第286話:迷い その1
「おかえりなさい。それとただいま、お父さん……どうしたの?」
図書館から寮へと帰ると、そう言って不思議そうな顔をするリリィが部屋の中にいた。ベッドに腰をかけて首を傾げ、俺の顔をじっと見てくる。
「難しい顔してる……何かあったの?」
「あったというか、ないから困るというか……」
「ふーん?」
相槌を打つリリィだが、俺が言いたいことを理解しているわけではないだろう。とりあえず頷いてみた、といった様子だった。
(リリィ……リリィかぁ……実力は十分。スギイシ流を修めているから闇属性魔法も斬れるし、補助系の魔法も使える……『召喚器』も強力だし大規模ダンジョンに同行してくれるなら心強いが……)
頭の中でリリィが加わった場合を想定し、ううむ、と小さく唸る。
リリィの姿を見た時、喜ばなかったといえば嘘になるだろう。
それは父親としてもそうだが、直面した難題をクリアするために必要となるピースが向こうから飛び込んできたような、そんな喜びがあった。
だが、リリィの手を借りて良いものか、とも思う。バリスシアの件で既に救われた俺が言うのもなんだが、本来は存在するはずがない、未来の存在であるリリィの手を借りて何か起きたりしないだろうか?
(それを言い出したら俺が命を救われた件に関しても何か起こりかねないが……リリィは既にダンジョンを破壊して回っているし、影響はないと考えていいのか? それとも時間差で後々何か起きたりするのか?)
前世ではタイムパラドックスと言うんだったか、なんてことを考える。俺にとっては現在だが、リリィにとっては過去の時代でやったことが何かしらの変化を生むことは十分にあり得る。
現在、リリィは人目につきにくいダンジョンを破壊して回っている。もしかするとそれらのダンジョンで死ぬはずだった人間が救われているかもしれないし、あるいはそれらのダンジョンで得られるはずだった何かが失われているかもしれない。
それを確かめる術はないが、大規模ダンジョンの破壊という歴史的な偉業とすら呼べる事態にリリィを加わらせて良いのか。
(でも、リリィを加えたとして何か問題が起きる……か? リリィには悪いけど以前みたいに変装させて、名前や外見を変えた状態で協力してもらえば問題も回避できそうだが……)
リリィ自身、『相埋模個』を使ってその辺の問題を踏み倒している感じがするし。タイムパラドックスって必ず起きるんだっけ? もっとその手の映画とか見ておけば良かったな。必ずそうなるとは限らないけど、参考ぐらいにはなっただろうに。
(大規模ダンジョンの破壊は『花コン』でも可能なことだし、破壊したからといって何か問題が起きることもなかった。この現実の世界だと他国との関係を気にする必要があるけど、北部諸国連合が相手ならまだなんとでもなる……リリィの力を借りて、問題ない……か?)
実力もそうだが、リリィは本来、未来の人間だ。つまり、今の時点では死なない可能性すらある。未来に生きているはずの人間が過去で死んだら矛盾が生じるからだ。
ただ、リリィの力を頼りにして、いざという時にいきなりリリィが消えたらどうする? ダンジョンの奥地で消えられたら一気に崩れかねないぞ。
(でも、『相埋模個』でタイムパラドックスを踏み倒しているなら、その辺りの理屈が通じない可能性も……未来の人間が過去で死んだらどうなるんだ? 死ぬ可能性はあるのか? 仮にそうだとすれば、俺は……)
冷静に、客観的に考えた場合、リリィの力を借りられるなら借りるべきだと思う。
『召喚器』の能力も込みで考えた場合、オレア教の精鋭よりも役に立ってくれるだろう。取り得る選択肢の中ではランドウ先生に次いで最適解に近いんじゃないか、とすら思える。大規模ダンジョンを攻略することに関してはアレクと比較してもリリィの方が向いているんじゃないか、とも思える。
リリィならたとえヴァンパイアが相手でも一対一で戦えるし、パーティの前衛が増えるのは非常に助かる話だ。
俺とリリィが前衛、ナズナと透輝が中衛として後衛を守ったり遊撃をしたりして、後衛にモリオンとメリア。これなら大規模ダンジョンを攻略できる目途が立つぐらい、バランスも戦力も丁度良いと思える。
