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混沌に降り立つ龍

 かつて、脆弱な小鬼でしかなかった我輩をあの人は拾ってくれた。

 それどころか、クリムゾンの末席にさえ置いてくれた。


 その恩を忘れたことは一度としてない。

 

『あら、お腹が空いているのね――じゃあ、一緒に来る?』


 あの日、差し伸べてくれた手の温もりを忘れたことは一度としてない。


(……レンジ様…………クノン様――――)


 遠き日だ。

 もう、今は存在しない国だ。


 それでも、ガイルザークは忘れられないでいた。


 それはまさに呪いだった。

 当時の戦いを、もう忘れられるべき過去の戦いを――実体験した当事者として記憶している。刻み込まれている。


 呪いの鎖が、絡み付いて、外れない。

 復讐の連鎖は終わらないと、ガイルザークは知っていた。

 復讐のために己が牙を磨いていると、ガイルザークは知っていた。


『俺の嫁にぃいいいいっ、手ぇええ出すんじゃねぇえええええええええっ!!』


 だから、あの少女の気持ちも理解できる。


 同じだった。

 大切な誰かを失うというのは、何時になろうと、どれだけ時間がたとうと、変わらず心を蝕むものだ。

 だから、その刃を受けた事を、ガイルザークは誇りに思う。


「…………見事……」


 戦場で合間見え、刃を交わしたことを、誇りに思う。

 心臓を正確に貫かれていた。

 だが、鬼として進化を重ねてきたガイルザークはこれでもまだ、死ねない。

 力の源である角がある限り、時間がたてば心臓ですら再生する。


「……首を刎ねるがよい……貴様にはその資格がある――」

 

 角と胴体が切り離されれば流石のガイルザークも死ぬだろう。

 元々、あの日死に損なった命なのだ。

 戦場での敗者は、潔く死ぬべきであろう。

 願わくば、この命を持って――復讐の連鎖に終止符を。


「――――」


 少女は無言だった。

 片腕を失ってなお、その闘志に揺らぎはない。

 その刃が振り上げられ、ガイルザークの首に吸い込まれるように迫り――


「なっ――――」


 ――ガイルザークは少女を突き飛ばしていた。

 全ての光景が止まったかのように、ゆっくりと、流れていく。

 驚愕する少女の瞳、叫び声を上げる副官の声、兵士たちの喧騒と悲鳴、そして刻一刻と迫る体を押しつぶすような衝撃。


(――――今、お傍に……)


 そして――ガイルザークの意識は永遠に失われた。










 

 森が悲鳴を上げるようにざわめいた。

 生き物という生き物はその存在を前に、一斉に逃げ出し姿を消す。そんなざわめきを伝える音が鳴ったのだ。

 それが顕現すると同時、仄暗い翳りを纏う魔力の奔流が空を覆うように立ち昇った。

 先のない無を表すかのような暗い魔力は、ナハトのものとは全く違う。

 

 それは敵意の塊だった。

 どす黒い魔力が、一瞬にして世界を覆い、混乱する戦場の全てを飲み込んだ。


 変わり果てた戦場に、  

 

 声はせず、


 音はならず、


 ガイルザークを見えない何かが押し潰していた。


「うふっ――」


 骨が砕け、肉が抉れ、人の形をしていた何かが刻一刻と潰れていく音に入り混じり、愉快そうな笑い声が確かに響いた。

 底知れぬ邪気を含む音だった。

 

 見ればそこに女がいた。

 泣いているような、啼いているような、それでいて笑う仮面をつけた魔導師がガイルザークを踏み躙っていた。

 もしも、ガイルザークがシルフィーを突き飛ばさなければ、あの場所で共に肉塊と成り果てたことだろう。


「――うふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、これはこれは――――まあまあ、皆様お揃いのようで――」


 恐怖は、無常に伝播する。

 動かぬ死体を嬲っているとは思えないほど明るい声色で不気味な仮面はけたたましく笑う。


「グッドタイミングという奴でございますわね――呪いの方も綺麗さっぱり――あらあら、まあまあ、本当に、何があったというのやら――使えない総大将もこのざまですし、はぁ……これだから下等生物は使えませんわ」


 何故。

 どうして。

 ここにいる。

 いや、そもそもお前は何をしている。

 この場所にいる全員が予期せぬ事態に取り残され、硬直していた。

 

「てめぇ……! 俺たちの大将にっ――! なにしてくれやがんだぁあああああああああああああああっ!!」


 ただ一人。

 怒りに囚われたジンを除いて。


 大地を踏み抜き、膨張する筋肉に支えられた金棒が全てを薙ぎ払うべくと轟音を鳴らして振るわれた。

 だが――


「五月蝿いのでございますわ」


 仮面の魔導師は激昂し迎い来るジンに視線すら向けていなかった。

 まるで存在そのものを無視するような態度のまま、小さな手を軽く振った。

 それは、肩にかかった埃を払い除けるような仕草に見えた。

 ただ、なんとなく。

 傍にあったゴミを払う。

 そんな、小さな動作で――


「か――! かはっ――――!!」

 

