第二十三章 東門令への就任と、譲れぬ誓い
(城を守るだって……?)
蘇然は心の中でブツブツと呟いていた。城を守るなんて超キケンだ。いくら徐州城の頑丈で高い城壁に守られているとはいえ、飛んでくる「はぐれ矢」に目はついていない。万が一、矢が俺にぶすりと刺さったらどうする? 古代にはまともな外科手術なんて存在しないんだぞ。即死・一発アウトじゃないか!
そしたら母親が悲しむ……いや、それはもう二度と会えないからいいとして(良くないが)、秀はどうなる!? まだ挙式も挙げてないのに、嫁ぐ前から未亡人になっちまうのか!?
古代の未亡人がどれほど凄惨な浮き世を送るかを思い出し、蘇然はブルッと身震いした。
(ペッペッペッ! 俺様の強運を舐めるなよ……今の不吉な考えは風に乗って消え去れ……ナムナム……)
「……そこで我が陳家が手を回し、先生を『城門令』の地位に就かせることにいたしました!」
蘇然が命がけで現実逃避している間に、陳登がちょうど話の後半を締めくくっていた。
「嫌だね、俺は……」蘇然は「城壁になんて行かない」と断ろうとしたが、ふと我に返り、首をかしげた。「……ん? 今なんて言った? なんの城門令だって?」
「実はですね……」陳登は気まずそうに説明を始めた。「黄巾の賊軍がこの徐州に押し寄せてくると聞き、四つの城門を守っていた隊長どもは……一人は病気だと偽って引きこもり、一人は実家へ里帰りすると逃げ出し、もう一人は昨夜のうちに財産を盗み出して許昌へずらかりました」
「あと一人残ってるだろ?」
「最後のひとりですか……?」陳登の表情が途端に怪しく歪んだ。「先生は……『曹家』の噂をお聞きになったことが?」
「曹家……!?」
蘇然は目を丸くした。脳裏に即座に「曹操」の顔が浮かぶ。まさか……。
「左様でございます!」陳登は蘇然がすべて察したと思い込み、溜息をついた。「あの曹家です。現在は曹豹が当主を務めておりますが……あの男、文もダメ、武もダメな凡物でありながら、無駄に威張ってばかりで……」
「待て待て待て!」蘇然は慌てて陳登を制した。「……曹豹だと?」
陳登はわけが分からず頷いた。
(確か……そんな雑魚キャラいたな? 後に張飛にブチ殺される奴だっけ?)
蘇然は引きつった笑いを浮かべ、陳登に話を続けさせた。なんだ、曹操がここにいるのかと思ってビビったぜ。もし曹操がここにいるなら城の防衛なんて楽勝だ。あの男は文武両道の超人だからな。まあ、猜疑心が強くて、色狂いで、殺人癖があるのが玉にキズだが、総合的な能力はピカイチだ。
(……よし、絶対に秀をあいつに会わせないようにしよう!)
蘇然は心の中で固く誓った。
蘇然の印象では、曹操という男は「色魔の生まれ変わり」であり、女なしでは生きていけない男だ。しかも「人妻・未亡人」を異常に好む性癖がある(皆さんもご存じだろう、人妻と遊ぶために猛将・典韋を死なせ、大喬・小喬を囲い込もうとして八十万の兵を赤壁で散らしたのだから)。
……実に悪趣味極まりない変態だ!
陳登は話を仕切り直し、要点をまとめた。
刺史の陶謙様は、曹家・糜家・陳家の三家にそれぞれ一つの城門の防衛を命じた。そして陳登は「我が先生こそ天下一の逸材である」と推薦し、蘇然を東門の城門令に据えたのだという。陳家の私兵と徐州の精鋭二千を率いて東門を死守せよ、とのことだった。
「俺を城門令に推挙したと言ったな?」蘇然は怪しい目で陳登を見た。「じゃあお前は何をするんだ?」
(もし『俺は家でお茶でも飲んで高物見決め込みます』なんて言ったら、タダじゃおかねぇぞ……!)
