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21 奇人官吏、妖妃に惚れこむ

「これはいったい、どういうことですか」


 コウは冷徹な眼差しで妃妾ひしょうたちを睨みあげた。


「あ、あれって、後宮丞こうきゅうじょうの……」


「なっ、なによ。ただの遊びじゃない。死臭がしみついていたから、きれいにしてあげようとおもっただけよ」


 官人かんとの登場に妃妾たちは慌てだす。


「遊びですか。姑娘むすめに水をかけ、桶を投げつける――これは傷害罪ですよ」


「どっ、どちらもこの女官がやったことよ」


 妃妾はあろうことか、女官に責任をかぶせた。青ざめて縮みあがっている女官をみて、絳は女官を責めてもしかたがないと諦め、かぶりを振る。


「……再びにこのようなことがあれば、つぎは捕らえます」


「っ……いきましょう」


 妃妾たちがいっせいに逃げていった。彼女らの背が遠ざかってから、紫蓮シレンコウに声をかける。


「厄介事にまきこんで、すまなかったね。これだから、生きているにんげんはきらいなんだよ」


 紫蓮はため息をつきながら、濡れた袖をしぼる。

 ほたほたと髪からは雫が垂れた。朝ということもあって、風がひんやりとしており、濡れた肌は微かに粟だっている。


 絳がそれをみて、遠慮がちに近寄ってきた。


「触れるのはだめでも……外掛はおりだけならば、許されますか」


 そうっと、いたわるように外掛をかけられた。

 想わぬ心遣いに紫蓮は一瞬だけ、肩さきを震わせたが、拒絶することはせずに「ありがとう」と果敢なく微笑んだ。


「でも、気遣うことはないよ。幼いときから、ああいう扱いにはなれているからね。いまは、ましになったほうさ」


 強がりではなかった。


 幼少期から、ずっと繰りかえされてきた。つぶてを投げられたこともあれば、階段からつき落とされたこともある。なれたというよりは、諦めた。離宮をめったに離れないのも、他人にかかわると碌なことにならないからだ。


 紫蓮は窓をみながら、たんたんと続ける。


「かわいそうなひとたちだよ。どれほど死を疎み、穢れだと遠ざけても、結局は彼女たちだっておそかれ早かれ、死に逝くのにね」


 妃妾を含めて、斉では柩の乗った柩車が通りがかると慌てて口を噤み、耳を塞ぐという風習がある。死者の穢れを避けるためだ。


「あるいは、だから、か。死に逝くとわかっているから、おそれるのかな」


 おそれるだけならば、構わないのだ。

 だが、ほとんどのものは、死にまつわるものを蔑む。


「死者は下等で、命ある身は上等であるかのような振る舞いには辟易へきえきするね。ましてや、他人を嘲ることが娯楽だなんて、そちらのほうが意地ぎたない」


 紫蓮はふと妙な視線を感じて、絳を振りかえった。

 コウが蕩けるような眼をして、紫蓮シレンをみていた。


「ほんとうにあなたというひとは……」


 コウがうっとりとつぶやく。

 このあいだもそうだったが、なにが絳の琴線に触れたのか、紫蓮にはまったく理解できない。


「あなたは、あのようなことをされていながら、虐げてきた側を哀れむのですね」


 強い風が吹きつける。

 絳の髪がさらさらと、笹の葉のようになびいた。彼は嬉しそうに唇をなでて、かたちのよい口端を持ちあげる。


「……ますます、好きになってしまいました」

「えぇぇ……?」


 たいする紫蓮は眉を曇らせて、あからさまにげんなりとする。


「そんなにいやがらないでくださいよ。臓物はらわたを取りだすときも、妃妾から虐げられたときも、眉ひとつ動かさないあなたにこうもいやがられると……嬉しくなってしまうではありませんか」


「えええぇぇぇ……?」


 笑いかけられて、紫蓮はまた一段といやそうな声をあげたが、絳は幸せそうにひとみを綻ばせるばかりだった。


「……あぁ、そうだ、あなたにこれをお渡ししたくてきたのでした」


 思いだしたように絳が紙袋からあるものを取りだす。

 赤い小さな果実を串に挿し、透きとおった飴をかけたものだ。


山査子さんざし飴です。都の土産に今朝もらったのですが、こういう物は姑娘じょせいのほうが御好きではないかとおもったので」


 御礼というには細やかですが、とつけくわえて差しだされたそれを、紫蓮はおずおずと受け取った。


「へえ、きれいだね」


 きらきらとした紅珠のような飴細工をひとくちかじれば、さくっとまわりが割れて、果実の芳醇な香りと甘酸っぱい味わいが拡がった。後宮ではめったに食べることができない希少な甘味かんみだ。


「おいしい」


 想わずといった様子で、紫蓮が微笑をこぼす。これまでの彼女からは想像もつかない、年頃の姑娘らしい笑いかただった。

 絳が眦を弛ませる。


「喜んでいただけてよかったです」


 …………


 朝は終わって、また昼になる。

 誰が逝っても季節はめぐり続ける。遺されたものたちはただ、果敢はかない時のなかで死を受けいれ、愛の残り香を抱き締めるほかにない。

 だが、そんなうれいもまた、過ぎゆくものだ。


 他愛のないことを喋りながら、ふたりして夏の庭をいく。咲きにおっていた夏椿がひとつ、ほたりと落ちた。

お読みいただき、ありがとうございます。

溺愛になるか、バディになるか、愛執になるかは今作最大のナゾですが、ふたりの関係をこれからもお楽しみいただければ幸いでございます。

続きは23日に投稿させていただきます。どうぞお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 絳が妃妾たちのいわれのないいやがらせから、紫蓮さんを庇ってくれて嬉しかったです。 死にまつわる職業は、どの国でもこのような扱いを受けるのですね。 生老病死はどれも誰にとっても平等に過ぎてい…
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