 ――ジンは瞬く間に吹き飛ばされ、結界の外周にめり込こんでいた。

 それは最早、戦闘ではなかった。

 蹂躙とも何かが違う――その魔導師は家畜を屠殺するかのように手を下しただけなのだ。


「…………何故、お前がここにいる……! 仮面の悪魔っ!」


 シルフィーが苦悶の声を吐き出した。

 レイドボス級モンスターにはある移動手段が例外的に存在する。

 リアルワールドオンラインには殆ど存在しなかった空間転移という裏技を、彼らは限定的に扱えた。


 それが、帰還リターンである。

 予め定められた地点にレイドボスが移動するそのシステムは、言わば安全装置のようなものだった。

 強力なレイドボスが、何らかの方法によって専用マップを抜け出たり、著しく領域をはずれた場合、出現ポップした場所に帰るように設定されていたのだ。


 だけれど――もしもそれを故意に使うことができるのならば、己が残滓を残した場所に帰還することもできるだろう。


「それはまあ、帰還するのに門を使うのは当然でございますわね――流石のあたくしも魔大陸まで飛ぶのは些か煩わしいのでございます――」


「貴方はっ! 魔族軍の――我々の味方のはずじゃ――なのに、なんで…………」


 その悪魔は、歪んだ仮面の奥で、フィルネリアの言葉を笑う。

 出来の悪い教え子を笑うかのように。


 フィルネリアにとって、仮面の魔導師とは魔王の側近であると同時に魔族の過激派――人間を全て駆逐するべき、人間は劣等種だと考え、行動している存在という認識があった。実際、間違いなく彼女は好戦派であり、魔族至上主義を掲げる同族のはずだ。

 だからこそ、人はともかく魔族としては頼れる仲間であるとそう思っていたのだ。

 なのに、仮面の魔導師はこの場の責任者であったガイルザークを容赦なく殺し、ジンをゴミのように扱った。


「うふふふふふふふふふふふ、あは、あはははははははははははは、あっははははははははははははははは!」

 それが笑いながら手を振った。

 すると、大地がへしゃげ傍に集まる魔族が一切の抵抗もできないまま潰れて肉塊へと成り果てた。


「この、あたくしが、仲間? いったい何処まで笑わしてくれるのでしょう」


 価値のないゴミを見下げるような仕草だった。

 魔族軍の魔導師は、魔族なかまを容赦なく潰して、引き千切る。


「――うふっ――くだらない演技を続ける必要ももうありませんし、目的は見事に達成されました! あたくしに指図しやがりましたゴミもこの様でありますし――皆様は、どうぞご安心して死んでいってくださいませ」

 それは最早、抗えぬ恐怖であった。

 理性は告げる。

 戦えと。

 抗えと。

 だが、本能が拒絶していた。

 身体は微塵も動くことがなく、地に膝をつき震えながら、助けて、と命乞いの言葉がポツリポツリと響いていった。


 最早魔族もエルフも関係がなかった。

 存在としての格が、まるで違う。

 本性を剥き出しにしたそれを前に、我々は皆等しく供物であることに代わりがないと理解させられたのだ。


「うふっ――うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ――」


 その様を楽しそうに、嬉しそうに、愉快そうに、腹の底から笑っていた。

 だが、唐突に――


「――楽しそうだな」


 冷や水を浴びせるような静かな声が空より降った。

 愉悦に浸っていた仮面がぐんにゃりと歪む。


「――なんですの、あなた……いったい、何者でございますか?」

 

 不愉快を隠そうともしないそんな声だ。

 敵意は一層激しくなるが、ナハトはまるでそよ風を受けているかのように気にも留めない。

 それどころか、口元には押さえきれぬ歓喜を表すかのような獰猛な笑みさえ浮かんでいた。


「な……ナハト……お前……」

 呆然と、シルフィーが震える声で、そう零した。


「そう言えば、お前に名前を呼ばれたのは初めてだな、シルフィー」


 ナハトは笑う。

 そして告げた。 


「悪いがこいつは、私の獲物だ」








 突如として歪む空間を、ナハトだけが正確に知覚していた。

 レイドボスには帰還リターンという特殊な移動方法が存在する。

 だから、ナハトは常にそれの出現を警戒していた。

 