そんな客観的な思考と併せて、リリィにとっても良いと思えることがあった。
(その場合、リリィをメリアに会わせることもできる……もちろん、俺みたいに親子としての対面は無理だけど、死に別れた母親に会わせることができるんだ)
リリィが今よりも小さい頃に死に別れたという、母親。そんな母親と面と向かって再会し、言葉を交わすことができるのだ。
もちろん、メリアはリリィが自分の娘だと知らない。知られたら未来が変わってリリィが生まれなくなる可能性もある……いや、あるか? メリアの場合、『ふーん』で済ませそうな気もするが……可能性としてはゼロではない。
あくまで大規模ダンジョンを攻略する間の協力者として接することになる。その辺りはオリヴィアに頼み、オレア教からの協力者っていう身分を用意してもらうのが妥当か。リリィに関して伝えている人間はほとんどいないから、他に頼れないともいうが。
最悪、リリィなら単独での撤退も可能だろう。それを実現できるだけの実力、『召喚器』の能力があるのだから。
(それでも、だ……どうにも引っかかるものがあるのは、リリィが俺の娘だから……なのかねぇ……娘の力を借りるには危険な場所だって、そんな心配をしてしまうというか……)
様々な面から検討するが、どの面から見てもリリィの協力が得られれば大いに助かる、という結論しか出てこない。ランドウ先生みたいに俺達が頼りきりになるということもないだろうし、全員のレベルアップにもつながるはずだ。
他の大規模ダンジョンはまだしも、北の大規模ダンジョンに関してはリリィが最適解に近い。死霊系モンスターが相手でも何の問題もないというのが非常に大きいからだ。
だから、リリィの力を借りるべき――とは、思うのだが。
「…………」
「お父さん? 本当に、さっきからどうしたの? すごく変な顔をしてるよ?」
俺の顔を見たリリィが心配そうに尋ねてくる。
オレア教から人員を借りれば少なからず死ぬだろう。それはオリヴィアも同様の判断をしており、間違いはないと思う。
しかしリリィならそれを覆せる。人類側に余計な被害を出すことなく、俺達と一緒に大規模ダンジョンを破壊できる。
それらのメリットの面から見ても、リリィに協力を打診するべきだ。リリィが未来の人間だからこそ起きるかもしれないデメリットに関しては怖いが、確証がないことに怯えていても仕方がない。
不確実なデメリットよりも、確実なメリットを選ぶべきだ。誰でもそうするし、俺もそうするべき――なんだが。
(おかしいなぁ……リリィのことは娘だと思っているし、命の恩人でもあるし、たしかに大切なんだけど……俺ってここまで情が深い性格だったのか?)
リリィを危険に晒すことに忌避感を抱いてしまう。人目につかない場所にあるダンジョンを破壊して回っているのを止めないのに、何を今更と思われると思われるだろうが、どうしてもそう思ってしまうのだ。
(……俺の命なら賭けられるのに、娘の命を賭けるとなったら尻込みしちまうなんてな。北の大規模ダンジョンを破壊しておかないと後々大変になるかもしれないのに……)
頭の中でグルグルと思考が回る。理屈と感情がぶつかり合い、出すべき答えが出せずにいる。答えがわかっているのに、決断ができないのだ。
「お父さん……すごく困った顔してるね? でも、ああ、そっか……そうだったんだ」
そんな俺を見てどう思ったのか、リリィがどこか懐かしむようにして呟く。
「わたしをラレーテの町の孤児院に連れて行く前も、そんな顔をしてたっけ……お父さん、わたしのことで悩んでるの? もしかして……会いに来たの、迷惑だった?」
僅かに声と瞳を震わせながら、リリィが言う。それを聞いた俺は首を横に振ると、膝を折って目線の高さをリリィと合わせた。
「そうじゃない……そうじゃないんだよ、リリィ。いつでも来てくれていいし、俺はいつでも歓迎する。ただ、別のことで考え事をしていてね」
「……わたしには言えないこと?」
「あー……言えるんだけど、父親として言いたくないこと……かな?」
俺は曖昧に、とぼけるようにして言う。ほんの数回しか会っていないのに危険な目に遭わせたくないと思ってしまうのは、やっぱり、自分の娘だと頭だけではなく心も理解しているからだろう。
