16 死化粧妃は屍に命を分ける
引き続き、エンバーミングです。遺体描写、解剖等の描写がございますので、ご注意ください。
「血は腐る。だから、抜きとって、腐らない秘薬と換えるのさ」
動脈と静脈に管を挿す。動脈にうす紅の薬をそそぎこんでいった。梅の花を蕩かせたような雫だ。替わりに静脈から押しだされた血潮が横に据えられた桶のなかにたまる。腐敗した血潮の、異様な臭いが漂った。
絳はわずかに眉を寄せたが、臭気にあてられてえずくようなことはなかった。もとから死臭になれているのか。それよりも紫蓮が黄妃の腕や脚を揉みほぐし、停滞している血潮を抜きだす姿を、熱心にみている。
「……あなたはどうやって、このような技巧を身につけたのですか? 失礼ながら、姑娘の身では、医官に習ったというわけでもないでしょう」
「母から教わったんだよ」
「あなたの母親といいますと」
「母は後宮につかえる死化粧妃だったからね」
死にまつわる官職は総じて身分が低い。
後宮では妃という階級におかれているが、便宜上にすぎず、実のところは宦官、奴婢と変わらない身分だ。紫蓮の宮に女官がつかないのもそのためだ。
「綏の氏族は脈々と続く死化粧師の一門だよ。この秘薬も先祖から受けついだ叡智のひとつだ」
黄妃の肌が緩やかに息を吹きかえす。
吸いつくような肌の張りがよみがえり、血が取りのぞかれたことで死斑もなくなっていた。ふるぼけた蝋を想わせた死人の肌が、すっかりと健やかな赤みを帯びている。
奇蹟だ。
「死者に効能がある薬か。どのように造られているのか、うかがっても?」
「ふふ、秘密だよ。でも、ああ、きみにだったら、あるものをつかっていることだけは教えてあげようかな」
紫蓮が指をたてる。
「水銀と、砕いた紺青だよ」
絳は敏い。すぐに表情が変わる。
「……どちらも致死毒ですね」
水銀は不老不死の霊薬と語られた劇毒で、紺青は壁画等につかわれる鉱物のひとつだが、毒をもち、つかい続けては身を蝕む。
「ああ、そうだよ。死化粧には毒がある。だからね、死の穢れなんてものはないが、死化粧師の側にいると寿命が縮むという噂だけは真実さ。死化粧師も次第に毒に蝕まれていき、大抵は而立(三十歳)から不惑(四十歳)のうちに命を落とす」
紫蓮が声を落として、瞬きをする。
「死者にちょっとずつ、命を分けているみたいだろう?」
動静脈を糸で縛った。毒物が体外にぜったいに流れだすことのないように処置する。これで血液の交換は終わりだ。
紫蓮は再度、医刀を執った。かぶせていた布を、腹のところだけまくりあげる。
「ああ、そうだった。きみがいっていたとおり、腸も腐敗するんだ。だからね、さきに取りのぞいておくんだよ」
言いながら、紫蓮がひと息に屍の腹を割いた。
背後で絳が息をのんだ。
無理からぬことだ。
斉において、解剖は禁ぜられている。
すでに死したものをなおも傷つけ、遺体を損壊するのはいまわしいことだと考えられているためだ。よって、検視官は外傷、死後の経過による損傷だけをみて、調査をする。
だというのに、紫蓮は禁を破った。
絳は言葉を絶しているのか、とがめるどころか、呻き声ひとつあげなかった。
さすがに蔑まれるか、おそれられるか。もっとも逮捕されるのはご免だ。弁明だけはしておこうかと紫蓮は苦笑する。
「おどろかせたかな。解剖は禁だが、死化粧師だけは特例として屍を割くことを許されて……」
喋りながら振りかえった紫蓮は、言葉の端をかすれさせた。
紫蓮を映す絳の眼がそこにあった。その眼は事態を理解できずに戸惑っているわけでもなく、かといって禁を破った姑娘を蔑むでもなく。
「――きれいだ」
あふれんばかりの歓喜を湛えていた。
お読みいただき、ありがとうございます。続きは18日に投稿させていただきます。
現在はエンバーミングにおいて、防腐のためにこうした毒物をつかうことはありません。中華後宮という世界観にあわせて、かなり昔の薬をつかっています。ご理解いただけますと幸いです。
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