52 奇人官吏、風葬地にいそぐ
ここから第二部《骨は語るか》になります。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
(死体の描写があります。耐性のない御方はグロ注意です)
絳は耳を疑った。
「今、言ったとおりだ。堀からあがった骨は今朝処分した」
官吏は露骨に眉根をひそめて、それがなんだといいたげに頭を振った。
「ですが、まだ身元もあきらかになっていなかったはずです」
「骨になっていては、身元はわからんだろう。捜査はうちやめだ。宮廷の外にある風葬地におくられたよ」
「そんな」
日の角度を確かめる。まだ隅中(午前十時)だ。厩から馬を借りて、風葬地にかけつければ間にあうだろうか。
焦燥にかられた絳の表情をみて、官吏が鼻で嗤う。
「しょせん、他人の骨だろう。なにを必死になることがある」
絳は唇をかむ。
その通りだ。絳もまた、昨日まではそう考えていた。手掛かりになる、かもしれないというだけでは、ここまで焦慮することはなかったはずだ。だが、紫蓮ならば。
縁もゆかりもない、誰かもわからない骨にたいして「可哀想だ」と悼みを投げかけたその眼を想えば、胸を掻きむられた。紫蓮に検視を依頼したかぎりは、彼もまた、誠実さを徹してしかるべきだ。
残念だった、で諦めるわけにはいかない。
「靑靑、ただちに馬を」
側にいた靑靑に声をかける。
絳は靑靑が連れてきた馬を駈り、宮廷の北東にある風葬地にむかった。
…………
荒野に吹きつける風は鼻を刺す死臭を帯びていた。
剥きだしの荒れ地には黄変した草が疎らに根を残し、風に揺れている。
風葬地とは身寄りのない屍、疫死した屍を野ざらしにして処理する場所だ。昨今は都では疫がおこっていないため、ここに運ばれるのは罪人や奴婢、宦官の屍が八割をしめる。残りは身元不明の遺体だ。
砂埃をあげて、馬が停まる。
絳は馬から下乗して、風葬地にある崖に屍を投げこんでいる奴婢に声をかけた。
「私は姜 絳、後宮丞です。宮廷から遺骨が運びこまれたはずですが」
「え、ああ、それでしたら、あっちに」
指さされたほうに視線をむければ、今まさに粗末な袋が、崖から投げ捨てられるところだった。例の骨だ。絳は咄嗟に走りだす。
「っ」
声をかける余裕もなかった。絳は奴婢を押しのけて崖から身を乗りだし、宙を舞う袋をつかんだ。
崖が崩れる。
しまった、とおもったのがさきか、絳は落ちていく。呆気に取られた奴婢たちが視界の端に映り、遠ざかる。
崖は深かった。
死、という言葉が頭をよぎる。縁もない骨を取りもどすために落ちて死んだ、なんてお笑いぐさだ。ぞっとする。
(でも、そうか。紫蓮はいつも、こんなことをしているのか)
屍に命を賭ける。
言葉にすればかんたんだが、現実にはこんなにも愚かで、おそろしく、常軌を逸したことなのか――絳が唇の端をゆがめる。笑いがこみあげてきた。つかんだ袋をはなさぬよう、強く握り締めて、絳は落ちた。
衝撃は重かった。だが、死ぬほどではない。
意外だ。
絳がとじていた眼をあければ、腐乱した屍の海が視界に拡がる。やわらかく熟れた肉の塊が衝撃をやわらげてくれたのだ。
起きあがろうと腕をつけば、指がぐちょりとめりこむ。みれば、夥しい蛆と蝿が群れてうごめいていた。絶叫して恐慌をきたしてもおかしくはない事態だったが、絳は異様なほどに落ちついていた。
死んだものたちに助けられたのだ。
(せめても、その骨だけでも葬ってやってはくれないかと、彼らから頼まれたように感じるのはさすがに妄想が過ぎるだろうか)
奴婢たちが慌てている。
「縄梯子を」
崖の底から絳が声をかける。投げかけられた縄梯子をあがりながら、絳は棄てられた屍たちに黙祷を捧げた。
お読みいただき、御礼申しあげます。
絳が回収した骨はなにを語るのか……ここからは「複顔」という技術の話になります。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
 