「私はもちろん、先生のお供をいたします!」陳登は恭しく礼をとった。「この数日、学生はずっと考えておりました。乱世において真の学問を修めるには、極限の実戦の場でこそ教えを授かるべきなのだと。今回こそ、学生が待ち望んでいた千載一遇の好機! どうか惜しみなくご指導くださいますよう、心よりお願い申し上げます」
「……」
蘇然は呆れ果てて開いた口が塞がらなかった。あそこは「 battlefield(戦場)」だぞ? 教室じゃないんだぞ!? 授業の延長戦だと思ってんのか? 人がバタバタ死ぬ場所なんだぞ!
……だが。
蘇然はふと、かつて現実世界で亡くなった親友と「三国志のゲーム」で熱中した日々のことを思い出した。
あの頃、二人は大学を卒業して就職活動をするはずだった。だがコミュニケーションが苦手で、特に蘇然が無口だったこともあり、職場になじめず自分から辞めてしまったのだ。
類は友を呼ぶというが、蘇然の親友もまた同じようなオタクだった。二人のオタクが集まれば、話すことといえば特定のWeb小説や、三国志のゲーム、そして好きなアニメの女の子……ゴホン!
当時の蘇然は『三国志演義』の影響を強く受けており、三国志系のゲームに異常なほどハマっていた。特に一人称の武将プレイができる『三国志8』や、マップ戦術が秀逸な『三国志11』がお気に入りだった。特に『11』は、ゲーム性において群を抜いていた。
蘇然は自分自身を模した新武将を作成し、バーチャルな大陸で縦横無尽に暴れ回ったものだ。難易度を「最高」に設定し、序盤は周囲の群雄から四方八方攻め込まれる地獄のような状況を好んでプレイした。
だが、蘇然はゲームの戦術ノウハウを駆使し、わずか数千の兵で数万の敵軍を幾度となく退けて見せたのだ。
あの時、蘇然は調子に乗って大言壮語を吐いたものだ。
「もし俺が三国時代にタイムスリップしたら、間違いなく大将軍として名を馳せるね……!」
『ははっ! じゃあ大喬と小喬は俺に譲れよ!』
……それが、親友の口癖だった。
星霜は流れ、自分は本当に三国時代へとやって来てしまった。そしてあいつは……。
蘇然は辛そうに首を振った。顔を上げると、目の前に熱いお茶が差し出されていた。
「先生……?」陳登が心配そうに茶碗を差し出している。
「いや……昔のことをちょっと思い出してな。はぁ……」
お茶を一口すすり、茶碗を置いた蘇然は心の中で自問自答した。
後世にいた頃は「三国時代に行ったら暴れてやる」などと息巻いていたくせに、いざ黄巾軍が徐州に攻めてくると聞いたら、途端に怯えて腰が引けている自分……。
だが、これはゲームではない。本物の生身の人間が死ぬリアルな世界だ……。
どうして自分がこの時代に来たのかは分からない。だが、もしここで何もせず逃げ出したら、俺は一生後悔するんじゃないのか?
蘇然が沈黙に沈んでいると、傍らからパタパタと可憐な足音が近づいてきた。
「お……奥様……」
陳登が気まずそうに声をかけた。
秀はポッと頬を染めて頷くと、蘇然の肩に優しく手を置き、しとやかに囁いた。
「夫君……妾身のことがご心配なのですか?」
蘇然は秀を見上げ、その手をそっと優しく包み込んだ。
「秀……どうして出てきたんだ?」
「ごめんなさい夫君……お二人の会話を、こっそり盗み聞きしてしまいました……」秀は申し訳なさそうに俯いた。
「いいさ、聞かれたところで減るもんじゃない」
「夫君……妾身も、お傍について参ります……!」
「……は!?」
蘇然は目を丸くし、低く厳しい声を張り上げた。
「お前が行ってどうするんだ! 戦場だぞ!?」
これまで一度も聞いたことがない蘇然の厳格な口調。だが秀の胸には怒りなど一切湧かず、むしろ甘い愛おしさが満ちてきた。
「妾身だって、少しは武芸の心得がございますのよ? ……あの日、丸太ん棒で夫君を一撃で気絶させたのは誰だったか、お忘れですか……? ふふっ」
「……」
蘇然は返す言葉もなかった。厳しく言い聞かせて諦めさせようにも、陳登が目の前にいる手前、自分の妻の面目を潰すわけにもいかず、苦虫を噛み潰したように黙り込むしかなかった。
だが陳登は流石に聡明な男であった。先生と奥様には二人だけの深い話があるのだと察し、胸の前で手を合わせた。
「先生、学生はまだ片付けるべき用件がございますので、これにて失礼いたします。明日の正午、必ずやここへ先生をお迎えに上がり、東門へとご案内いたします。学生はどこまでもお供いたします! ……ああ、それともう一点、どうかご安心ください。父もすでに承諾しております。東門の一切の権限は、すべて先生の一言で決してよいと……」
言い終えると、陳登は秀に向かって恭しく一礼した。一度礼をしたのだ、いまさら二度目も三度目も変わらない。古来より「枕元の助言(妻の言葉)」ほど強力な兵器はないのだ。
(今後はもっと奥様に取り入らねばな。先生の真の奥義を授かるには、奥様を経由するのが一番の近道かもしれん……)
歩きながら陳登は目を輝かせた。(そうだ! 先日、子仲兄から最高級のアクセサリーが届いていたな……あれを贈ろう!)
