第267話:変化 その1
オリヴィアとの模擬戦を堪能した俺だったが、日が明けるとメリアとの『契約』に関して訓練を開始することにした。
能力の検証が全て終わったわけではないし、扱いに慣れていかなければ到底使い物にならないからだ。
そのため、放課後の訓練にはメリアにも参加してもらうようにしたのだが――そのメリアに、変化が起きていた。
「ミナト」
俺の名前を呼びつつ、トコトコと近付いてくるメリア。そしてそのまま止まることなく、俺との距離をゼロにして抱き着いてくる。
「……メリア?」
「なに?」
何故抱き着いた? という疑問を込めて名前を呼ぶが、当のメリアはきょとんとした顔をしている。何故俺が疑問を抱いているのか、それがわからないといわんばかりに。
「異性に抱き着くのは良いことじゃないんだ。同性同士でも時と場合と相手によっては嫌がられるしな」
「ふーん」
「ふーん、で流さないでくれ」
前世だと同性でもセクハラが成立する世の中になっていたような記憶があるし、この中世に近い世界で抱き合うとなるとそれは恋人や夫婦のように親密な関係か、親子みたいに抱き締めてもおかしくない関係だけだ。あるいはモモカと俺みたいな兄妹……は、割とレアケースか。
兎にも角にも、メリアが俺に抱き着くのは色々とよろしくないわけで。
「わわわ……やべえ、やべえよ……見ちゃいけないもんを見ちまった……えっ? み、ミナト? 剣の師弟じゃなくて友人として尋ねるけど、メリアとのその距離感の近さはなに? ど、どうなってるんだ?」
ほら、早速透輝に目撃されちゃったぞ。やばいもんを見ちまった、消されないかな? なんて怯えながらこちらに尋ねてくる。
(いかんな……『契約』でつながった影響なのか、いまいちメリアの行動を止めようって気にならないんだよな……)
俺の感覚としてはコハクやモモカが抱き着いてくるような、そんな当たり前の感覚をメリアから感じ取っていた。そのためメリアの行動を止めるべきだと脳が判断しても、体が反応してくれないのである。
「色々と事情があってな……俺の主観としては疚しい関係ではないんだが」
「それがまずいかどうかを判断するのは、カリンさんとかになるんじゃ……」
うん、それはそう。正論すぎて何も言い返せねえわ。
(カリンに何か言われたら反論ができんぞ……今の時点で問題が起きるのは勘弁してほしいが……)
仕方ない。少し強めにメリアを叱るとしよう。
俺がそう判断してメリアを見ると、それを察したようにメリアが俺から離れる。偶然か、空気を読んだのか。一体どっちだろうか、なんて思っていると、遠目に外灯に照らされる形でカリンが近付いてくるのが見えた。どうやら先にカリンに気付き、俺から離れたらしい。
(え? まずいってことは理解しているのか? それとも透輝の反応から学習した? どっち?)
できるのなら最初からやってほしいが、メリアの様子を見る限り今、この場で学習したようにも感じられた。
「ミナト様。今夜はわたしも訓練を……どうかされましたか?」
「……いや?」
カリンからの問いかけに対し、思わずとぼけてしまった。反射的なものである。
(どうするかな……さすがにカリンに伏せるのは不義理だし。でも『魔王』や『魔王の影』関連の情報を伝えるのも……その辺の情報抜きでメリアとの関係を伝える手段が見つからねえわ)
別ルートのカリンならまだしも、眼前のカリンならば懇切丁寧に説明すればわかってくれる……とは思う。
『魔王』や『魔王の影』に関する情報は当主や嫡男ぐらいにしか正式に伝えられていないが、察している者は察しているし、カリンになら伝えても問題はないだろう。わざわざ吹聴して回る性格でもないしな。
(『魔王』や『魔王の影』の情報を知って、カリンに危険が及ぶ可能性は……そこまで気にしていたら何もできないか。いや、『魔王』が発生することを知ったら平静ではいられなくなるか? 下手したら二年弱程度で人類が滅ぶかもしれない、なんて話だしな)
鉄扇の『召喚器』を発現して訓練に取り掛かるカリンを横目で見つつ、俺は思考を巡らせる。
『魔王』の発生についてはオレア教でも備えていることから疑いようがなく、『魔王の影』については実際に俺が交戦している。
それらの情報を明かすということは、直接戦うことがないとしても巻き込むのと同義だ。
(でも、透輝には既に伝えてあるしな。カリンに教えても問題は……うーん……どうにも、カリンが相手だと躊躇してしまうな)
以前膝枕をしてくれた時の様子から、薄々察しているんだろうな、とは思う。俺が何かを抱えて、何かを隠して行動していると、カリンには見抜かれている。その詳細を伝えれば、カリンは喜びこそすれ怒ることはないだろう、とも思う。
