第259話:賭け その3
――オレア教の教主にならないか?
そんな、聞く人が聞けば大騒ぎになりそうなことをオリヴィアは口にした。
(冗談……じゃ、なさそうだな……)
思わず口から出かけた言葉を飲み込みつつ、オリヴィアの様子をうかがう。
オリヴィアは真剣な様子でこちらをじっと見つめてくる。少なくとも冗談とは思えず、俺は小さくない困惑を覚えてしまった。
「いや……突然そんなことを言われても困りますよ」
嘘偽りのない本音を口に出せば、予想外にというべきか、オリヴィアは口元に苦笑を浮かべる。
「でしょうね」
「でしょうねって……」
この世界で浸透しているオレア教の影響力を考えれば、前世の三大宗教のトップの座を継がないか、とでも言われたような気分になる。有体に言えば胃が痛い。
そうやって困惑する俺を見てどう思ったのか、オリヴィアは僅かに視線を逸らした。
「あなたが『魔王の影』ではない……むしろオオイシ達と同じで、この世界を一個の世界だと認識し、世界を平和にするということを感覚的にでも理解できているからこその提案よ」
「そう言われましても……買いかぶりでは?」
「いいえ、買いかぶりじゃないわ」
断言するようにオリヴィアが言う。
「貴族の家に生まれたから気付いてないのかもしれないけど、この世界の人間は普通、身の回りのことしか認識できないの。村人なら生まれた村の中のこと、町の人間ならその町のこと、王都に生まれた人間なら王都のこと……世界なんて広すぎる概念、認識も理解もできないのよ」
「そんな馬鹿な……いや、そう……なのか……?」
否定の言葉を吐きかけて、寸でのところで思い直す。オリヴィアがここまで言うってことは根拠がない話ではないのだろうから。
「あなたみたいな貴族の生まれでも、普通は自分の領地とその周辺、それと王都や王家の直轄領ぐらいが自分の世界なの。それ以外の場所は知識としては知っていても、きちんとした認識じゃない……だから、あなたみたいに世界を認識できる人間は貴重なの」
前世ならインターネットがあり、通信ができるなら世界中とつながることが可能だった。それを自分の世界だと認識していたわけではないが、この世界では大陸の地図はあっても世界地図なんて存在していないし、遠く離れた国の人間と通信することも不可能である。
それを俺は、現実ながら『花コン』の世界として認識していて――。
(……ッ!?)
ズキン、と全身に痛みが走った気がした。普通の痛みではない、何が痛んだのかさえわからないような、不可思議な痛みである。
「『魔王』が発生して、モンスターを止められなかったら……世界が滅ぶわ。それは間違いない。でも、その滅ぶ世界ってなに?」
「……この世界に生きる、人類のことです」
「そうよ。この世界に生きる何百万、何千万、あるいは億に達する人間が死ぬの。言葉の上でもそれを理解し、認識できることがこの世界の人間には難しいということを理解してちょうだい」
たとえば――たとえ話だが。
この世界の一人の村人として生まれたとしよう。
村の中で生まれ、育ち、畑を耕し、成人となって結婚し、子どもができて。
その子どもが大きくなって、親と同じように畑を耕して生活して自立して。
孫やひ孫が生まれた頃に寿命を迎えて死んだとして。
その村人の世界は、たしかに村の中で完結している。
村の外に広い大地があって、生まれ育った村よりも大きな村や町があって、数えきれない人が住む王都があって、他の国があって、他の大陸があったとしても。
その村人にはそれらの世界が認識できない。
俺は辺境伯家の人間だからもっと広い範囲を認識できるし、幼少の頃からどこどこにどんな領地があってどんな特産品があって、と知識の上では理解できている。
更にはこの世界が『花コン』と似たものだと認識しているため、パエオニア王国や周辺国家が存在するアーノルド大陸、ランドウ先生が生まれたキッカの国等の存在も一つの世界として認識している。
それらがまとめて滅ぶという恐怖を、理解できている。
「教主殿……いや、オリヴィアさん、あなたもそれを?」