「バカ言え!」
陳登が去って門を閉めるやいなや、蘇然はこの時代に来て初めての「マジギレ」を爆発させた。
「夫君……」
「言い訳は聞かん!」
蘇然は冷たい表情で言い放った。
「女人を軍営に入れないなんて常識は置いとくとしてもだ! たとえ許可されたって、俺がお前を連れていくわけがないだろ! 二度とそんなことを言うな!」
「夫君……」
秀は蘇然の腕にすがりつき、唇を尖らせて甘えるように言った。
「妾身は本当に強いのですのよ? あの時だって、一発で夫君を昏倒させたのですから……」
「……(それを何度も言うな)」
秀はペロッと小さく舌を出すと、蘇然の腕をゆすって機嫌をとった。
「夫君……もし妾身を一人残して行かれてしまったら、心配で心配で夜も眠れず、ご飯も喉を通らなくなってしまいますわ。みるみる痩せ衰えて死んでしまいます……。夫君がそこまで冷酷なお方とおっしゃるなら、どうぞ妾身を置いてお一人でお行きくださいませ……」
「……それ、俺に対する脅迫か?」蘇然は引きつった顔をした。
「そんな滅相もございません!」
秀は情愛に満ちた瞳で蘇然をじっと見つめた。蘇然はあまりの熱視線に気まずくなり、まるで自分が秀に対してとんでもない罪を犯したかのような錯覚に陥った。
「妾身はもう、正真正銘の蘇家の人間ですもの……。もし……もし夫君の身に万が一のことがあれば、妾身も迷わずあの世へお供いたします……」
蘇然は聞いていて冷や汗が止まらなかった。(心中するにしても俺が死んでから……って、縁起でもないこと言うな!)
「……どうしても行くって言うのか?」
「どうしても参ります!」
秀は蘇然の腕をギュッと抱きしめ、その瞳には固い意志が宿っていた。
「もし夫君が連れていってくださらないなら、妾身は一人で勝手に城壁へ追いかけて参りますので……!」
「お前、いい加減にしろよ……!」蘇然は思わず怒鳴った。
「ふふっ、叱られたって平気ですわ!」
秀はペロッと舌を出し、蘇然の頑固な性格を根気強くほぐしていった。
「妾身はもう、夫君が傍にいない生活なんて耐えられないのです。一日だって……一瞬だって離れたくありませんの!」
その言葉を聞いた瞬間、蘇然の胸に激しい愛おしさがこみ上げた。彼は秀の艶やかな黒髪を優しく撫で、静かに言った。
「……そこまで言うなら、一つだけ条件を聞け」
「どうぞおっしゃってください」
「どんな時も俺の傍を離れるな。一歩も離れちゃダメだ!」
蘇然のトーンはどこまでも真剣だった。
「黄巾軍なんて怖くない。お前の夫はな、これっぽっちもビビってないんだ。俺の命に代えても、お前を守り抜いてみせる!」
(秀のためだ! 秀と式を挙げ、静かに幸せに暮らすためなら……黄巾軍の野郎ども! お前ら、出てくるタイミングが最悪なんだよ!)
蘇然の言葉に秀が何かを答えようとしたその時、彼女は蘇然の瞳の中に宿る、今まで見たこともない「揺るぎない覚悟と男らしさ」を目にした。
秀は息を呑み……そのまま、彼の男らしい横顔に見とれて、うっとりと酔い痴れてしまったのだった。




