51 奇人官吏、妖妃に愛執する
危険な(?)恋愛描写があります。作者の性癖です。楽しんでいただければ幸いです。
ごきげんで食べ進めていた紫蓮が「いたっ」と声をあげた。
「だいじょうぶですか?」
「傷になっているのか、ときどき背がいたむんだよ。軟膏はもらったんだけど、背には薬がぬれなくって。こまったものだね」
酷い打たれかたをしたのだ。傷だらけになっていても、おかしくはなかった。いてもたってもいられず、絳は紫蓮の側に跪き、頼みこむ。
「一度だけ、あなたに触れることを許していただけませんか」
「む、無理かな……」
きちんと誠意を表したつもりだったのだが、紫蓮は頬をひきつらせた。
「たぶん、喀吐くよ?」
「そ、そこまで、いやですか……」
「きみだから、いやなわけじゃないよ。ついでにいえば、辛抱するとかいう段階でもなくてだね。こう、ほんとに無理なんだよ」
「昔からですか」
紫蓮が視線を彷徨わせる。
「どうかな。想いだせないけれど、幼いころはここまで酷くはなかったはずだよ。他人に触られても、触っても」
「女官には、化粧を施しておられたとおもうのですが」
「手套をしていれば、なんとかね」
「それでは私が手套をつければよいのでは? 試して、無理そうだったら、仰ってください。薬をぬれずに風でも侵入ったら取りかえしがつきませんから」
絳は証拠物などに触れることもあるので、常に手套を持っている。手套をはめ、軟膏を預かった。紫蓮は「いいのに」と遠慮しながら、気遣いは嬉しいのか、背をむけて襦をはだけさせた。
想像していたとおり、背は青痣だらけになっていた。だが、傷は浅いものがふたつだけだ。琅邪がいかに笞の加減を心得ているかがわかる。
「ぬりますね。しみるかもしれません」
傷に軟膏をすりこみながら、絳は紫蓮がたどってきた道程に想いを馳せた。
彼女はこの華奢な背にどれだけの死を背負い、葬ってきたのか。
真実をあばき、死者の声を語るほどに彼女は忌避される。真実はいつだって、不都合なものだ。とくに宮廷においては。
責められ、疑われ、虐げられても、紫蓮は真実を託されたかぎりはぜったいに口を噤まない。その声が、どこにも響かないものだと諦めながら、叫び続けることができる。
それがこの姑娘の強さだ。
いつだったか、死化粧とは死の毒に蝕まれながら施すものだと彼女は語っていた。
検視もまた、しかりだ。
白皙の肌に散った青い痣。熟れて血潮を滲ませる傷。傷ましい。そう感じるこころに嘘はなかった。
「――堀から、遺骨があがりました」
だというのに、絳は紫蓮に新たな死の依頼を持ちかける。
検死を繰りかえすほど、紫蓮の身に危険がせまると理解していながら。
「骨になっていても身元を調べることはできますか」
「可能だよ」
紫蓮は戸惑わなかった。
「ぜったいにできるとまではいわないけれどね。復元できるかぎりは復元しよう。身元がわからなければ、誰にも悼んでもらえない。それではあまりに可哀想だからね」
絳は毒気を抜かれる。
身元不明の骨について、彼は事件性があるかどうかしか考慮していなかった。後宮に潜入していたものがいたとすれば、絳が知りたい先帝の死の真実とも、なにかしらかつながっているのではないかと。
絳のなかでは骨はすでに物だった。
だが紫蓮は、命があった「者」として扱うのだ。
「還らないひとを待ち続けている家族、友達、愛するひとが、いるかもしれない。だったら、せめて、故郷の土に埋めてあげないとね」
背をむけているので表情は覗えないが、静謐な、それでいて慈愛を湛えた眼差しをしているであろうことは、声の響きからも想像がついた。
「僕は、死に寄りそうものだから」
紫蓮が頭を傾がせるように振りかえり、微笑む。窓から差す細い陽光が、紫の眼を透きとおらせた。
紫の眼。今は亡き先帝と重なる。
絳は微かに息をつまらせる。無性に胸を掻きむしられた。
わきあがるのは後悔と魂まで焼きこげるような怨嗟だ。こらえきれずに絳は、揃えた人差し指と中指でさっと紫蓮の項を横薙ぎにする。
微かにかすめただけ。
「ひゃっ」
だが、紫蓮は声をあげて、背をそらす。
「なんのつもりかな」
「……失敬。項にまで傷があるのかとおもったら、髪がかかっていただけでした」
絳は咄嗟に微笑みをよそおった。
「だったら、声をかけてくれたらいいのに。……ぞわっとしたよ」
終わったので、軟膏をかえす。紫蓮は着崩していた襦をまといなおした。
帯が緩んだのか、結びなおす紫蓮から眼を逸らして、絳はみずからの指に視線を落とす。微かな熱がまだ、指の腹に残っていた。
頚動脈が静かに拍動し、彼女の心臓は動き続けている。
腹を割かれたら、頭を割られたら、頚を落とされたら。
彼女はかんたんに息絶える。
だというのに、彼女は死を葬るたび、ためらいなくその頚を賭けるのだ。
それがたまらなく――――憎い。
「紫蓮、愛しています」
嘘では、ない。
それだけが、真実なわけではなくとも。
「はいはい、ほんとうにきみは奇人だねえ」
紫蓮が諦めたように微苦笑する。
窓から風が吹きこんできた。
夏のむっとした風に乗って噎せかえるような花の香が漂う。茉莉花に似た蔓花がざわめいた。
(私は)
愛想よく微笑みかけ、他愛のないことを喋りながら。
(彼女を、道連れにしようとしている)
お読みいただき、ありがとうございます。
これにて《第二部 怒りの屍》の事件は終幕です。楽しんでいただけたでしょうか? 第二部はまだまだ続きます。愛なのか、共犯者なのか、それとも……と不穏な妖妃と奇人官吏の関係もあわせて、引き続き、お楽しみいただければ幸いです。