「ええ。オレア教を作り、オオイシ達が教えてくれた知識を実現させたり、世界中を回って『召喚器』を集めたりしている時に実感したわ。あの人達が救い、わたしが背負ったこの世界がこんなにも広く、これだけ多くの人間が生きているんだってね」
おそらくだが、俺の認識よりもオリヴィアの認識の方が深いのだろう。この世界を直に見て回ったオリヴィアの方が、知識と感覚の両方で理解できているに違いない。俺の場合はあくまで知識での理解だ。あるいはふわっとした感覚上での理解と言い換えてもいい。
「その感覚があって、これからを背負えるぐらい若く、『魔王の影』が相手でも殺されないぐらいには強く、オオイシ達と同じでオレア教を運営するために必要となる別世界の知識もある。わたしの後を託すにはうってつけだと思わない?」
「そうやって条件だけを並べられると、たしかにうってつけに思えますね……俺みたいな凡人にオリヴィアさんの代役が務まるとは到底思えませんが」
話を聞いた感じだと、モリオンやアレクといった秀才、天才じゃないとオリヴィアの代役は務まらないのではないか、なんて思う。頭の良さ、柔軟さといった適性だけで見ればアレクが適任じゃないだろうか。
俺はそう思ったが、オリヴィアから向けられた視線に口を閉ざす。暗く、疲れ果てた人間特有の、淀んだ瞳だった。
「……肉体的には不老なのだけど、精神はそうじゃないの。三百年……長い年月をかけて、少しずつ摩耗していくのが感じ取れるわ……感情が死んで、喜びも怒りも哀しみも楽しみも、全てが色褪せていく……」
そう話すオリヴィアの苦労、苦悩は俺にはわからない。前世込みでも三百年どころかその十分の一と少ししか生きていないからだ。
「このままだと、オオイシ達の遺志を継いで人類を守っていくという気持ちさえ失われそうで……それが、怖い」
人類に様々な技術や概念、娯楽をもたらし、負の感情を減らし続けたオレア教の教主は、平坦な口調でそう告げる。限界が近いと、そう告げる。
「まだ……まだ、耐えられるわ。あと数年、なんとか十数年はきっと、耐えられる。仮に今回の『魔王』退治が失敗して『封印』に終わっても、次代に託すところまでは頑張れる……でも、その託す相手が、託せる相手が、ずっといなかったのよ」
「…………」
あまりにも重く、苦しさすら感じるその言葉に、俺は返す言葉がなかった。無言でオリヴィアの言葉を受け止め、頷くに留める。
「その設計図、見たでしょう? オレア教では秘密裏にそれらの銃器を開発、増産しているの。そして有事の際にはモンスターを蹴散らし、『魔王』への道を開くことができる」
そう言って、オリヴィアは『機装纏鎧』を見た。かつての『機装纏鎧』の活躍が再現できれば、『魔王』への道が拓かれると信じるように。
「ただ、下級から中級のモンスターならともかく、上級のモンスターが相手だと通じるか微妙な威力だわ。だからその点はオレア教の精鋭や王国の軍を使って埋める。そうして切り拓いた先、『魔王』に関しては集めた強者で叩き潰す……それがオレア教やこの国が進めてきた、『魔王』対策よ」
「なるほど……」
強者を集めてぶつけるという点では俺の構想と同じだが、具体的にどうぶつけるかまで考えてあるらしい。この世界の貴族や国の上層部は優秀で頼りになると思っていたが、想像以上だ。俺ができることがない。
「それでも、いくら備えても予想外のことは起こり得るわ。次に発生したら『魔王』を『消滅』させるつもりだけど、失敗することも想定しなければならない……だからこそ、わたしは次を託せる人を探していたの」
「……それが俺だと?」
「ええ。オオイシ達と同じ世界から生まれ変わったあなたなら、これまで以上にオレア教を広めて『魔王』への対策ができるでしょう?」
それは買いかぶりも良いところだ。俺は前世でも凡人だったし、今世でも凡人だ。たとえ様々な知識があったとしても、それを上手く活用することもできない。
まず間違いなく、オリヴィアのように『魔王』に備える対策のための一手を打てない。迷いに迷って変なことをするのがオチだろう。
どんな世界の人間だろうと才能の差、優劣の差があることなど、オリヴィアとてわかっているだろうに。
(いや……それもわからなくなっているのか? もしくは目を背けているだけか?)
