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誤字脱字というのは何度見返してもなくなりませんね(TωT)
晶湖と朔が二人で盛り上がっているのが収まるまで晃輔は待っていなければならなかった。
「顔洗ってきます」
晶湖がそう言ってトイレに向かうと、晃輔は朔に早速話しかけた。
「巴は使えそう?」
巴とは巴蛇の事で今は朔が巴と名前を付けて飼っている妖である。
「ええ、だいぶ大きくなりました。そうですね、櫻川さんの護衛として付けておくくらいはできるでしょう」
朔も晃輔が何が言いたいかわかったようだった。
ここ最近、この近くで影に関わる出来事が多すぎる。
何が目的は不明だが、この近く、少なくとも生活範囲内で活動していることは間違いなさそうだった。
「僕が毎日送ってもいいんだけど⋯」
──櫻川さんがよしと言うか…。
「そうですねぇ…いえ!そうしましょう!坊ちゃま毎日送り迎えしてくださいまし」
てっきり却下されると思ったのに急に朔が賛同しだした。
「ごめんなさい。お片付けはじめますね…?」
顔洗ってさっぱりしてきた晶湖が戻って来ると、何やら二人で話していたようだった。
「何の?お話ですか?」
「いやぁ…櫻川さんの通勤の事を話していたんだけど…」
「櫻川さん!あなた今日から先生に毎日送り迎えしてもらいなさい!」
晃輔がどう説明しようか悩んでいる間に朔がどストレートに伝えた。
「へ?」
晶湖は何の話からそうなったのかわからない、思わず変な声をあげてしまった。
「そうしましょう。それがいいですわ。そうですね、そのうえで念のため巴も付けましょう」
朔はどんどん話を進めてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください。なんで先生が私の送り迎えなんですか?」
「あら、櫻川さん、先生じゃご不満ですか?」
「そんなわけないじゃないですか!いや、そうじゃなくてですね。てか巴って誰ですか?」
「朔さん、朔さん、どうどう、落ち着いて。一から説明してあげないと意味がわからないよー」
晃輔がちょっと遠めから、カルテを丸く筒状にしてメガホンのようにして口に当て、一応止めに入る。
「あら、私としたことが、そうですわね。ごめんさいね。先走ってしまって」
朔が少し照れ気味に謝る。そのまま口に手を当ててほほほと笑ってしまいそうである。
「あ、えっと、いえ⋯」
晶湖も何故かつられて照れている。
それをみて晃輔は少し可笑しくなった。
「櫻川さん、今日少し遅くなっても大丈夫かな?片付けが終わったら少し話したいことがあるんだ」
「はい、大丈夫です」
晃輔に穏やかに、けれど真面目な顔をしながらそう言われて、晶湖は少しだけ緊張した面持ちで頷いた。
片付けが終わると三人とも休憩室へ移動した。
朔が珈琲を入れる。
「そういえば、朔さん、紅茶もお入れになるんですね」
晶湖が最後の患者の事を思い出しながら言った。
「先程の方は珈琲はお好きではなさそうでしたので。櫻川さんもお紅茶の方がよろしいですか?」
そう答える朔の方から珈琲のいい香りが漂ってくる。
「ううん。私、朔さんの珈琲が好きです」
晶湖は珈琲の香りを吸い込んで嬉しそうに答えた。
「それはようございました」
朔は三人分の珈琲を運んでくる。残念ながら晶湖専用のカップはまだ無い。
「ごめんなさいね。もう少しお待ちください」
朔は申し訳なさそうに謝った。
「全然です!」
晶湖は笑顔で答える。そして受け取った珈琲に砂糖を二杯、ミルクたっぷり入れて美味しそうに口に運んだ。
そんな二人のやり取りを見ながら晃輔は珈琲を啜りながら見ていたが、朔が椅子に座ったところで徐に話し始めた。
「櫻川さんも気がついてると思うけれど、ここ最近影を動かす妖がこの近辺に出ているようなんだ。それが、今日影を奪う妖も出てきた。同じ妖なのか、違うものなのか、そこはまだわからないのだけれど、どちらにしろ全くの無関係ではないと、思ってる。なんなら同じ妖だとすら僕は思ってる」
