異世界でなくて現実で
とりあえず、夢の中に入る事になった。
皆が慎重になっているけれど、とはいえ他のお客様とやる事は変わらない。
ちなみに、今までは深い眠りに入りすぎていて、おでん先輩は安定した夢を見ていなかった。
やっと、安定して夢の世界が展開されるようになったそうだ。
おでん先輩がお客様側になるのはこれで2度目。
1度目は、家族で事故に遭った時。
それでおでん食べたさにシステムエラーを起こした、なんていって起床になった。
システムがついていけなかったのは本当らしい。おでんが食べたかったのも本当。
だけど、おでん先輩はそれが夢だと知っていた。契約したことを忘れる暗示をかけてなかった。
事業の創始者の娘だから。初期だから。
初期のお客様が、夢だと気づいて上手く行かなかったので、後から「契約したことを忘れる暗示」がセットで追加されたのだ。
夢だとどこかで分かっていからか、色々無理が出て起こされた。現実を教えても耐えられる年齢になった、と判断されたこともあって。
そして2度目。
創始者で資産家でもあるおでん先輩は、今度は忘れる暗示も受けていて、特上の夢の世界に転生している。
ファンタジーだ。科学も発展している。おでん先輩は、裕福なご家庭の末っ子。夢の中で、もう5歳に育っている。大人顔負けの知識を吸収し、珍獣を味方につけてペットのように飼っている。
そんな夢の中に、私と今井先輩は忍び込んだ。
まずは、おでん先輩がデザインしたウェヌス、という女神の姿の私が登場だ。
「こんにちは。エターシャちゃん」
と私は人形のように愛らしい5歳児のおでん先輩に呼びかけた。女神様効果もキラキラ発動。
エターシャちゃんと呼ばれるおでん先輩は驚いて私を見上げて、そして笑った。
「きれい」
「私の事を覚えていますか?」
と私は聞いてみた。
「えー?」
と可愛らしく首をコテンと傾げる5歳児。あざとすぎる。
「私の名前はウェヌス。あなたが私にこの名前をつけたのですよ」
「ええ?」
やはり不思議そうにする5歳児。
「あなたには前世の記憶がありますね? エターシャちゃん」
「うん。あなたが関係しているの?」
即座に頷くエターシャちゃんに、笑いかける。
「えぇ。実は、今日は、あなたにどうしても会いたいっていう、熱心な人がいて、連れてきたのです。会っていただけませんか」
「だぁれ?」
「普段はとっても口も態度も悪い、私の先輩です。だけどエターシャちゃんには優しいと思いますよ」
と言った私の脇腹に衝撃が入った。今井先輩の仕業だろう。余計な事を言うなと。しかし事実だ。
これ以上わき腹を突かれるのは嫌なので、私は右手を開くように動かした。
そこから、今井先輩の姿をした今井先輩が現れた。あれ、日本語が変。
「こんにちは」
と今井先輩が言った。
「まぁ」
とエターシャちゃんが目を丸くした。
「あなた、私の前世で会った、今井にそっくり」
「本人なんで。一応」
一応ってなんだ、と聞いている私は思ったが声には出さない。
「おでん先輩。アヤネさん」
今井先輩が、エターシャちゃんに視線を合わせるべく、跪いた。
「お願いです。起きて下さい。アヤネさん、異世界転生なんて真っ平だって、言ったじゃないですか」
急に今井先輩の声が涙声になった。
私はここにいて良いのだろうか、と私は思った。せめて気配を消そう…。そうしよう…。
「アヤネさんは、真っ当に死んで、お父さんと、お母さんと、お姉さんとお兄さんのいる、天国に行くんだろ。異世界に生まれ変わるなんて、そんな場合じゃないだろ」
もう今にも涙を落としそうな今井先輩の顔を、じっとエターシャちゃんが見つめている。
「俺、今井です。今生きてるって、叫んだから、今井です。アヤネさんがつけてくれたじゃないですか。責任持ってくださいよ。俺の身寄り、アヤネさんだけっすよ、お願いしますよ・・・」
泣き落としの気配になってきて、傍で聞いているだけの私はハラハラヒヤヒヤする。
「イマイ・・・」
とエターシャちゃんが呟いた。
「今井、今、生きてる?」
とエターシャちゃんが短い両手を伸ばして、傍の今井先輩の両頬を触る。確認する様子だ。
「今井、まだ、生きてる?」
「生きてますよぅ。あんたが、異世界になんかいくから、迎えに、起こしに、来たんでしょうがぁ」
ついに今井先輩が泣きだした。
エターシャちゃんが眉を潜めた。まだ整理しきれていない様子に見える。
今井先輩の悪いところは、言わなくても知ってんだろお前、という思い込みで説明するところである。つまりちょっとよく分からないのだ。
「お願い、しますよぅ」
と今井が泣いた。
私や会社の人たちが見ているとか、きっともう関係ないんだろう。
「現実で、真っ当に生きて、で、ストレートに天国行くんでしょ? こんな異世界なんか、要らないじゃないですかぁ」
エターシャちゃんの傍の大きな珍獣が困ったようにエターシャちゃんに寄り添った。
