訓練を終えて帰ってきたら室内に何やら人の気配があり、もしやアスターが再度侵入してきたのかと警戒したものの、露骨に気配を垂れ流しにしていたため布団をめくってみたらリリィがいた。
「…………」
不機嫌そうな顔かつ無言である。不機嫌そうといっても頬を膨らませるという、幼い子どもみたいな不満の表し方だったが。
「リリィ? どうしたんだ?」
「……つーん……」
声をかけてみるが、頬を膨らませたままでそっぽを向かれてしまった。なんだこの可愛い生き物。不機嫌な猫かな?
「リリィ? リリィさん? おーい、どうしたー?」
知らず知らずのうちに口元が緩んでいた。そのことに気付いた俺は唇を苦笑の形に変えつつ、リリィの傍に腰を下ろす。リリィは隣に座った俺をチラ、と見てくるが、すぐに視線を逸らしてしまった。
(んー……なんだろうな?)
この、いかにも怒ってます、と言わんばかりのポーズ。それでいて本当に怒っている気配はない。どちらかというと構って欲しいという感情の表れじゃないだろうか。
さて、どうしたものか、なんて悩んでいると、不意にリリィが俺の膝の上に頭を乗せてくる。そして見上げるようにしてチラチラと視線を向けてきたため、俺は苦笑を浮かべてしまった。
「どうした?」
「……お父さん、最近、忙しそうだよね」
ようやくきちんと喋ってくれたリリィだったが、出てきたのはどこか不満そうな声だった。そのため俺は苦笑を深め、なるほど、と内心で頷く。
(この口ぶりは……最近、あまり構ってやれなかったから拗ねてるのかな?)
日中は授業を受けるし、放課後は王都に行って兵士達に訓練をつけていたし、余った時間は全て自主訓練に注いでいた。そのためリリィと一緒に過ごす時間が短かったのはたしかである。その件に関して拗ねているのではないだろうか。
「忙しかったけど、それも終わったよ。だからリリィもこうして会いに来たんだろ?」
俺は苦笑――いや、この笑い方を何といえば良いのか、いまいちわからない。娘の姿、反応を見て自然と笑ってしまう、この笑い方を。
「……そう、なんだけど……むぅ……」
俺の言葉を聞いたリリィはどことなく不満そうに眉を寄せる。
おそらく、俺が忙しい間も会いに来たかったのだろう。だが、俺に遠慮して会いに来ず、王城からの依頼や年度末の試験、それに卒業式が終わってから顔を見せたってわけだ。
「遠慮せずに会いに来て良かったんだぞ? まあ、俺の方から行くべきだったって話でもあるんだが……」
図書館に行けばリリィと会うことができただろう。だが、中々足を運べなかったのは忙しかったからだ。
(仕事の忙しさを理由にして家庭を顧みない父親みたいだな、それ……)
そんなことを考えると、思わず笑ってしまいそうになる。笑うところじゃないんだが、本当は生まれていないはずの娘相手にそう考える自分がおかしかったのだ。
――なんとも、不思議な感覚ではあるが。
(こうして拗ねる顔を見るだけでも満足というか、それはそれで安らぐというか……不思議なもんだなぁ)
俺がリリィと過ごした時間は短い。本当の親子と比べれば雲泥の差があるだろう。だが、時間の長さは関係ないのか、俺の魂が目の前の少女は正真正銘自分の娘だと訴えかけてくるのだ。
「あまり構ってやれなくてすまなかったな……メリアとはどうだ? 少しは甘えられてるか?」
俺はリリィの頭を撫で、髪を手櫛で梳きながらそんなことを尋ねる。年齢が年齢だし、嫌がるかと思ったがリリィはどこか嬉しそうな様子へと変わり、俺へと視線を向けてきた。
「お母さんって呼べないのは残念だけど、図書館にいる時はずっと一緒だよ? 前も言った気がするけど、若い頃のお母さんってこんな感じなんだー、って感じて面白いかも」
「だいぶ違うって言ってたもんな」
「うんっ! あ、あとね、お母さんと一緒にいるとオリヴィアさんがよく来るの。たくさんお話するわけじゃないけど、なんかこっちをじーっと見てるんだ」
なんでだろうね? なんて首を傾げるリリィ。薄々察してはいたが、オリヴィアから見てもリリィは特別に感じるところがあるらしい。本人に言ったら怒られそうだが、孫とでも思っているのだろうか。その場合メリアが娘か。
「お父さん、お母さんと最近会ってないよね……倦怠期?」
「どこでそういう言葉を覚えたんだ?」
突然のリリィの言葉に対し、俺は思わずツッコミを入れる。リリィの年齢ならある意味当然なのかもしれないが、ませているというか……倦怠期て。
(リリィから見たら両親だけど、俺からすればそこまでの関係性はないからな……それを言ったらリリィが悲しむだろうから言わないけどさ)
『契約』を結んだ関係だし、リリィのこともあるし、他の生徒と比べればかなり距離が近いというのは自覚している。
しかしながら、北の大規模ダンジョンを破壊してからはあまり会っていなかったな、と思った。それがリリィからすれば不満だったのだろう。
(なんだかんだでメリアも俺のことを気遣ってくれるし、こっちが忙しいのを察して会いにこなかった可能性も……?)