そこでなんだけど、と晃輔は晶湖を見た。
「櫻川さんの通勤時、影をいじられる可能性も出てくるわけだ」
「それで晃輔先生が私の送り迎えをしてくださるっていう話になったんですか?」
晶湖は朔と晃輔の二人の顔を見比べながら尋ねた。
「そうです。それが一番安全ですから」
朔がうんうんと頷く。もっとも朔には他にも狙いが有るがそれは悟られてはならない。
「でも、そしたら例えばお休みの日とかどうするんですか?」
「一応巴もつけようとは思ってる」
「巴…さん?て誰ですか?」
「櫻川さんにはいい思い出じゃないんだけど…」
晃輔は少し困った顔をしながら朔に巴を呼べるか聞いた。すると朔は人差し指と中指の二本の指を唇に当てて何かを囁いた。その瞬間、長さにしておよそ一メートルほどの白金に輝く蛇が、重さなど感じさせないように朔の肩から腕に絡みついていた。
「ひっ!」
晶湖は驚いて距離を取るように立ち上がる。
「あ、やっぱり嫌だよね」
晃輔は人差し指でこめかみのあたりを掻いた。
「というより、いきなりこんな大きな蛇が出てきたら誰だって驚きますよ!」
「まだまだ大きくなりますよ」
何故か嬉しそうな朔。
「ああ、そうか。そうだね。朔さん巴小さくなれる?」
朔の言葉は無視して晃輔は朔に尋ねる。
「ええ。もちろんです」
少し残念そうにそう言うと朔はスルッと蛇の頭を撫でた。その瞬間、あっという間に十センチメートルほどの小さな半透明の白金に輝く蛇に変化した。
「これならどうかな?あの時の蛇だから嫌かもしれないけれど⋯」
晃輔は晶湖の反応を見ながら聞いてみる。
「…これ、かまないんですか?」
「ええ、人に慣らしてますから。寝ている晃輔坊ちゃまに何度も添い寝させたりして」
「えぇ!!そんなことしてたの?!」
今度は晃輔が驚く番だった。それに対して朔は澄ました顔をして答える。
「ええ、全く気が付かず寝ておられました。全く、危機管理がなっていませんよ」
「僕だって敵意があれば流石に気がつくよっってか、そういう不意打ちやめてよー」
そんな朔と晃輔のやり取りを尻目に晶湖は蛇に恐る恐る手を伸ばしてみる。蛇はちろりと透明な小さな舌を出し晶湖の指先を舐めるとくるくると腕に巻き付いた。そしてまるで頭を撫でろとばかりに頭を晶湖に突き出した。
「かわいい…かも⋯」
晶湖は蛇の頭を撫でながら思う。
──確かにこの蛇は絹人の命を奪ったのかもしれない。けれど、この子もある意味被害者?だし、それにある意味この子のお陰で美咲は助かった訳だし、絹人も私を護っていられたとも言えるし…。
「大丈夫そう?」
晃輔は心配そうに尋ねる。それに対して晶湖は笑顔で答えた。
「はい、大丈夫です」
「それはようございました。その子がいれば弱いモノノ怪の類は寄ってきませんし、何かあればすぐに朔に分かるようになっていますから」
「そうなんですか。キミ凄いね」
晶湖は巴の顎の下を撫でる。巴はすっかり晶湖に懐いたようだった。
「この子がいれば、先生に送り迎えまでしていただかなくても大丈夫なのでは?」
晶湖の腕から手のまわりをくるくるうねうねを動き回る巴をつつきながら晶湖は言う。
「そうなんだけど…。心配だからせめて帰りだけは送らせてくれないかな?事故も夕方から夜間の方が多いしね」
正直とてもありがたい。直接目撃してしまった晶湖としては、怖くないと言えば嘘になる。だけど、同じくらい申し訳ない気持ちもあるのも確かなのだ。
こういう時、背中をおしてくれるのはいつも朔である。
「朔と晃輔坊ちゃまを安心させると思って。ここは素直に送られてあげてくださいませ」
「…ご迷惑じゃないですか?」
「全然。寧ろ朔さんの言う通り、その方が安心だよ。でもって、坊ちゃまはせめて櫻川さんの前ではやめてください。お願いします」
もう今更感がある朔の坊ちゃま発言に、なかなか諦め悪く朔に食い下がる晃輔を見て、晶湖が笑ってしまったのは仕方がないことだった。
早速今日から晶湖を送っていくことになった。