エターシャちゃんが困惑し、目の前の今井先輩を見つめ、珍獣を見やり、それから、なるべく空気でいようと努めている私を目に留めた。
「今井。起きたら、おでん奢ってくれる?」
とエターシャちゃんが言った。
「奢りますよ。いくらでもたかってくださいよ。高給取りの癖に。借金持ちに。奢りますよ」
と今井先輩が言った。
「この夢なぁ、すごく、結構、幸せやねん。夢みたいな暮らしでー。悪くないなって」
「起きてくれないんですか?」
「起きるわ。今井が泣くんやもん」
「泣くに決まってる」
「そうやなぁ」
「俺が家族になりますから」
「えー。今井、もっと頼りがいが無いと困るねんなぁ」
「なりますよ! 頼りがいのある男に!」
「しゃーないなー。長い目で見てあげるわ。とりあえず起きたら良いんやろ」
エターシャちゃんが私を見やる。
「姫、どうやったらこの夢から起きられるんかな?」
「このまま天界にお連れします。それで、赤と青のカプセルを」
と私は流れを説明した。ちなみにそれで本当に起きるのかは知らない。
「あ、それ知ってる」
とエターシャちゃんが言った。頷いて、安心したように笑ったのだ。
エターシャちゃんは今井井先輩から手を放して、傍の珍獣をギュッと抱きしめた。
「あー。幸せな、夢や。勿体ない。でも仕方ないなぁ。本当の場所に戻るわな。本当は私、夢見て寝てるだけなんやもんなぁ」
珍獣が、優し気にエターシャちゃんにほおずりした。
***
結果として。おでん先輩は、目を覚ました。
おでん先輩のベッドの周りに集まっていた皆、特に今井先輩が小さな子どものようにワンワン泣いた。
「私って愛されてるなぁー」
と、おでん先輩はちょっと呆れたように、けれど嬉しそうに笑って言った。それが起床後のおでん先輩の第一声。
***
後から少しずつ知った事。
今井先輩について。
事故に遭って眠るしかない状態になった時、家族に延命治療をストップされそうになった。
いや、ストップの決断を下された。
それを知ったおでん先輩が今井先輩に費用を出して助けた。
完全では無いけれど治療法も出たのでそれを受けさせ、起床させた。
事情を知った今井先輩は、家族に捨てられたと思った。今生きてる、と叫んで泣いた。
捨てられた家族と同じ名前を名乗りたくない、そう今井先輩が思った事を察したおでん先輩が、勝手な名前で呼んだ。今井先輩はそれに縋った。
ワンコロボを買って贈ったのも、家族代わりにとおでん先輩が判断したから。
おでん先輩は自分の身に起こった事も話していた。互いに身寄りがない者同士やな、なんて言い方で。
だからおでん先輩の、他には言わなかった本音のいくつかを、今井先輩が聞いた。
今井先輩にとって、おでん先輩は命の恩人であり、惚れていた相手でもあった。
おでん先輩にとっては、多分、そこまでじゃない、とは、思う。
****
「借金返済おめでとー!」
「ありがとうございます!」
4年が経った。私は皆に盛大に祝われた。ついに、私の借金が無くなったからだ! バンザーイ!
皆さまの夢の中に入って稼がせていただきました! こう書くと悪魔のようだ。誤解である。単なる仕事人だ。
「これからは貯金目的で働かせていただきます。よろしくお願いいたします」
「そうやなー。貯金的には無一文やもんなぁ」
「歳とって借金消えたってだけだしな」
今井先輩、事実だけど不要な言葉は控えていただきたい。歳とか。もう42歳とは恐ろしい。
「これからお金貯めてどうすんの。やりたい事とかあんの?」
とおでん先輩が聞いてくるので私は真面目に答えた。
「それを見つけるためにも働かせていただきますわ」
「学生みたいなこと言ってやがる」
煩い、今井先輩。と言えない理由がいくつかある。
そのうち一つは、おでん先輩と今井先輩が結婚したからだ。
つまり今井先輩も経営者側なのだ。ボスなのだ。信じられない。おでん先輩、今井先輩のどこが結婚するほど良かったんですか。別に良いけど。
私は思考を真面目に戻して仕事について語った。
「お金を貯めて、せめて、夜寝ている時に素敵な夢を見られるよう、したいんです」
「いい加減、現実逃避を止めろよ。現実に生きろ」
「うちらの仕事もそれで成り立ってるんやし、夢が無い人生は楽しくないからそれで良いんやん。って私は思うでー?」
「商売として、好きな夢を夜に見られるって絶対もうかりますよ。死ななくても良いんですよ。新展開ですよ、この研究所の!」
「儲けは大事や。じゃあチーム作ってあげる」
「それは良いけど、何のために金貯めるかは考えろ、お前」
今井先輩が一番まともな事を言っている気がするが、虚しい正論だ。
まぁ、単純に目の前の夫婦を見ると、生きる目標なくても幸せにはなれる。
ちなみにこの四年間で、私にも恋人ができた。皆の応援のお陰で両想い。
その彼は異世界転生中。
新しい医療技術で、「この世」に戻って来れそうだ。
現実に会ったらどうなるのか、心配だけど、楽しみでもある。
こんな現実を生きている。
END