 そもそもこの場所はナハトにとっても少し異常なのだ。未踏の七に数えられる世界樹ユグドラシル、その苗木のような世界樹と精霊ルル、それに加え、ゲーム時代にさえ見たことのない空間を繋ぐ不可思議なゲート

 

 リアルワールドオンラインに空間跳躍テレポートといった移動手段は殆ど存在しない。それらは、広き世界を旅する上で反則手とも呼べる代物だからだ。

 例外的に存在していたのは、神の領土である天上界へと通じる天空門、逆に悪魔が堕ちた地底の底へと繋がる無の穴、ギルド領土を繋ぐ信頼の扉、そして世界のルールすら捻じ曲げる究極宝具アルティメットアイテム、それくらいだ。

 

 だから、この場所が価値のあるものだとナハトは確信していた。

 それこそ、ナハトの怨敵が現れる可能性は十分にあった。大方、ガイルザークに生命の印ライフシールを仕掛けておいて、それなりに窮地だと理解した上で帰還リターンを使用したのだろう。

 

 相手は百二十レベルを超えるレイドボスであり、まず間違いなくナハトと同じくこの世界の外側から招かれた存在である。一瞬で、誰にも気取られることなく戦場に現れるなど容易いはずだ。


 だからこそ、それの出現に際し、ナハトはシュテルとアイシャの安全を絶対的に確保する必要があった。


「……ぅぅ……すーすーしますぅ…………」


 魔力を使いきったアイシャは指先一つ動かすこともできないまま、ナハトに抱えられていた。

 ガイルザークがアイシャへと放った攻撃は致命的な一撃であった。

 竜魔法ドラゴンマジックを使ったアイシャは身動きも取れないまま、その一撃を受ける他なかった。アイシャも咄嗟にかぼちゃパンツを使用して南瓜頭の小悪魔パンプキンデビルを盾にしたが、それでも攻撃は貫通し、防具を打ち抜き、アイシャの腕輪が爆ぜるその一歩前に、ナハトがアイシャを抱えて空へと飛んだのだ。


「あの者は、最後の最後で私に勝ったと言えるな」


 直接戦闘に手を出すつもりはなかったが、これは間違いなく直接的な干渉であった。


「ぅぅ……ごめんなさい、ナハト様……」

 

「――なに、アイシャが負い目を感じる必要はない、これはアイシャの身を案じた私の我侭だからな」

 ナハトの助力などアイシャは必要としてなかっただろう。だが、それでも火竜の時のトラウマがナハトの体を突き動かしていたのだ。

 ナハトはアイシャを抱える手を、名残惜しそうに離し、


「レヴィ――」


 と、一言告げる。

 

 シュテルの傍にいたはずのレヴィがナハトのすぐ傍に現れ、主の意図を先読みするレヴィがアイシャを受け取った。


「ちなみにあれ、僕に譲ってくれる気は?」


「またの機会まで我慢しろ――あれは私の獲物だ」


 言うや否や、ナハトは崩壊を齎す原初の闇に袖を通した。

 空に浮かぶは七つの宝玉。 

 戦闘衣に身を包み、全力での戦闘にナハトは備える。


「あ、あの――ナハト様――」

 レヴィに抱えられたアイシャが心配そうにナハトを見ていた。

 考えがぐるぐると回っているのかアイシャはしどろもどろに頭を捻る。魔力も体力も使い果たしたアイシャが、今、この瞬間にできることを必死に考えているのだ。

 やがて二人の視線が交差して、アイシャは小さく口を開く。


「――いってらっしゃいませ」

 静かに、アイシャはそう言ってナハトを送り出した。

 そのたった一言で、魂の底から無限に力が湧き上がってくる。


「ああ、行ってくる――」


 そして、アイシャに背を向けて、ナハト一人戦場に降り立った。


「悪いな、シルフィー――」


 ナハトの唐突な謝罪を、シルフィーはまるで理解できていない。

 その疑問に答えるかのように、


「――少し、森が無くなるが我慢してくれ」


 刹那、世界が、軋むように悲鳴を上げた。

 その場に区切られた空間とも呼べる場所が、周囲に満ちた魔力圧に堪えかねて、震えるように泣き声を上げたのだ。


 反応できたのはただ一人。

 目の前で、ナハトを確固たる敵と認識した仮面の魔導師が即座に対応しようと魔法を発動させるその一瞬、


 ――龍の波動が、駆け抜ける。


「っ――!」

 

 根源的な力の差、それがほんの一瞬、零コンマ一秒にも満たないほんの僅か、常人では気づくことさえできない微かな時間、仮面の魔導師の魔法を止めた。

 ナハトはただ殺意の篭る笑みを浮かべた。


 ――技能スキル、幻想龍――千龍の契り――龍撃魔法――


「――暴風龍の死と破滅テンペストデストラクション


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