朔と晶湖で鍵をかけている間に晃輔が車を取ってくる。
晶湖だけが助手席に乗って朔は二人の乗った車を見送った。
「悪いね、こんなおじさんに毎日送られるようになってしまって」
晶湖はくすっと笑う。
「先生はおじさんなんかじゃありません」
「若い子にそう言われるとお世辞でも嬉しいね」
「お世辞じゃありません。というか先生っておいくつなんですか?」
「僕?三六歳だよ」
「え!私と十一歳違い?あ、私早生まれだから学年で十個違い?嘘、もっとお若いと思ってました」
「そう?えーと喜んでいいのかな?」
晃輔は何とも言えない顔で笑う。
「はい、喜んでください。褒めているんです」
晶湖はわざと偉そうに聞こえるように言う。
「ははっ。じゃあ喜んでおくよ」
「はい、喜んでください。先生は若くてカッコいいですから」
言ってしまってから晶湖は言うつもりのないことまで言ってしまい恥ずかしくなってしまったが、幸い前を見て運転している晃輔には冗談に聞こえたようだ。
──そう、晃輔先生はカッコいいよね実は。
晶湖が最近密かに思うようになったことである。元々壮亮の弟なので顔立ちは似ているが、どちらかというと晃輔の方がソフトで悪く言うともっさりしているところがあるが、笑った顔がかわいかったり、真剣な顔がカッコよかったり、本当はお行儀が悪いのかも知れないけれど、珈琲を啜る姿が実は晶湖のお気に入りだったりした。
誰にも言えない、晶湖の秘密である。
「そういえば、先生は妖?の正体はなんとなく掴めているんですか?」
話題を変えるように晶湖は質問した。
「朔さんの話ではだいぶ近くまで追い詰めているような事を言っていたね。さっきはああ言ったけど、多分妖は一匹?…一体かな?…だと思っている。僕は朔さんほど遠くまで感知できないけれど、それでもたまに感じる一際強い気配をたまにクリニック近辺に感じる事がある。あまり早くは移動できないのか、何か制約が有るのかも知れないね。まあ、朔さんが目を光らせているからあまり目立っては動けないのだろうけれど」
──朔さんて何してるの?晶湖にとっては素朴な疑問だった。
「朔さんて何なのですか?」
晃輔は少し考えるようにしてから答えるのを避けた。
「うーん…それについては、いつか朔さんに聞いてごらん。朔さんが言いたくなったら教えてくれるさ。朔さんは櫻川さんを気に入っているから多分そう遠くないうちに教えてくれると思うよ」
そう言われてしまうと逆に聞きにくい。晶湖は朔がいつか自分から教えてくれるのを待つことに決めた。
次の日、昨日と同じ時間に同じ患者が受診しに来た。上村真凛である。
「こんにちは。昨日の続きできました」
何故か笑顔である。
「第二診察室でお呼びいたします。お掛けになってお待ちください」
いつものように呼びかける朔。彼女が珍しく苛立っているのに気がつく患者はいない。
「上村真凛さん、どうぞお入りください」
晶湖が診察室の扉を開け呼びかける。
真凛はすっと立ち上がると何も言わず診察室に入っていった。
「こんにちは。あれから何かありましたか?」
晃輔は優しく話しかける。真凛は診察室をぐるっと見回しながらソファーに座ると、話しかけられたのに、はっとして慌てて答えた。
「あ、あの、やっぱりなんか身体が重だるいかなって思って。」
晃輔を見ながら何故か少し照れたようにモジモジしている。
「そうですか…。どういう時感じます?何かした時とか、そういうのは関係なく?」
「えっと…そうですね。なんとなく身体が重いような感じが続いています」
「今はどうですか?」
「今…はそうでもないかな?」
晃輔は少し悩むようにしながら
「影はあれから薄くなったりはしていませんね?」
と確認する。
「たぶん…?」
真凛の答えはどれも曖昧である。
晃輔は少し考えてから
「そうですねぇ…そしたら、少しお薬を出してみましょうか。」
と伝えた。
「はい」
今度は真凛は少し嬉しそうに返事をする。
「漢方薬ですが、そうですね、二週間分出しますので、ちょっと様子を見てみてください」
