32 彼女はどう死んだか
ここからは現実軸です
描写はやわらかめですが、解剖の描写があります
琉璃の屍はきちんと納棺されて、離宮に運びこまれてきた。
蓋を外す。現れた女の顔は死んでもなお、完璧な微笑を湛えていた。
「やあ、久し振りだね」
紫蓮は親友と再会したような口振りで、物言わぬ屍とむかいあった。
姜 絳からは病死だったと報告された。
胡 琉璃は、春の終わりごろから喘息が酷くなって、著しく体調を崩していたという。
朝になっても起きてこないため、女官が臥房に声をかけにいったところ、すでに事切れていたそうだ。
事故ではなく病死ということもあって、屍に損傷はなかった。だが、あれほど綺麗だった肌は死斑に侵蝕されている。
発見時、琉璃は床に膝をつき、背を折りまげて臥榻に上身を乗せるようなかたちでうずくまっていたとか。臥榻にうつぶせに倒れ、胸部と腹部を長時間にわたり圧迫していたためか、死斑は背だけではなく腹や胸にまで拡がっている。
人は、死ぬものだ。あとはどう死んだか、だ。
死斑を指圧する。
背部は圧迫すればすぐに、腹部は体重を掛ければ死斑が退色した。
「死後十二時間は経過、かな」
死斑とは循環の停まった血液が遺体下部に沈滞して、皮膚組織に浸透することで起きる。死んでから五時間ほどだと死斑の定着も進んでいないので、指圧することで斑紋は薄くなる。
背部にくらべて腹部の死斑の定着が進んでいるということは、彼女は死後、七時間ほどは臥榻に倒れていたと考えられる。そのあと、遺体があおむけに動かされたので、背にも死斑が拡がったのだ。
「死亡推定時刻は昨晩の鶏鳴(午前二時)だね。眠っていて、異常を感じて起きだしたはいいが、女官たちを呼びにいくこともできず事切れたのかな」
唇はすでに潤いをなくして、しぼみはじめていた。だが、口端だけは縫いつめたようにあがっている。死後は頬などが弛み、表情がなくなっていくのが常識だというのに。
彼女は息絶えたあとも、親の呪詛に縛られているのか。
「それとも、嫁いださきでは、ちゃんと幸せだったのかな」
いまから五年前、先帝が崩御して後宮がひらかれたとき、琉璃は変わらずに微笑みながら「嫁ぐことになったの」といった。
相手は牟勇明という武官で、役職は中都督だという。
中都督といえば、宮廷や都の治安維持を掌る官職だ。暴動の鎮圧や災害時の対処にあたる軍事機関の長官である。
つまり、そうとうに身分が高い。
「幸せになれるかしら」
琉璃はつぶやいた。
言葉の端から心細さがにじむ。
まともに会ったこともない男に嫁ぐのだ。十七歳の身で。
懸念がない、はずがない。
励ますこともできず。なぐさめることもできず。紫蓮は言葉を捜し続けて、想ったことをひとつ、つぶやいた。
「……あなたは、幸せになるべきひとだと、僕はおもうよ」
それは、ともすれば、祈りだったのだ。死にたいして祈らない紫蓮の。せめてもの。
別れの時を想いだしながら、紫蓮はやさしく、死斑をなぞる。唐突に違和感をおぼえた。なにが、どう、というわけではない。検視を繰りかえしてきた彼女の、勘だ。
腹部の死斑に指を乗せた。
「これは……」
腹部の一部だけ、どれだけ指圧しても、死斑が消退しなかった。
瞳を強張らせ、紫蓮は医刀を取る。
ひと息に琉璃の腹を割いた。
手套をはめ、腹腔に指を差しいれる。慎重に腎を取りだした紫蓮は息をのむ。強く唇をかみ締めたが、こらえきれずに涙がひとつ、こぼれた。
「そうか、そうだったのか、…………つらかったね」
いつだって、彼女の哀しみにかなうなぐさめなんか、想いつかず。
だが、たったひとつ――死化粧妃にだけ、できることがある。
「約束は、果たすよ」
紫蓮の眼が、瞋恚に燃えた。
お読みいただき、御礼申しあげます。
紫蓮はいったい、どんな検視結果をみつけてしまったのか。琉璃はどんな死にかたをしたのか。ちょっとでも「楽しみ」「どうなるんだろう」とおもってくださったら、「ブクマ」にて本棚にお迎えいただければ幸甚です。