(こうして訓練をしているカリンにとっては侮辱になるだろうけど、可能な限り安全で、平和な生活を送ってほしい……なんて思うのは俺のワガママかねぇ。危険な目に遭ってほしくないし、面倒事に巻き込まれてほしくないんだよな)
この感情になんという名前を付ければ良いのか、俺にはわからない。ただ、メリアのことが話しにくいという感情があるにせよ、俺にとってはカリンを危険な目に遭わせたくないからこそ口が重くなってしまう。
なってしまう――のだが。
(これから先、俺の傍にメリアがいたらよくは思わんだろ……そのあたりの説明をするのは俺の義務……だな)
色々と考えたが、カリンとの関係性を大事に思うからこそメリアとのことを伝えておこうと判断した。
「カリン、訓練に励んでいるところ悪いんだが、少しいいだろうか?」
「え? はい……それは構いませんが」
俺の呼びかけに不思議そうな顔をするカリン。訓練中にこんな形で声をかけるのが珍しかったからだろう。何事かと目を丸くしている。
「あー……その、なんだ。少し話があるんだが……メリアもこっちに来てくれ」
「あっ……ししょー、俺、あっちに行ってますね。誰か来たら止めておくんで……ご、ごゆっくり?」
俺の言葉が聞こえたのか、何かを察した様子の透輝が居心地を悪そうに身を縮こまらせながら、すごい勢いで遠ざかっていく。明日からの訓練、もっと厳しくしてやろう、そうしよう。いや、気遣った結果だし、逆に優しくするべきか。
なんて、現実から逃げるようにしながらカリンと向き合う。するとごく自然とした様子でメリアが俺の隣に立ち、そっと服の裾を摘まんで……って勘弁してくれ……。
「…………」
メリアの行動に対し、カリンは無反応だった。ただじっと、俺の目を見詰めてくる。その表情は真剣なもので、何かしらの覚悟を感じさせるものだ。
(やばい……胃が痛い……逃げたい……)
思わずそんな弱音が心の中で湧いてくる。強敵との戦いなら望むところだが、こんな状況は望んではいない。尻尾を巻いて逃げてしまいたいほどだ。
だが、それでもカリンから逃げるわけにはいかないだろう。
「カリン……君に伝えなければいけないこと、話さないといけないことがある」
俺は覚悟を決め、カリンを真っすぐ見つめる。するとカリンも俺を見つめ返してくるが……その瞳は僅かに揺れていた。恐怖を抑えるように、痛みを我慢するように、両手を小さく握り締めて。
「……はい。覚悟は……して、いました……から……」
応えるカリンの声は、大きく震えていた。そのことに疑問を覚えつつも、俺はこの機会にと様々なことをカリンに伝えていく。
『魔王』や『魔王の影』に関すること。
近い将来、『魔王』が発生する可能性が非常に高いこと。
『魔王の影』の一人、バリスシアと交戦したこと。
『魔王』や『魔王の影』を倒すには、今の自分では力が足りないこと。
足りない力を補うために、メリアと『契約』を交わしたこと。
それらを主観を交えず、客観的な情報のみに絞って淡々と伝えていく。
「力を借りる関係上、これから先、メリアが俺の近くにいることも多いだろう。婚約者候補である君にとって不快なことだろうが、どうか許してはもらえないだろうか?」
許してもらえなかったら困るし、他にどうしようもないが、きちんと伝えるのが誠意だろう。メリアに近付かないようにしろと言われたら本当に困るというか、『魔王』関係のことを思うとカリンの方を切り捨てざるを得ないのだが。
本当はメリアとの関係を隠しきり、カリンに疑いを抱かせず、『魔王』や『魔王の影』をどうにかしてからメリアとの『契約』関係を解消すれば良かったのかもしれない。
だが、そんな器用な真似は俺にはできない。貴族として学んできた演技力を総動員しても無理だろう。途中でボロが出るに決まっている。
それなら最初から隠さず伝えてしまう方が無難というものだ。その結果カリンに不快な思いをさせてしまうことに関しては、謝ることしかできないが……。
(俺が隠した場合、カリンはわかっていて騙されてくれそうな気もするけどな……)
こういうのは自分が楽になるための行動だとわかっていても、伝える方が正解だと思えてしまう。たとえ自己満足と言われようが、黙っている方が不誠実だと。
そう考えた俺の説明を受けたカリンは、情報を噛み砕くようにしばらくの間沈黙していた。そして一分、二分と経ってからようやく口を開く。
「色々と……色々と言いたいこと、聞きたいことはあるのですが……わたしとの婚約者候補という関係性を解消する、という話ではないのですね」
「え? 誰もそんな話はしてないと思うんだが……」
