第256話:弟で兄
翌朝。
また近くまで来た時は必ず顔を出すと約束し、リリィは去っていった。それを見送った俺は朝食を取ると、動きやすい服装へと着替える。今日は日曜日だし、一日中訓練に没頭できる日なのだ。
昨晩は寝ていないが、リリィと話をしたら自分も頑張ろう、できることをやろう、と強く思えた。そのため気合いも十分に、第一訓練場へと向かい――おや?
「あ、兄上」
そこには何故か、俺と同じように動きやすい服装に着替え、木剣を持つコハクの姿があった。
「やあ、おはよう。コハクも訓練かな?」
「はい。実家でもそうでしたが、まとまった時間が取れれば剣を振るようにしていますから」
「そうかそうか。うん、いいことだ」
努力を欠かしていないようで、お兄ちゃんは嬉しいよ。
周囲を見回してみれば、今のところコハク以外の姿はなかった。早い時間帯だし、まだ寝ているか食事か準備をしているのだろう。つまり、コハクはかなり早い時間から準備をしてここにいるわけだが。
(まさか、俺が来るから待ってたとか? 何か話したいことがあるのかな?)
そんな風に思いつつ、俺も木剣を用意する。そして軽く素振りをして体をほぐすと、コハクへと視線を向けた。
「どうだコハク、久しぶりに軽く打ち合わないか?」
「っ! はいっ! 是非!」
俺が話を振ると、思った以上に嬉しそうな様子でコハクが頷く。いやはや、こんなことで喜んでもらえるのなら兄冥利に尽きるってもんだね。
まあ、コハク相手に剣の打ち合いをしたり、指導をしたりするのはサンデューク辺境伯家の実家でもやっていたことだ。そのため俺もコハクも慣れた様子で軽い打ち合いから始める。
「そういえば、学園での生活はどうだ? もう慣れたか?」
「ええ、さすがに一ヶ月も経てば慣れました。ただ、同い年の貴族や騎士、平民の子が常に周囲にいるというのは今でも新鮮ですね」
「あー、たしかにな。こればっかりは領地にいた頃には経験できないことだからなぁ……それで? 友達や恋人はできたか?」
「っ!? ゆ、友人はともかく恋人ができたら問題でしょう!?」
おっと、確認のために尋ねたら剣筋が盛大にブレた。まだまだ甘いなぁ。
「問題なもんか。そりゃあ遊びで引っ掛けるっていうのなら俺も叱るけど、真剣な話、将来の伴侶を捕まえてくるなら今がチャンスだからな。気になる子、良いなって思う子はいないのか?」
ブレた剣を丁寧に弾くことで指導代わりにする。コハクは剣を構え直すと、大きく息を吐いた。
「その辺りは父上や兄上が決めることでは? 家にとって最善な相手を選んでいただければ、僕はそれで……」
「いや、父上はともかく、俺はお前の意思を最優先にするよ。好きな子ができたら迷わずその手を掴んでこい。その辺のゴタゴタは俺がどうにかするし、家の利益がどうこうって言われたら俺がどうにかする……というか、カリンと結んだ関係で釣りがくるしな」
下世話な話だが、婚姻関係で利益がどうと言われてもカリンの実家であるキドニア侯爵家とのつながりで十分だ。『王国北部ダンジョン異常成長事件』で助けた分こっちに有利な関係だしな。
ただ、そんな利益に関係なく、コハクには自分の好きなように生きてほしいが。
(『魔王』関係で俺がミスって死んだらコハクが次期当主になるからな……それを防ぐためにも、死ねないわな)
コハクに好きなようにさせるのも、可能な限り生きたいと願うが故の決断だ。死ねない理由を増やせば増やした分、きっと、俺は頑張れる。
まあ、俺が死ねば世界が救えるような、どうしようもない状況に追い込まれたらその限りではないが……可能な限り死にたくないからそんな状況はごめんだが、俺が嫌がったからといって避けられる保証はない。