口数が少なくて何を考えているかわからない部分もあるが、なんだかんだで気遣うところもメリアにはある。
(オリヴィアさんに促されて会いには行ってたが……もう少し頻度を増やすべきか?)
忙しい時期は脱したし、会いに行こうと思えば会いにいけるだろう。それに、来年度は西の大規模ダンジョンを破壊するべく、再び協力して大規模ダンジョンに挑む必要があるのだ。
俺がそんなことを考えていると、俺の膝を枕にしていたリリィが体を起こす。そしてじっと、真っすぐな瞳で俺を見詰めてくる。
「それとも――お母さん以外の女性と会うので忙しかった?」
それは、どことなく暗さと重さを含んだ声だった。子どもらしい無邪気さを脱ぎ捨て、こちらを責めるような意図を含んだ声だった。
「忙しかったのは事実だけど、そういうのはないなぁ……」
そのため俺は真っ向から切り捨てる。苦笑を浮かべ、胃がキリリと痛みを訴えるのを捻じ伏せ、なんでもないように答える。
実際、ここ数ヶ月は忙殺されそうな忙しさに追われる日々だった。それも一段落したが、西の大規模ダンジョンへの挑戦が始まれば再び忙しくなるのが目に見えている。
そんな事情から本音として答えれば、リリィは瞬き一つせずに俺をじっと見つめた後、緩やかに破顔する。
「うん……そうだよねっ! お父さんがそんなことするはずないもんねっ!」
そう言って嬉しそうに笑うリリィ。それを見た俺は、やはり歪なところがあるな、と思いながら思考を巡らせる。
(別ルートの俺にはメリアしかいなかっただろうし、リリィからすればその事実は揺らがない……俺が別ルートの俺とは別人だって考えは……あっても無視してる、か?)
同一人物ではあるが、別ルートの俺と俺が全く同じ存在かと言われると違うだろう。あくまで俺が辿った可能性の一つであって、俺は俺だ。
だが、リリィにとってはそうではない。俺にとっては未来の可能性の一つに過ぎないが、リリィにとっては確定した過去の存在なのだから。
(その過去自体、俺が辿ってきたものとは異なるんだが……その辺、意識して目を逸らしている感じがするんだよな……)
リリィの話を聞いた限りでは、『王国北部ダンジョン異常成長事件』を境として別物の人生を辿ったのが俺である。それだというのに、リリィは自分が知る父親と俺を重ねて見ているのだ。
もちろん、それが悪いとは言わない。リリィからすれば、過去に飛んだ先で出会ったのが俺なのだ。『花コン』同様ローグライクな部分が影響したのか、『王国北部ダンジョン異常成長事件』が変化していただけで俺がリリィの父親だという点に変わりはないのだから。
(しかし、リリィが存在するってことは将来の俺はメリアと結ばれるわけで……その辺、どうなってるんだ? いやまあ、今の段階でリリィが存在しているのはイレギュラーな事態だろうけど……『相埋模個』の影響か?)
卵が先か鶏が先か。リリィが今この場所に存在するってことは、未来で生まれているはずだ。そうでないと過去に飛んでくるリリィが存在しないことになってしまう。
だが、リリィが語った俺の過去は別ルートの世界の話だ。リリィが過去に移動してきたことで展開が変わった可能性があるが、その場合、リリィが語る過去の話は今の俺が経験したものと同一であるべきで――。
(こういうの、なんて言うんだっけ? タイムパラドックス? いや、俺からすると異質なのはリリィの方なんだが……)
俺がバリスシアに殺されるのを防ぐために過去の世界に来たリリィだが、過去に来た時点で別のルートに入ってしまったのか。その辺り、いくら考えても答えは出そうになかった。
あるいは、リリィの『召喚器』である『相埋模個』が強力で、タイムパラドックスも何もかも踏み倒しているだけなのかもしれないが。
「ねー、お父さん」
「ん? どうした?」
そうやって考え事をしていると、リリィがじっと見上げてくる。何かを期待するような眼差しだ。
「今日ね、一緒に寝てもいい?」
「もうそういう歳じゃないだろうに……いいよ」
「やったっ……えへへ」
甘えるように尋ねられたため、仕方がないなぁ、と首肯する。最近、ろくに構ってやれなかった罪滅ぼしでもあった。
(でも、その辺りもしっかり教育しておかないと……って、七歳頃に母親が亡くなって、十歳の頃には孤児院に預けられて、そこからすぐに脱走して俺を探してたんだっけか……情緒がところどころ子どもっぽいのもそれが影響しているのかな?)
甘え方が子どもというより幼子なところがあるが、それも育った環境が影響しているのだろう。そう思いつつ、俺は今回だけだから、と自分に言い聞かせる。
ただ、次回以降も甘えられたら拒否できるかは……断言できない俺だった。




