4.セカイの中心
源ヒカル。
顔と成績が良く、身長とコミュ力が高い。
典型的な弱者男性である俺と、鮮やかな対比をなすような、手本みたいな強者男性。
一見すると完璧な男。
それが源。
ただし、中身はクズだ。
源は、自分より下だと判断した相手を、冗談の形で踏みつける。
怒られない程度に悪口を丸め、笑って流せるぎりぎりの形に整えてから、相手のウィークポイントを的確に突く。
それは一見、場を盛り上げるための『いじり』に見える。
だが、あいつは笑いを取りたいのではない。
相手の反応を見て、自分が上にいることを確かめているだけだ。
たぶん源にとって、それは自らの支配欲を満たすための娯楽だった。
そして俺は、源にとってこの上なく都合のいい人間だった。
言わずもがな、だろう。
女癖が悪いという噂も絶えない。
学内の人間関係の末端にいる俺の耳にすら、源の、ペニス絡みの話がしばしば届く。
犯罪の臭いがするような黒い話も、何度も聞いた。
全ての女は、オレを悦ばせるために存在している。
そんな風に考えているのだろう。
その源が、教室中が近づきあぐねている花守小夜の前へ、闊歩していく。
興味をそそる女がいる。
誰もまだ話しかけていない。
なら、オレが最初に取りに行く。
たとえ相手がどれだけ美しかろうと、そんなもんお構いなしだ。
源の足取りには、そういう傲慢な思考が現れていた。
「花守さん、だっけ?」
源が、いつもの微笑を浮かべて話しかけた。
女子に向ける時だけ、声も表情も甘ったるくなりやがる。
花守は、授業準備をしていた手を止め、ゆっくりと顔を上げる。
「オレ、源ヒカルっていいまーす。分かんないことがあったら、何でも聞いてよ」
源はそう言ってから、ちらりと俺を見る。
「まあ、隣が安久理くんじゃ色々怖いだろうしねぇ」
肩をすくめ、半笑いで言った。
苗字の最後に伸ばし棒を付けたのもわざとだ。
Ugly、と。
取り巻きたちが、続けてへらへらと笑った。
……舐めやがって。
そう思った。
けれど、俺は奥歯を噛むだけで何も言い返せない。
いつものことだ。
源は俺の反応など気にも留めず、さらに花守へ一歩近づく。
「ていうか、その髪すごいね。めっちゃ綺麗じゃん」
ヤツの眼差しが、銀青色の髪へ注がれる。
「染めてんの? いや、綺麗だなぁ。こんな色、初めて見たよ」
自分が褒めたのだから、相手は喜ぶ。
自分が近づいたのだから、相手は受け入れる。
そういう確信が、馴れ馴れしい声色の端々に滲んでいた。
「…………」
花守は何も答えない。
ただ、源が距離を詰めるにつれて、机の端に添えられた白い指先が、少しずつ強張っていくのが見えた。
「さらさらしてるなぁ。ねえ、ちょっと触ってみていい?」
聞いてはいる。
だが、答えを待っていない。
これから触るという宣言に、一応疑問符をつけただけのものだった。
源の指先が、銀青色の髪へ近づく。
あと少しで触れる、というところで――花守は、音もなく身を引いた。
源の手は、何も掴めないまま宙に残る。
そのまま花守は、源の横をすり抜けるようにして、俺の背中の後ろへ回り込んだ。
そしてしゃがみ込んで身を縮めると、縋りつくみたいに俺の制服の裾をきゅっと掴んだ。
「……え?」
源が、間の抜けた声を漏らした。
俺も、心臓が飛び出るかと思った。
凄まじい緊張が背筋に走って、冷や汗がだらだらと噴き出してくる。
背中越しに、花守の息遣いが聞こえる。
浅くて、細い。
どこか、吐き気を堪えているみたいな呼吸だった。
「……気持ち、悪い……」
ほとんど息に紛れるような、小さな声。
けれど、その言葉は、静まり返った教室には十分すぎるほど届いた。
教室中が固まっていた。
突如現れた美しい転校生が、クラスの中心的存在である源の手を避けた。
それだけなら、まだしも。
花守小夜は、俺の後ろに隠れた。俺に縋った。
誰からも雑に扱われることが常の、底辺の男の後ろに。
しかも、気持ち悪い、とまで言い放った。
嫌いでも、怖いでも、やめてでもない。
もっと直接的で、切実な、生理的な拒絶。
源の顔からは、さっきまでの余裕が消えていた。
「あはははっ」
沈黙を破るように、誰かが吹き出した。
教室の後方。
胸の大きい茶髪の女が、口元を手で隠して肩を揺らしている。
米谷このは。
クラスの女子の中でも目立つ方で、いつも誰かとつるんでいる。
まるで毎日楽しくて仕方ありません、みたいな顔でよく笑っている女だ。
今も、この状況を明らかに面白がっていた。
源の表情が、ぴくりと引きつる。
「……何がおかしいんだよ」
低い声だった。
つい数十秒前、花守に向けていた甘ったるい調子はもうない。
「いや、ごめんごめんっ」
米谷は軽く手を振った。
ごめんと言いつつも、小悪魔めいた口元の笑みは消えていない。
「でも、なんていうかさぁ……あんたが、あの安久理に負けたみたいになってんのが、さすがにウケるなと思って」
米谷がからかう調子でそう言うと、近くにいた女子たちが、こらえきれないように破顔した。