「はい、お願いします」
晃輔はカルテに記入すると、いつものように顔を上げて
「では、お薬お出ししますのでね。お大事にしてください」
と笑顔で真凛を送り出した。
「はい、ありがとうございました。」
真凛は診察室を出ていく途中で、ふと立ち止まると振り返って
「あの、もしまた何かあったら二週間立たずに来てもいいですか?」
と聞いてきた。
「勿論です、何かあったらいつでもいらしてください」
晃輔は当然のように笑顔を答える。
真凛は嬉しそうに診察室を後にした。
「なんでしょうね?」
「何が?」
晃輔はカルテに書き込みながら言葉半分に聞いている。
「何だか今の方、嬉しそうじゃありませんでした?」
「え?そうだった?」
その辺の察しの悪さが晃輔の良いところ?かなと思いつつ、
「先生目当てかな?とおもったのですが」
晶湖は晃輔の反応を探ってみる。
「まさか、こんなおじさん目当てなわけないでしょ。おじさんをからかっちゃいけませんよ」
晃輔は笑って相手にしなかった。
──そんなことなさそうだけど。
そう思いながらも本気にしない晃輔に安堵する晶湖だった。
そして
──なんで安堵してるんだろ?
とも思う晶湖だった。
モノノ怪・妖の類に関する薬は院内処方で出している。
特に昨日から変わったところは感じなかったが、念のため朔に頼んで妖力を入れた薬にして真凛に処方した。魔除け代わりお守りのようなものである。見た目は普通の漢方薬。
ちなみに最初に晶湖に出した薬は特に特殊な方法で妖力を込めてもらっている特別な薬だがそれはまた別の話し。
それはさておき、真凛は処方された薬をもらって嬉しかった。
──また二週間後に先生に会える。
自分の嘘みたいな話を信じてくれた、真剣に聞いてくれた先生。それが若くてカッコいい。
実際開業医で三十代は若い方だろう。特に晃輔は本人は気がついていないが、独身でもあるせいか余計に若く見える。
真凛に恋心に近いものが芽生えても不思議ではなかった。
もうすぐ診察終了の時間である。
真凛は晃輔が何で帰るのか興味を持った。
──時間がかかるような帰ろ。
そう自分に言い聞かせながらクリニックから少し離れたの入口が見えるところで待ってみる。
近くにあった自動販売機でミルクティーのホットを買いながら、我ながら健気だななんて自分で自分を慰めてみたりする。
真凛はどちらかというと猪突猛進当たって砕けろを信条にしているところがあり、よく友人にもその行動力は半ば呆れられながらも認められているところもあった。
そんなこんなで待つこと三十分、この時期のこの時間はまだ十分寒い。ポケットの中のミルクティーもだいぶぬるくなっていた。
仕事終わりと見られる職員三人が出てきた。晃輔と受付の女の人と、あの仲の良さそうな看護師もいた。
真凛には最初からなんとなくあの看護師が気に入らなかった。簡単に言えば勝手にライバル視していただけだが、最初から仲良さそうに見えたのだ。
そして真凛の中で勝手にその予想は当たった。
先に晃輔は帰ったのかと思ったのだが、車を取りにいっただけで、その車に受付の女性は乗らず、その看護師だけを助手席に乗せて、車は発進したのだ。
──なぁんだ
「やっぱりそうなんだ。こういう予感ってどうしてあたるんだろ」
真凛は独り言ちた。
──あの二人やっぱり付き合ってるんだ。
「やだ、なんで私失恋した気持ちになってるの?ちょっといいなって思っただけじゃん」
鼻が痛い。涙が出そう。違うもん、寒いだけだもん。真凛は自分に言い聞かせる。
「帰ろ、帰ろ。いいじゃん、わかっただけで。そうだよ、私の悪いところじゃん。惚れっぽいって。本気になる前に分かってよかったじゃん」
下を向いていた真凛はくるりと向きを変えて顔を上げる。
その瞬間ビクッとした。
自分以外に人はいないと思っていたのだ。
──やだ、聞かれてた?恥ずかしい。
真凛は顔を背けるように下を向く、その人を避けるように歩き出す。
思わず入った視界に真凛はギョッとした。
──え?