それだけ限界が近いのかもしれない。重荷を下ろしてしまいたいと、そう願っているのかもしれない。
「オリヴィアさんの考えは……まあ、わかった。次に託せる相手を探しているっていうのも、組織の長として当然といえば当然だろうさ」
「なら――」
「でも、俺は無理なんだ。このままいくと、『魔王』退治に失敗すると俺は消える。存在が消えて誰からも認識されなくなるんだ」
だから、俺はリリィから得た情報に関して隠すことをやめた。情報を隠さず伝えるオリヴィアに対し、俺もノーガードで情報を提示する。
「……それは、どういう?」
「隠していて申し訳ない。バリスシアと戦った時のことなんだが――」
俺はリリィに助けられたことと、今後訪れるであろう未来の可能性に関してオリヴィアへ伝えていく。ここに至っては隠しておく方が危険だ。俺をオレア教の後釜に据えるつもりでいたら、俺の存在が消滅して託せる相手がいなくなった、なんてことになりかねない。
同時に、俺に教主なんて務まる器量がないことも断言しておく。
「あなたが……メリアと『契約』して『魔王』と戦い、存在が消滅する……『封印』した後の世界であの子と子どもを作る? そしてその子どもが未来からあなたを助けに来た? そんなことが……待ちなさい、そうなると最近、ダンジョンを破壊して回っているのは……」
「うちの娘です」
「なる、ほど……道理で足取りが追えないわけね……『相埋模個』……そんな『召喚器』が……」
オリヴィアは余計に疲れた様子で大きくため息を吐く。
「なんで隠していたの……と言いたいところだけど、あなたの考えもわかるわ。『魔王』を『封印』しかできない未来が待っているのなら、たしかにその子どもを排除する理由になり得るもの」
「――言っておきますが」
「しないわよ。いいえ、できない、と言った方が正しいかしら。その子、本来は今の時代に存在しないんでしょう? そんな存在を殺した場合、未来がどうなるか……それに、その子のおかげで二、三十年しか『封印』できない未来から外れた可能性が高い……殺す理由がないわ」
本音なのか、俺の前だからこそ嘘を吐いているのか。それを見抜けるほどオリヴィアの面の皮は薄くない。だが、今のオリヴィアは嘘を吐いているようには見えなかった。
「そう……あの子、子どもが産めるのね……限られた未来だとしても、そんな未来が待っている……」
何かを噛み締めるようにオリヴィアが呟く。その瞳はこれまでの暗く淀んだものではなく、薄くだが輝く光が宿っているように見えた。
「そうなると、次の『魔王』の発生でしっかりと殺し切るしかないわね。わたしの後を託す相手は……まあ、どうにかなるでしょ」
それまでの鬱屈とした感情を振り切るように、オリヴィアが言う。投げやりではなく、あくまで前向きに。
それを見た俺は、どうにか持ち直したか、と安堵の息を内心で漏らした。
「ところで、何故このタイミングでこんな話を?」
確認するべく軽口を叩くように尋ねると、オリヴィアは小さく首を傾げる。
「『魔王』と戦う直前になってこんな話を振って、いきなりオレア教を託されたらあなたはどう思うのかしら?」
「いきなりすぎて胃が死にますね」
というか、さっきのリリィ関連の話があるから直前で言われたら困るどころの騒ぎじゃない。引き継ぐ相手が存在を消滅させる間際なのだから。
「そうでしょう? こうした引き継ぎというのは、余裕がある時に時間をかけて行わないと後々問題が起きるものよ」
「引き継ぐものの重さはともかくとして、なんでそういうところだけホワイトなんですか……いや、これ通じないか?」
いくら言語が統一されていると言っても、通じない言葉や表現もあるだろう。そう思った俺の考えは正しく、オリヴィアは首を傾げている。だが、言葉のニュアンスから大まかに意味を察したのか、理解した様子で微笑んだ。
「知っているでしょう? 負の感情が溜まらないように、よ」
それはきっと、オリヴィアが三百年以上心がけてきたことで。
オレア教やオリヴィアの事情を知り、なおかつこれまで以上に協力し合える関係になれたことに、俺は安堵の息を吐くのだった。