ただまあ、その理屈で言うと透輝達は命懸けの危険な目に遭わせても良いのか、なんて話になるんだが。
(……いかんな。こうして一人で考え込んでしまうのは俺の悪い癖だ。リリィの気持ちも確認してみるか)
最終的な結論としてそう着地して、俺は苦笑を浮かべる。
「実はな、今、北の大規模ダンジョンを攻略するために色々とやってるんだ。だけど、今の俺達じゃあ力が足りなくてな……可能なら手練れを一人、パーティに加えたいと思っていたんだ」
「北の大規模ダンジョンを……わたしが知らない流れだね」
「そうなのか? 別ルートの俺は大規模ダンジョンの破壊に挑戦しなかったのか……って、『王国北部ダンジョン異常成長事件』のせいで今の俺よりかなり弱いんだったか」
そりゃ大規模ダンジョンには挑めないわ、と納得する。東の大規模ダンジョンで修行した経験がなければ大規模ダンジョンを破壊しようとは思わないだろう。挑戦しても犬死するだけだ。というかバリスシアと戦って実際に死んでたわ。
「ダンジョンに挑むパーティは俺、透輝、ナズナ、モリオン、それと……メリアがいるんだが……」
「っ! お母さんが!?」
パァッ、と輝かんばかりにメリアの表情が明るくなる。その表情を見た瞬間、あ、この子絶対に来るな、なんて思ってしまった。
「北の大規模ダンジョンってことは、死霊系モンスターばっかりなんだよね? それならわたし、魔法を斬れるから役に立つよ?」
「うん、そうだよな」
「それに、大規模ダンジョンなら長丁場になるよね? わたしの『召喚器』を使えば寄ってくるモンスターの認識を曖昧にできるし、こちらに気付かせずにしっかりと休めるよ?」
「……マジか」
大規模ダンジョンでも通じるのか、と俺は驚く。それなら尚更リリィの協力が不可欠になってしまう。
「……そういえば、リリィがどれぐらい強いかって聞いたことがなかったな。何ができるんだ?」
今更だが、俺は改めて尋ねた。リリィがどれぐらい強いかは実際に戦ってわかっているが、その詳細は聞いたことがなかったのだ。
「え? えーっと……スギイシ流が使えて、魔法も色々使えるよ? 一応ね、光属性の魔法も使えるの」
「っ!? リリィも光属性なのか!?」
俺は思わず驚愕する。言われてみれば当然かもしれないが、メリアの光属性がリリィにも遺伝したらしい。話を聞けば今のところ『光弾』しか使えないらしいが、それでも死霊系モンスターに特効となるため役に立つだろう。
「えへへ……すごい? すごい?」
「ああ、すごい。すごくすごい」
俺が褒めると心底嬉しそうに微笑む。だがしかし、こうなると最早リリィ以外の選択肢が選べないわけで。
「まあ、そんなわけでさ……リリィに頼むべきだってわかっているのに、頼みきれなかったんだ。それが悩んでいた理由さ」
「もう……お父さんったら、そんなことなら気軽に頼んでくれていいのに……」
俺が頭を下げて言うと、リリィは少しだけ呆れたように、それでいて嬉しそうに言う。
とりあえずリリィにはダンジョンの破壊ではなくこちらに協力してもらうとして、まずはオリヴィアあたりに話を通す必要があるだろう――なんて考えた時だった。
(……あ、そういえば)
リリィをどうやって紹介しようか、なんて考えた俺は、連鎖してとあることを思い出す。
(やっべえ……当時はリリィのことがわからなかったとはいえ、ランドウ先生にオウカ姫じゃないかって伝えちゃってたな……どうしよう……ほ、放置する? いやでも……)
それはリリィ――リンネと戦った後、その外見的特徴からオウカ姫ではないか、とランドウ先生に匂わせてしまったことだ。
今後リリィが傍にいるとなったら、さすがに黙っておくわけにはいかない。髪の色が違うが、スギイシ流を使う少女となれば連想は簡単だからだ。ランドウ先生に見られたら一発でバレるだろう。
(いっ……つぅ……胃が……)
ランドウ先生相手に、地雷であるオウカ姫の話をしに行く。そんな未来を想像しただけで激烈に胃が悲鳴を上げ、思わず右手で腹部を押さえる。
そんな俺を、リリィが首を傾げながら不思議そうに見ていたのだった。