あと、なんだかんだでコハクはまともに結婚するというか、変なことはしないだろうな、なんて信頼があった。平民と恋に落ちて駆け落ちとか、そういうことはしないタイプだろう。どちらかというと良いところの御令嬢に見初められ、婿入りするタイプじゃないだろうか。
そういう意味だと、モモカみたいに複数の異性から矢印を向けられないかを心配しないといけないかもしれない。
(身贔屓が過ぎるかな……でもモモカよりは安全で安定してそう……モモカ……モモカなぁ……)
俺は思わず小さなため息を吐いてしまう。するとコハクが首を傾げた。
「やっぱり僕のことで何か気になることでも?」
「いや、コハクのことじゃなくて、モモカのことなんだ」
「というと?」
「ほら、最近モモカが目立っているだろ? コハクに何か迷惑がかかっていないかな、とか、モモカが原因で学園生活で何か困っていることはないかな、なんて気になったのさ」
モモカの結婚相手どうする? なんて話はさすがに振れなかった。双子という関係性ながらコハクにとってモモカは妹で、一緒に悩んでもらっても良いのだけども。
(コハクにはあまり心労を与えず、のびのび育ってほしいからな)
これは兄というより父親みたいな感情なのかもしれない。赤ちゃんの頃から面倒を見ていたから仕方ないのだ、と自分に言い訳する。本当の子どもはリリィだけだが、小さい頃から世話を焼いたという意味ではコハクやモモカの方が俺の子どもに近いし。
そんな俺の言葉に何を思ったのか、コハクは構えていた剣を下ろす。そして微笑むような、泣く一歩手前のような、複雑な表情を浮かべた。
「……兄上は、僕のことも気にかけてくれるんですね」
「? 何を当たり前のことを。兄ちゃんが弟のことを気にかけるのは当然だろ?」
何を言うんだ、と俺は首を傾げる。しかしすぐに思い当たる節があり、思わず手を打ち合わせてしまった。
(あっ……あー、そうか。モモカの方にばっかり構ってるって思ったのか? それでちょっと拗ねちゃってるとか……)
二人が学園に入学してからというもの、モモカの方に構っていたのはたしかだ。正確には構っていたというか、モモカが起こした問題の対処をしていただけなのだが。
(うーん、うちの弟が可愛い……でも子どもじゃないし、過度なスキンシップは駄目だな。モモカは何故かそっちの方が喜ぶけど)
モモカは全力で甘えてくるというか、甘え上手というか。
それでもコハクのそこはかとない不満を感じ取った俺は、木剣を構え直す。
「コハク、今日は暇か?」
「え? それは……はい。特に用事もありませんが……」
俺の突然の質問に不思議そうな顔をするコハクだが、そんなコハクに俺は笑って問いかける。
「それじゃあ久しぶりに付きっ切りで剣を見てやろうか? 俺が学園に入ってからは見てなかったしさ」
「あ……うんっ!」
思わず、といった様子で子どもの頃のような返事をするコハク。しかし、それを見た俺は笑みを深めるばかりで、何も言わない。言う必要もない。
ただ、コハクはコハクでモモカの兄貴なわけで。
「コハクも色々と思うところがあるだろうけど、モモカのことも少しで良いから気にかけてやってくれると兄ちゃんは嬉しい。喧嘩するな、兄貴なんだから、なんてことは言わないけど、あの子はコハクの妹なんだ」
そう言ってから、俺は困ったように頬を掻く。
「モモカは……ほら、腕白に育ったからさ。尻拭いは俺がするから、コハクは少しでいいからあの子を見てやってくれないか?」
「モモカがあんな風に育ったのは、兄上のせいでは……」
「えっ? そうなのか?」
ナズナにも似たようなことを言われたけど、まさかコハクにも言われるとは……えぇ? 俺、そんなにあの子に影響を与えてるのか?