そこに立っていたのは多分男性だった。何故男性だと思ったかは背が高く見えたことと、来ているコートも帽子も男性ものだったからだ。ただし男性の顔に影がなかった。来ているものには影があるのに、帽子と服の間にだけ空白があった。
今そう見えたものが、本当にそうだったかはわからない、ただ真凛は全身の肌が粟立つような感覚に襲われ急ぎ足で駅へ向かった。兎に角離れたかった。誰か他に人はいないの?真凛の頭の中はそれでいっぱいだった。
その時
「ミ・エ・タ?」
すぐ耳の後ろから声がした。
「ひぃっ」
真凛はビクッとしてその場で転んでしまった。少しでもおしゃれしようと膝丈のスカートで来たのが仇となって膝を大きく擦りむく。バッグに入っていた処方された薬も飛び出してしまった。でもそんな事を気にしている場合じゃない。
眼の前に立っている男は、顔は見えない。何故だか顔がわからない。だけど、男のうしろから照らす照明には男の顔の部分だけ影がなかった。まるで透明人間のように服だけが影を作っていた。
「い、いや!」
真凛はなんとか立ち上がって走り出す、だが簡単に男に掴まれてしまう。
「いやぁ!離して!」
何とか逃れようと暴れる真凛に男は平然と伝える。
「ダメ。オマエ、コレカラクルヤツノヒトジチ」
カタコトのような聞こえづらい声で話す男の、言っている意味の半分もわからなかったが、自分を逃がしてくれないことだけは理解できた。
──なんなの、これはなんなの?
真凛の脳裏が恐怖で焼き切れそうになる直前、別のところから声がした。
「その娘を離せ」
振り向くとそのには三本の尻尾を持った大きな白い犬のような生き物がいた。
遠めにも目の下に金の縁取るような毛が美しく輝き、目の色も金だった。
「お前では私には勝てない。大人しくその娘を離せ」
白い獣は人の言葉をしゃべった。真凛を助けようとしていることがわかった。
「ダメ。オマエツヨイ。コレハナシタラ、オマエオレヲコロス」
それに、というと真凛の腕を引っ張って引きずり倒すと
「きゃぁ!」
「コレ、ハナビ。オマエ、ドウセカテナイ。ダカラコレハナビニスル」
「花火?何をいっている?お前は人の影を奪ったり操ったりするのではないのか?」
白い獣は時間を稼ぐ。
「オレ、カゲホシイ。デモオレ二アウカゲナカッタ。ダカラベツノヤツ二ツケタリシタ。ソレモオモシロカッタケド、モットタノシイコトカンガエタ。タクサンノカゲツケル。アカリノシタイッペンニウゴク。ドウナル?」
「ならばそうなる前にお前を殺すまで」
「デキルモノナラナ」
男は真凛を盾にするようにして動かない。
白い獣は真凛を避けるように攻撃をしかけるが、相手の男の反応も早い。
何度か男の服をカスリはするが致命傷までは至らない。
「モウスグダ」
「往生際の悪い下等な妖め」
攻撃の手を休めず白い獣が苛立ったように唸る。
「モウスグ、アツメタゼンブノカゲガコイツにハイル」
男が勝ち誇ったように言う。
その時帰ったはずのレンジローバーが戻ってきた。
そのまま突っ込んできそうな勢いで近くまで来ると、急停車して晃輔が降りてこちらに走ってくる。
「晶湖さん、ごめんねそのまま後部座席に移動して身を隠しててね!」
男が照明の光の中に真凛を突き放したのと、晃輔がそこにたどり着いたのは同時だった。
真凛の身体の中で何かが蠢く、身体のあちこちが勝手に動き回り、体中があちこちに引き裂かれる!