むしろ婚約者候補という関係性を重視するからこそ、こうして説明しているわけなんだが。
「いえ、今の話を聞いていた感想としては、わたしが婚約者候補である必要がないように思えたので……関係を解消し、メリアさんを婚約者候補……いえ、妻にする流れだったのかな、と」
「それは……」
それは別ルートの話であって、俺の選択じゃない……んだが。
(カリンからすると、そう考えてしまうぐらい俺の行動が悪かったってことか? 『魔王』関連の話を抜きにしたら、授業を休んであっちにフラフラ、こっちにフラフラ……しかも異性を連れて……)
俺がカリンと逆の立場だったならば、何をしているんだろう、と心底不思議に思うだろう。それでも俺のすること、隠していることに踏み込まず、ただ見守っていたカリンに対して感謝の念しかないんだが。
(……知らず知らずのうちに、カリンとの関係を悪くない……いや、良いものだって思っていたのかな……)
最初は『花コン』でそうだったから、という自分でもどうかと思う理由だった。
だが、カリンと接し、学園で共に過ごしていく内に、その関係を自然なものとして受け止め、受け入れている自分がいたのも事実で。
「カリン、今回の話に嘘はないし、俺も本音を隠さず伝えるが……その、俺は、だ……」
僅かに言葉に迷う。これから伝えようとする言葉を脳内で巡らせ、ほんの少し、逃げたくなった。
「君との関係を解消しようだとか、そういうことは思い浮かばなかった。ただ、君に誤解されたくなかっただけなんだよ」
結局のところ、それが全てだった。
誤解されたくないから説明するという、単純極まりない話である。
カリンが理解し、納得してくれるかは別問題だが、伝えずに黙っておけばそれだけ誤解もされてしまうと危惧してのことだった。現に、俺から別れ話を切り出されると思っていたみたいだし。
「そう、ですか……よかった……」
カリンはほっとしたように、胸に手を当てながら大きな息を吐く。心から安堵したように呟くその様子に、俺は――。
(これ……演技じゃないのなら、本当に俺のことを……?)
そんなことに思い至り、目線を彷徨わせてしまう。
単純に惚れた腫れたではなく、家同士のつながりやその他諸々の関係もあるが、互いに悪くない感情を抱き合っているのは感じていた。それが思ったよりも強く、深いものだったことが少しだけ意外で。嬉しくも思えたのは、何故だったのか。
「カリン――」
俺は思わず、カリンに手を伸ばそうとした。だが、カリンに伝えていない情報の一つ――『魔王』の『消滅』に失敗した場合の未来が脳裏を過ぎり、動きを止めてしまう。
(そう、だ……もし駄目だったら、俺は存在ごと……)
別ルートにそのまま移行するとも限らないが、存在をギリギリまで削ってもなお、二十年から三十年程度の『封印』しかできない未来が待っている可能性がある。
その場合、眼前のカリンからも俺は忘れ去られることになる。他人のような関係になるどころか、綺麗さっぱり、認識されなくなってしまう。
「ミナト様?」
カリンが不思議そうな声を上げ、俺は我に返った。そして伸ばしかけた手を下ろすと、拳の形に変えて握り込む。
「……いや、なんでもない。そういうわけで、俺とメリアの関係は今、説明した通りなんだ」
そう言って、これからも不自然に授業を休んだり、メリアや他の面子と一緒にダンジョンに赴いたりすることがあると伝える。
すると、カリンは一通り話を聞いてから頷いた。
「ミナト様が抱えている事情は、おおよそ理解できました。わたしにできることがあれば何でも仰ってくださいね?」
「……できることも何も、君には色々と助けられているよ」
「そうですか? では、将来のこともありますし、三人目になりそうなメリアさんとも交流を深めるということで……」
カリンは苦笑しながらそう言う――が。
「三人目? 何の話だ?」
俺は疑問を覚えて首を傾げる。え? それ、何のカウントですか?
そんな疑問を込めて尋ねると、カリンは意味深に微笑む。
「婚約者候補……将来の正妻としての義務にかかわる話、です。正直なところ嫉妬もしますが、敵対するより取り込んだ方が有益なお相手が多いようですので」
そう言われて、俺は事情を察する。それはきっと、俺が『魔王』をどうにかできた後に訪れる未来を予見した結果だ。
俺が『魔王』をどうにかできると考えた上での、カリンなりの判断だった。
「……その三人って、カリンを含んでの話……か?」
以前のカリンの反応から、カリン本人、スグリ、そして今回のメリアと想定しての話だろう。
「…………」
そう思って問いかける俺に、カリンは意味深に微笑んで何も答えなかった。




