17「あなたに惚れたんですよ」
奇人官吏の「奇人」の部分が段々と発揮されてきます
「――きれいだ」
あふれんばかりの歓喜を湛えていた。
絳の喉がごくりと動き、あきらかに昂揚した息がもれる。なんで、彼がこんなに歓んでいるのか、紫蓮にはわずかも理解できなかった。
黄昏が強くなる。燃えつきるまぎわの晩照。それが絳の睫に火をつけ、眼睛に陰を垂らす。昏く燃える眼のなかに強い欲がよぎったのがさきか。
絳は身を乗りだして、紫蓮の袖をつかんできた。
「っ……」
紫蓮はとっさに動けず、彼のほうに強くひき寄せられる。絳は紫蓮の血濡れた指をいとわず、みずからの指をするりと絡め、頬を寄せてきた。
「好きです」
「……は?」
紫蓮は一瞬、なにを言われたのか、理解できなかった。
「ああ、恋に落ちるというのはこういうことなんですね」
なんだか「恋」とかいう言葉が聴こえたが、聞き違いだろうか。どうか、そうであってくれ――紫蓮はいっそのこと、祈るような想いになる。
腹を割かれた屍と、腹を割いた姑娘がいるこの場で、「愛」だとか「好き」だとか、そんな言葉が飛びかうなんて異常にも程がある。
だが、硬直する紫蓮をそっちのけで、絳は嬉々として喋り続ける。
「恥ずかしながら、私は人を好きになった経験がなく、愛というものはくだらないとばかりおもっていたのですが、なるほど、これがそうなのですね。胸が弾んで、頭がくらくらして、あなたに触れたくてたまらない」
「――――っ」
ぞくぞくとした悪寒が、紫蓮の背をかけあがってきた。我にかえった紫蓮は絳の手を振りほどこうと、ぶんぶんと袖を振る。
「ちょっ、ちょっと! なにがなんだか、わけがわからないよ」
「わかりませんか? 私は、あなたに惚れたんですよ、紫蓮」
「だから、そうじゃなくてだね」
なぜ、解剖をしているときに、惚れたとかいう発想にいたるのかと糾弾したいわけだが、完全に会話がかみあっていなかった。
「ああ、もうっ、わかったよ。わかったから、まずは離してくれないかな! 屍と違って、生きているにんげんの肌はなまぬるくていやだ! 触れられると悪寒がする!」
「っと、それは失礼」
いやがっているのがわかったのか、思いのほか、あっさりと指がほどかれた。
「あなたがためらいもせずに屍を割くところが、あまりにもきれいだったもので――」
だが、まだ、眼のなかの熱はとけていない。
「……ちょっとばかりじゃなくて、きみはずいぶんな奇人だねぇ」
紫蓮は頭を振り、ため息をついた。
「でも、こまりましたね。振られてしまったようで。女人は振った男と一緒にいるのはお嫌でしょう。私としては最後まで、あなたが死化粧を施すところをみていたかったのですが」
絳は残念そうに肩を落とす。
先程までの昂揚からは、想像もつかないほどにしぼんでしまっていた。そのすがたは叱られた狗を想わせて、紫蓮はもうひとつ、ため息を重ねる。
「……わかった。ここにいても、構わないよ。ただ、僕には触れないでくれるかな。ほんとうに人肌だけは無理なんだよ」
「誓います。あなたにきらわれたくはないので」
絳は真摯な眼差しで承諾した。
お読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけているのでしょうか? 続きは19日に投稿させていただきます。
読んでよかったとおもっていただけるよう、誠心誠意物語を紡いで参りますので、引き続きおつきあいいただければ幸いです。