「いやあぁぁっ!」
その時、晃輔が自分の身体で真凛の身体を覆うように抱きつき、すぐさま転がるように暗闇の中へ飛び込んだ。
「朔さん!頼む!」
その言葉とほぼ同時に白い獣は男を前足の一振りで引き裂いた。
「ギャァァァァァァァァァァ!」
晃輔は真凛を自分の影から出さないように抱きしめながら真凛の耳を塞いだ。
「もう大丈夫でございます。坊ちゃま」
「彼女を出しても大丈夫かい?」
「ええ、問題ないかと」
晃輔はふぅっとため息をつくと、自分の腕の中にいた真凛を見つめた。
「ごめんね、乱暴にして。怪我はない?」
見つめられてぽーっとしていた真凛だったが、言われて、身体のあちこちが痛むのに気がついた。
「あっつ。足とか、肩とか、腕とか痛いです」
何しろ直前まで身体がバラバラにされそうになったのである。痛みがあって当然といえば当然だった。
「膝の擦り傷も酷いね。とりあえず一旦クリニックに戻ろうか」
そう言って真凛を立たせようとしたが、腰が抜けてしまい立ち上がることができなかった。
「ちょっと失礼」
そう言って晃輔は真凛を抱き上げると、車の中にいた晶湖を呼んだ。
「櫻川さん、悪いけれど、クリニック開けてくれる?」
後部座席からひょっこり顔を出した晶湖は晃輔が怪我した女性を抱き上げているのを見ると慌てて、クリニックのエレベーターホールの鍵を開けに走った。
横にはいつのまにか来たのか朔が一緒にクリニックを開ける準備を手伝っている。
「痛いかな?ごめんね、もう少し我慢してね」
晃輔はなるべく優しく聞こえる声をかける。
「はい⋯」
真凛は正直心臓がドキドキして返事をするのがやっとだった。
朔に車を頼んで処置室に真凛を運び込むと、晃輔は、まず痛いと言うところを全てレントゲン室でレントゲンを撮った。幸い骨には異常なく、内臓にも今のところ症状は見えなかった。それから処置室に戻って膝の処置を終えると、彼女は何とか歩けるようになっていた。
「よかった。影も戻ったね」
全部が終わると晃輔はため息をついた。
「正直なんだかよくわからないのですが、あの、助けて下さってありがとうございました」
晃輔の顔を見るのが恥ずかしい。真凛は真っ赤になってお礼を言う。
「いや、ほんとに間に合ってよかった。朔さんのおかげかな」
「いいえ、たまたま彼女とアレがあってしまっただけです。先生が気がついて戻って来なければどうなっていたか」
「それは巴のおかげかな?一番先に巴が気がついたんだよ」
「そうでしたか。では坊っちゃんはまだまだということですね」
「はい…すみません。でも坊っちゃんはやめてください」
いつもの光景に晶湖がくすくすと笑う。
「櫻川さんも遅くまで突き合わせてしまって悪かったね」
「いえ、そんな。大事にならなくてよかったです」
晶湖はニッコリと微笑む。
そんな三人のやり取りを見て、晃輔と仲がよいのはどちらかと言えば受付の方で看護師はそうでもないのかも?さっきまで死にそうな思いをしたというのにそう冷静に分析する真凛であった。
そうこうしている間に朔が紅茶を入れて処置室に運んできた。
「たまにはいいでしょう」
四つのティーカップに紅茶を注ぐ。
晃輔は朔に目をやる。
朔は小さく頷いた。
「ありがとうございます。喉乾いていたんです」
真凛はミルクと砂糖を入れて美味しそうに飲み干した。
一人で帰れるか、という晃輔に真凛は大丈夫ですと答えた。
晃輔が送ってくれるのならともかく、朔がタクシーを呼んでくれると言ったからだ。
幸い痛いのは膝だけ、それに晃輔に命を助けられ、理由が理由とは言え抱きしめられたのだ。
真凛は余韻に浸っていたいと思った。
──こんなの好きにならないほうが無理じゃん。
怖い思いをしたけれど、命がけで(真凛の中では)助けてくれて⋯そう言えばあの白い獣⋯?は何だったんだろう?
そういえば、私は何が怖かったんだっけ?
先生が明日になれば、怖かったことはみんな忘れられるから大丈夫って言ってたけど、なんのことだろう。
JRのホームに立ちながら真凛は晃輔の事を思い出してドキドキしながら電車を待っていた。