「僕も兄上の背中を見て育ちましたが、モモカは僕以上というか……兄上の真似をするのが好きな子ですから」
そんなことを言いながら苦笑を浮かべるコハクだが、俺としてはいまいち腑に落ちない。
「家族との接し方、家臣との付き合い方、貴族としての在り方……その全てを兄上が教えてくれましたから。僕もそうですが、モモカは明らかに兄上似ですよ」
(嘘だろ……そんなに影響を与えるようなこと、したか?)
思わずそう考えてしまうが、コハクがわざわざ嘘を言う理由もなく。俺はますます困ってしまう。
「そう……なのか……兄冥利に尽きるというか、父上に顔向けできないというか……あの子が拳で語るのも俺のせいか……」
「あ、いえ、それはモモカ自身の性格じゃないかな、と……駄々っ子は殴ってでも話を聞かせる、みたいな」
「それは良かった……いや、良くないわ」
思わず頷きかけて、首を横に振る。たしかに兄として色々と教えた記憶はあるが、その教えとモモカの性格が変な具合に合体してあんな感じに育ったというのか。
(おかしいなぁ、『花コン』だと割と特徴がない性格だったんだけどなぁ……)
特徴がないのが特徴、とまでは言わないが、後輩キャラとしては割と薄味だったはずだ。それはコハクも似たようなものだったが、今世におけるギャップという意味ではモモカの方が圧倒的に上だろう。
そうやって俺が頭を悩ませていると、遠目に件の問題児、モモカの姿が見えた。動きやすいよう体操服に着替えており、こちらに向かって右手を振りながら走ってくる。左手には例の四角鞄を握り締めていた。
「お兄様っ! 一緒に訓練……って、コハクも一緒ですの?」
「なんだよモモカ。僕がいちゃ悪いのか? というかここに来るまでに見えていただろうに」
甘えるように飛び込んでくるモモカと、そんなモモカに対し肩を竦めるコハク。こうしてみるとやっぱり、コハクの方がお兄ちゃんって感じだな。
「あー、モモカ? 今日はコハクの剣の修行を見てやる約束でな。モモカとの訓練はまた後日でいいか?」
「えー……でも、約束なら仕方ないですわねっ! わたしはあっちで自主訓練してますわっ!」
残念そうにしながらも、先約を優先するべきだと納得するモモカ。こういうところは素直なんだよなぁ……なんて思っていたら、距離を取って自主訓練を始めるなり、時折チラチラとこちらを見て構って欲しそうにしている。
「はぁ……まったく、モモカときたら」
どうするかな、と悩んでいたら、コハクが小さく呟いた。仕方ない奴め、といわんばかりの口調である。
「兄上、せっかくの機会ですがモモカも一緒で構いませんか?」
「そりゃあ俺は構わんが……コハクはいいのか?」
変な遠慮はしなくてもいいんだぞ、という意図を込めて尋ねると、コハクは大人びた苦笑を浮かべた。
「僕もあの子の兄……ですからね」
そう告げるコハクは、たしかに兄の顔をしていた――が、それはそれ、これはこれである。
「コハク。俺は平日でも放課後は大体ここにいるから、いつでも会いに来てくれ。歓迎するよ」
「えっ……?」
俺は無理に兄貴ぶるコハクの頭に手を乗せ、ぐしゃぐしゃと敢えて荒っぽく撫で回す。
「あまり背伸びはしすぎるな。甘えたい時は甘えてくれていいんだからな? それぐらいの甲斐性はあるつもりだしさ」
「……兄上には敵いませんね」
俺に撫でられるがままにしていたコハクは、どこか嬉しそうに呟いて。
「あああーー! お兄様っ! わたしもわたしもっ!」
俺達の様子を見て盛大に声を上げながら突撃してくるモモカの姿に、俺とコハクは二人で顔を見合わせ、一緒に笑い合う。
なお、今日のことがコハクに何かしらの影響を与えたのか、俺やモモカと一緒に訓練をする姿が本の『召喚器』の八十一ページ目に新しく描かれたのだった。