「ぷぷっ」
「このは、言い方言い方っ!」
「負けたって……」
源の耳が、みるみる赤くなっていく。
……当たり前だが、俺としちゃ、勝ったつもりなんて微塵もない。
ただただ、なすがままに巻き込まれているだけ。
ところが、米谷が出し抜けに放った『負け』という言葉は、源には随分と効いてしまったらしい。
確かに、『誰が最初に花守小夜との距離を縮められるか』という勝負を仮定するなら、客観的には俺の勝ちだ。圧勝だ。
……そんな勝負、俺は負けたくてたまらなかったが。
源は何か言い返そうとして、口を開きかけた。
しかし、すぐに閉じる。
怒れば、図星を突かれたと認めることになる。
笑えば、無理しているのが見え透く。
俺を貶せば、花守が俺に縋っている事実が余計に際立つ。
プライドの塊のような源からすれば、どれを選んでも、傷口が広がるだけ。
恥の上塗りだった。
「……お前ら、マジでだりぃわ」
吐き捨てるように、それだけ言った。
源は乱暴に自分の鞄を掴むと、教室の扉へ向かった。
それまで呆気にとられていた取り巻きたちが、慌てて声をかける。
「おい、ヒカル……!」
「別に気にすんなって」
「戻れよ」
だが、源は振り返らなかった。
そのまま廊下へ出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
そのまま一生帰ってくんなよ。
……なんて、俺は内心で毒づいてみたりする。
源がいなくなったことで、ようやく安心したのだろう。
背後で、花守が小さく息を吐いた。
制服の裾を掴む指先の力も緩んだ。
これで離れるのかと思った。
だが、花守は動かなかった。
むしろ、俺の背中にさらに深く身を隠してくる。
……いや、待てよ。
なんでそうなる。
源はもういないんだから、離れろよ。
そう言いたかった。
でも、言うのをためらった。
教室中の視線が、俺たちに集まっている。
一挙手一投足を観察されている。
ここで俺が何かを言えば、その一言まで拾われ、さらに目立ってしまう。
そう思うと喉が動かなかった。
普段俺に向けられる、侮蔑や嘲りばかりが込められた視線とはまるで違う。
困惑。好奇心。それから、ほんの少しの羨望。
色々な種類の熱が、あちこちから無遠慮に絡みついてくる。
――その中に、一つだけ、明らかに質の違う眼差しがあった。
高天原希咲が、俺を凝視している。
教室の中央より少し後ろの席で、凛と背筋を伸ばしたまま、高天原は首だけをすっとこちらへ巡らせていた。
それに気づいた途端、頭から冷水をぶっかけられたかのように、全身の血の気が引いた。
高天原は、この学校で一番名前を知られている女子だ。
本人が目立とうとしているわけではないのに、高天原希咲という名前は勝手に広まる。
模試全国一位。読者モデル。高校女子テニス全国大会優勝。
そういう分かりやすい肩書きが、いくつも貼りついている。
普通なら、肩書きの方が人間を食ってしまう。
名前より先に、実績だけが歩き回る。
けれど、高天原は違った。
どれだけ肩書きを並べても、最後には本人の方が残る。
常にきりりとしていて、余計なものを寄せつけない。
誰かに媚びることも、輪の中で自分の価値を確かめることもしない。
ただそこにいるだけで、彼女の周りには見えない線が引かれる。
誰も不用意には踏み込まない。
周囲の方が、勝手に距離を測る。
そんな超優等生が、俺を見つめている。
俺の背後にいる、花守を見ようとしているわけではない。
まっすぐに、俺の目を見ていた。
騒ぎに加わるでもなく、誰かと目配せするでもなく、ただ静かに。
深い夜の海を切り取ったかのような、一切の濁りのない二つの瞳が、じっと俺を射抜いている。
まるで、今この教室で起きたことの意味を、ただ一人だけ冷静に分析するみたいに。
いつもなら空気同然に無視されるか、気持ち悪がられるか、玩具みたいに雑に扱われるだけの、醜悪な肉の塊。
そんな俺の頭上に、今、目も眩むようなスポットライトが照射されている。
自分が未知の何かに作り替えられていくような、制御不能の困惑に脳が焼け付きそうだった。
花守は、まだ俺にべったりくっついている。
米谷たちは、愉快そうに俺を見ている。
源の取り巻きたちは、気まずそうにしている。
他のクラスメイトたちも、何が起きたのか知りたくてたまらない顔で、こちらを窺っている。
そして、高天原の底知れない双眸が、俺を捉えて離してくれない。
今この瞬間、間違いなくクラス全員が、俺のことを最も強く意識している。
やめろ。
やめてくれ。
俺を、この世界の中心に立たせるな………!!!
ここまで読んでくださりありがとうございます。
少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と感じられたなら、ぜひブックマークや評価の方をよろしくお願いいたします。
明日からは完結まで一日一本投稿していきます!




