真実 (5)
午後の時間は、ノックスにとってまるで霧の中を歩いているようだった。
授業内容はほとんど頭に入らず、記憶に残っているのは、断片的な光景と、家庭にまつわる謎に揺さぶられた感情だけだった。
朝、カルマが校長室にいると言っていたことをふと思い出し、ノックスの足は自然とその方向へと向かっていた。
それは、理屈ではなく、何かに引き寄せられるような無意識の行動だった。
そんなとき、聞き慣れた声が背後から響いた。
「おーい、普通の生徒さん!」
振り返ると、アリアンが軽く息を切らせながら駆け寄ってきた。
「……この子、本当に俺を見つけるのが上手いな」ノックスは内心で小さく呟いた。
アリアンが彼の隣まで来ると、視線をノックスの見ていた先に移し、目を見開いた。
「え? あそこにいるの、あなたのお母さんじゃない?」
ノックスが目を向けると、たしかにカルマが校長室の前に立っていた。
そのそばには、アイデンと車椅子に座った父・炎——エリオットの姿もあった。
「こんにちは、アイデンさま!」
アリアンは元気よく挨拶しながら、先に駆け寄った。
アイデンは手を軽く振り、いつもの柔らかい笑顔で答えた。
「君たち、こんなところまで来てどうしたのかな?」
アリアンは返事をする前に、カルマに向き直り、丁寧に頭を下げた。
「こんにちは、ノックスのお母さま。」
カルマは少し驚いたように目を見開き、すぐに微笑んで返す。
「ああ……この前のクラスメイトの子ね?」
「はい! アリアンと申します!」
彼女は明るく自己紹介しながら、カルマの隣に目を移した。
そこに座っている男性——車椅子に座るエリオット。
想像していたよりも若々しく、落ち着いた佇まい。
そして何より、ノックスとどこか似た雰囲気を持っている。
「エリオットさま、こんにちは。」
アリアンは丁寧に挨拶をした。
エリオットはゆっくりと彼女のほうを見て、紅の瞳をわずかに細めた。
特に表情は変えず、ただ軽く頷いたのみ。
それでもアリアンは気にする様子もなく、ノックスのほうを見て小声で囁いた。
「お父さん、あなたとそっくりね……しかも若いし。」
ノックスはその言葉に少しだけ眉をひそめたが、特に反応は返さなかった。
そのとき、カルマが近づき、軽くノックスの肩に手を置いた。
「ちょうど帰ろうとしていたところよ。一緒に帰らない?」
ノックスが頷こうとしたそのとき、アイデンがアリアンに視線を向け、少し意味深な口調で言った。
「そういえばノックス、昨日の話、彼女にもうしたのかな?」
「えっ? 私のこと?」
アリアンは首を傾げ、不思議そうにノックスを見つめた。
彼は少し間を置き、静かに答えた。
「君の身体のことだ。」
「私の……身体?」
アリアンは目を見開き、戸惑いながら自分を指差した。
カルマはにっこりと微笑み、何も言わず。
アイデンは興味深そうに様子を見守りながら、肩をすくめた。
どうやら説明はノックスに任せるつもりらしい。
ノックスはため息をひとつついてから、アリアンの目を見て言った。
「君の身体は、魔力に対して異常な反応を示している。俺が魔力を流そうとしたとき、それを“跳ね返した”んだ。」
少し間を置いて、付け加える。
「……この現象は、かなり稀だ。」
アリアンは驚いたように何度か瞬きをし、
「それって……何が原因なの?」と、少し不安げに訊ねた。
ノックスはアイデンのほうを見ると、アイデンは静かに頷いた。
「まだ断定はできない。でも、君には一度、詳細な検査を受けてほしい。原因が分かるかもしれない。」
ノックスの声は静かで真剣だった。
アリアンはしばらく黙り込み、目を伏せて考え込んだ。
やがて、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべながら、言った。
「……ちょっと怖いけど。でも、もし原因が分かるなら……悪くないかもね。」
炎は珍しく口を開いた。
その声は冷静だが、どこか圧を孕んでいた。
「魔力の反発……とはどういうことだ? この少女は、すでにお前の正体を知っているという意味か?」
その一言に、ノックスの瞳がわずかに揺れた。
息を呑み、顔から冷静さが薄れ、代わりに一抹の緊張が走る。
彼は視線を落とし、低い声で答えた。
「……実は、初日に知られてた。……すみません、俺のミスです。」
その言葉に、アリアンが慌てて前へ出る。
弁明するように、早口で言葉を重ねた。
「違います! 本当に、ただの偶然なんです! わざとじゃありません! 本当に!」
手を上げ、必死に誠意を示そうとするその様子に、
炎の視線が静かに二人を見渡す。
その眼差しは深く、内心が読めない。
やがて彼はゆっくりと頷き、しかし容赦ない声音で言った。
「……中で話そう。」
そして、校長室の扉を指し示す。
カルマはノックスに目を向け、微笑を浮かべた。
その笑みはどこか慰めを含み、軽く彼の肩を叩く。
「大丈夫よ。とりあえず、パパの話を聞いて。」
アイデンは両手をポケットに突っ込み、アリアンに向けて意味ありげな笑みを浮かべたあと、
静かに彼らの後に続いた。
空気が一気に張り詰め、アリアンは思わず喉を鳴らした。
緊張感に包まれたまま、ノックスの後ろをついて校長室へと入る。
扉が閉まる音が重く響き、その瞬間、空間全体が重たい沈黙に包まれた。
広々とした室内は静まり返っており、
整然と並べられた書類と電子機器だけが、わずかな生活感を醸し出していた。
ノックスとアリアンは部屋の中央で立ち尽くす。
座ることもできず、呼吸すら躊躇うような緊張に囚われていた。
そんな二人に、炎が静かに命じる。
「座れ。立ったまま話すな。」
二人は目を合わせ、やがてそっと椅子を引いて座る。
その動作ひとつすら慎重で、まるで一歩間違えれば何かが壊れてしまいそうな、繊細な空気が張り詰めていた。
炎はじっと二人を見つめ、そして低く、静かに告げた。
「話せ。最初から最後まで、一つ残らず正確に。」
アリアンがすぐに口を開く。
やや焦り気味の声で言葉を綴る。
「その……初日に……たまたま彼の気配が普通と違ってて、それで、つい……」
だが、炎は手を上げて彼女の言葉を遮った。
視線はノックスに向けられている。
「魔力の反発については……お前が話せ。」
アリアンは思わず肩をすくめ、そっと身を引いた。
そしてノックスに小声で囁いた。
「……なるほど、あなたがお父さんを怖がる理由がわかった気がする……」




