家族(2)
「目玉焼きも作ったわよー!」
カルマの明るい声が、ノックスの思考を断ち切った。
顔を上げると、母が湯気を立てる目玉焼きの皿を運んできた。
その笑顔は、いつもと変わらず柔らかかった。
「ありがとう、ママ」
ノックスは小さな声で言い、フォークでぷすりと目玉焼きを突く。
心の中のもやもやを、ひとまず押し込める。
アイデンもコーヒーを片手に、テーブルの料理に目を落とす。
焼き加減ばっちりの目玉焼き、トーストにはチーズがきれいに散らされ、
かぼちゃのポタージュからは優しい香りが立ち上っている。
(昔は、生卵すらまともに割れなかったくせに……)
アイデンは心の中で苦笑した。
何年も前、カルマが「人間の朝ごはんを作る」と意気込んで、
玉子を全部ぐちゃぐちゃにした惨劇を、今でも覚えている。
それが今では、こんなにきれいな食卓を用意できるようになったのだ。
アイデンは、心から感心していた。
カルマは、最後の一皿――香ばしいソーセージをテーブルに置き、
エプロンの裾を拭きながら笑った。
「さあ、食べて食べて。特製よ!」
アイデンはカップを置き、冗談交じりに言った。
「まさか、あの生卵クラッシャーだったカルマが、
こんな朝食を出せるようになるとはな。見直したよ」
カルマはふふっと得意げに笑い、ノックスの肩を軽く叩いた。
「でしょ? 努力したんだから!
このふたりを養うの、ほんっとに大変なんだから」
「別に、そこまで頑張れって頼んでない」
炎は窓の外から視線を戻し、ぼそりと返す。
「だよね」
アイデンも軽く笑いながら同意する。
「なによ!」
カルマはエプロンをぱたぱたと叩きながら睨んだ。
「全部あんたたちのせいでしょ。
私がここまで頑張るようになったのは、あんたらが推したからよ」
アイデンは肩をすくめ、悪びれもせずに言う。
「ノックスのためだろ?
“家の中だけでも、普通の人間みたいに暮らさせたい”って、君が言ったんじゃないか」
カルマは一瞬だけ目を細め、コーヒーを一口すする。
「……言ったけどね。簡単に言わないでよ。
こっちは生まれつき、人間じゃないんだから」
彼女は自分の胸を指差し、冗談めかして付け加えた。
アイデンはくすっと笑い、からかうように言う。
「でも、今じゃちゃんと卵も割れるもんな」
カルマはカップをテーブルに置き、にっこりと笑った。
「またそれ言う? そんなに言うなら、あんたの朝ごはん、卵抜きにするわよ?」
ノックスは静かに彼らのやり取りを見つめながら、ふと口元をわずかに緩めた。
こんな光景を眺めていると、家の空気もそれほど重苦しいものではないように感じられた。
むしろ、珍しく心地いい――そんな風にすら思えた。
けれど、胸の奥には、拭いきれない疑問が渦巻いていた。
(どうして、俺は“普通の人間”みたいに生きなきゃいけないんだ?
母さんは悪魔、父さんは人間。……じゃあ俺は、一体何なんだ?)
ノックスはふと視線を上げた。
すると、父――炎の目線が、まっすぐ自分に向けられていることに気づいた。
赤い瞳は一見穏やかに見える。
だが、その奥に潜む鋭さは、静かに、けれど確実に、ノックスの胸を突き刺した。
「どうした?」
炎が不意に声をかけた。
声は大きくないが、どこか抗いがたい圧を持っている。
ノックスは一瞬戸惑ったが、すぐに首を横に振った。
「……なんでもない」
平然と答える。
炎はノックスの表情をじっと見つめたが、それ以上は何も言わず、ゆっくりと頷いた。
カルマはこの短いやり取りを見て、くすりと笑った。
「ほらね、アイデン。
この親子、本当に無口で困っちゃう」
アイデンは笑いながら、コーヒーカップを置いた。
「ノックス、なんでもかんでも抱え込むなよ。
せっかくだから、学校で何か面白いことでもあったら教えてくれよ」
ノックスは一瞬、迷った。
符紋室のことは、ここでは口にできない。
特に父の前では。
少し考えた末、なるべく当たり障りのない話をすることにした。
「特に何も。
普通に授業と、あと……実戦観戦があったくらい」
「実戦観戦か、いいじゃないか」
アイデンは興味深そうに眉を上げる。
「何か面白いバトルでも見たか?」
ノックスは、特異科の対決について簡単に触れた。
もちろん、カイルの挑発や風刃の一件はきれいに省略して。
言葉もトーンも淡々としていて、聞く者にはただの学院の日常にしか聞こえないだろう。
そんなノックスに、カルマがすかさず突っ込んだ。
「まさか、また見学中ずーっと固まってたんじゃないでしょうね?
石像みたいにさ?」
ノックスは肩をすくめ、短く答えた。
「結界がしっかりしてた。
騒ぐ必要なんてなかった」
「へぇ、親父譲りだな」
アイデンが笑う。
「どんな時でも冷静、簡単には動じない。
まるでエンそっくりだ」
炎は黙ったまま、コーヒーを飲んでいる。
が、その口元が、わずかに緩んでいるのをノックスは見逃さなかった。
カルマは大きく伸びをして、にやりと笑った。
「実戦観戦かあ……いいなあ。
朝ごはんも食べたし、私もちょっと体を動かしたくなってきたわ」
ノックスがスプーンを置くと、カルマはすでに席を立ち、アイデンに向かって声をかけた。
「アイデン! 例の結界装置、ちゃんと用意してるでしょうね?」
アイデンはにっこり笑い、親指を立てた。
「バッチリさ」
「よし、じゃあ準備して! すぐ行くから!」
カルマはぐいっと顎をしゃくって、次はノックスに振り返った。
「ヨルちゃん、あんたもグズグズしないで早く食べなさい!」
ノックスは心の中でため息をつきながら、残りの朝食を急いでかき込んだ。




