95 皇太妃死す
ここから第四部が幕をあけます。
引き続き、「後宮の死化粧妃」をお楽しみいただければ幸甚です。
眠らない後宮とは違って、宮廷はしんと静まりかえっていた。
綏 紫蓮は幼帝と宰相に連れられて、宮廷に渡っていた。
張りつめた静寂は耳に刺さる。幼い皇帝のこらえきれない嗚咽だけが、廻廊の先に続いた暗がりに吸いこまれていった。燈火がないわけではないが、紫蓮は華やいだ後宮になれているせいか、曇っているような重さを感じた。
「――――母上様が身罷られた」
離宮に飛びこんできた幼帝は泣きながら、皇太妃の死を報せた。
珀 如珂が死んだ。
先帝の頓死から皇族の連続暗殺まで。陰謀を張りめぐらせた毒婦が命を落とした――予期せぬ事態に紫蓮は動揺を禁じえなかった。
いまだにこれが現実なのかわからず、足もとがふらついている。
なぜ、珀 如珂が頓死したのか。
尋ねたくとも死化粧師ごときに教えてもらえるはずがないので、推察するほかにない。
静まりかえった宮廷の様子から察するに、如珂の死は官吏、女官にはまだ知らされていない。現段階では、如珂の死を知っているのは幼帝、宰相である唐 圭喝、紫蓮――偶々離宮に居合わせてしまった絳だけだろう。
これは異常事態だ。
医官等を呼ぶまでもなく、真っ先に紫蓮のもとに報せがきたのは、他人の眼にさらされる時には屍が修復されていなければならないからだ。
よほどに凄惨、あるいは異様な死にかたをしたのだろうか。
想像するだけでも、紫蓮は酷い胸さわぎをおぼえた。
最後に如珂と逢った時のことを想いだす。紫蓮をけん制しながら、如珂は虚しげにつぶやいた。
「誰もが棺桶のなかで舞う演者なのだ」
如珂はすでにあの時、暗殺されると予期していたのではないか。
先導していた圭褐が口をひらいた。
「つきました」
紫蓮が通されたのは皇帝の臥房だった。
唐草紋様の金砂の壁紙に希少な紫檀の調度品。紫蓮の身のたけをゆうに越える特大の香炉に大壺と、過度に飾りたてられていて落ちつかない。これだけの調度がそろっていてなおゆとりのある房室の中央には、天蓋のついた大きな臥榻がおかれている。
幼帝は八歳にもなって、皇太妃と一緒に眠っているらしかった。
踏みこむと微かに白檀の香が漂ってきた。高貴なはずの檀香が、垂れこめた死の予感とあわさって葬式の線香を想わせた。
圭褐に促され、紫蓮が臥榻の側に進む。
「こちらです」
天蓋から垂れた帳が取りはらわれる。
紫蓮は絶句した。
如珂は瞼が破れそうなほどに眼を剥き、皺を寄せ、鼻を酷くゆがめていた。いびつに強張った頬は嗤っているのか、嘆いているのか。あるいは怨んでいるのか。
どれだけ悲惨な屍と対峙しても動じたことのなかった紫蓮が身震いして、後ろによろめいた。
すべての元凶であるはずの珀 如珂がなぜ、先帝や母親と同様の死にかたをしているのか――
衝撃で思考がとまる。
だが、頭のなかで声が聴こえた。
構わないだろう。命を奪い続けてきたものがついに奪われる側になった。それだけのことじゃないか――紫蓮の唇が緩く弧を描いて、持ちあがる。
復讐の火がごうと燃えさかった。
「早朝までには、公表できるようなかたちに修復を頼みます」
紫蓮の考えなど露知らず、圭褐が死化粧を依頼する。
茶会の時、如珂は紫蓮にたいして、親のかたきでも等しく葬れるかと尋ねた。あの時は如珂の真意が読めず、紫蓮は言葉を濁したが、今は違う。
(ご免だよ)
紫の眼が怨嗟に濁る。
絳から先帝崩御の真実を聴き、紫蓮のなかにいた亡霊が息を吹きかえした。いまも亡霊は声を嗄らして、訴えている。
許せない、許せるものかと。
(母様の哀しみを、父様の苦しみを、なかったことにして葬ってたまるものか)
如珂をやすらかに葬ることは、紫蓮にとっては真実を闇に葬るに等しかった。
だが、いまさら罪を糾すことはできない。ならば、ふさわしい報いとはなにか。紫蓮には考えつかなかった。
(たったいま、解ったよ)
どうすれば、父親と母親の復讐を遂げられるのか。
「承りました。綏 紫蓮、謹んで死化粧を施させていただきます」
死には死を。冒涜には冒涜を。
(僕はきっと)
この時のために死化粧妃となったのだ。
果たして紫蓮が考えついた復讐とはなにか……
宮廷の陰謀が牙を剥く第四部は毎週土曜日水曜日の連載とさせていただきます。「面白い」「続きが楽しみ」とおもってくださった読者様はブクマにて書架にお迎えいただければ大変励みになります。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。





