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姉妹喧嘩

 万雷の拍手が、地霊大社に向かって響いていた。

 音の津波とでも表現するべき歓声が押し寄せ、熱狂をあげる人々の視線がただ一人の少女にだけ注がれている。

 それをヨゾラは、受け止める。

 怯むことなく、真っ直ぐと。


(愛すべき民たちは、こんなにも弱い)


 彼らは皆、巫女に祈る。

 一年の平穏を。

 変わらぬ山の恵みを。

 隣人の安全を。

 己の幸せまでも。

 

 与えてください、と祈る。

 己の手で掴もうと必死になっても、掴むことが難しい、そんなものを無責任に巫女へと押し付ける。


(まあ、そうしろと命じているのは私たちなのかもしれませんが――)


 武家の庇護を受けるということは、強くあること、を奪われることと言い換えることができる。

 平穏を与えられる、ということは、少しずつ、少しずつ、己を弱くしてしまうものなのだ。


 危険、と向き合うことを止めてしまうから。

 何時しか、己はそれとは関係ないんだと、無関心を貫いてしまうから。


(彼らは理解しているのでしょうか――今日を生きられるということが、何よりも得難い幸福であるという事実を)


 彼らを危険から切り離し、事実を隠して、弱く生きさせたのは武家の仕業だ。

 だからこそ、武家には民を守る義務がある。

 彼らが弱い分だけ、私たちが強くあらねばならない。


 民に背を向け、ヨゾラは舞台の上からゆっくりと立ち去る。

 ヨゾラを労う巫女見習いたちの合間を抜け、受け取ったタオルで汗を拭い、一人になった所で、ようやく一息ついた。


「うん、まずは……うまくいった」


 ヒユキの代わりに舞った神楽は盛況だったと言っていい。

 民たちは姫巫女ヒユキに向けていた信仰を、巫女であるヨゾラにも捧げてくれていた。

 これならば、力不足になる、ということはまずないだろう。


(神教の上役も、武家のお偉方も大祭の延期を良しとはしないはず――)


 たとえコノハが手を回そうと、何れは彼らがヨゾラに懇請してくるはずだ。


「後はただ、武家の使命を果たすのみ」


 ヨゾラは一人決意を新たにしたつもりだったのだが、


「そんなに~、肩肘を張っちゃうとー、いざって時に疲れちゃうよ~、ヨゾラちゃん」


 のんびりとした声が、ヨゾラの独白に混ざりこんできた。


「っ! いらっしゃったのなら、一声くらいかけてくださいませ、ハルカ様」


「え~、だから~、い~ま~、一声かけたじゃん」


 そんなハルカの声に、ヨゾラは少しだけ表情を硬くする。

 ぼんやりとして、惚けていて、人を食ったように笑う元姫巫女、ハルカ。

 正直に言えば、ヨゾラは彼女が苦手であった。


 実直で、武家の教えに傾倒するヨゾラ。一方で、不真面目で、独自の態度を崩すことのないハルカ。

 気が合うとは到底思えないし、仲良くなりたいとも思っていないが、それでもヨゾラはハルカに敬意を抱いている。


「いい感じに~、盛況だったね~。かわいかったよ~、ヨゾラちゃんのダンスー」


「神楽です」


「え~、おんなじようなものじゃん」


「違います! 貴方は武家の伝統を一体なんだと思っているのですか! 神楽は巫女が舞う伝統的な――」


「あはは~、分かってるって~、そう怒んないでよー」


「っ! 貴方という人は…………」


 武家の伝統を、なんとも思っていない人。それどころか酷く馬鹿にしたような態度を隠そうともしない人。そんな人間をヨゾラが好きになれるはずが無い。

 だけど、それでも、彼女は彼女の考えを否定させないだけの結果を残した。

 その結果の前には、ヨゾラでさえ口を噤むしかない。


 神願祈祷術式を制御し、大祭を成し遂げ、和の国の海に平和を齎した誇るべき偉人。その代償に、かつて天才と持て囃された魔法の全てを失い、その身に癒えぬ傷を刻んで――それでもなお、笑い続けることができるのがイズミ・ハルカという少女なのだ。


「ハルカ様は…………私が大祭を務めることに、反対でしょうか?」


 ヨゾラは聞いた。

 元姫巫女で、大祭を勤め上げたハルカが持つ影響力は大きい。

 彼女がヨゾラを認めてくれるのなら、今日日付が変わる瞬間にでも、大祭を執り行なうことができるだろう。

 期待と不安。

 その両方が入り混じる視線で、ヨゾラはハルカを見つめた。


「別に、反対じゃないよ」


 重々しい空気の中、ハルカは言った。


「っ! それじゃあ――」


「うん、別に私は反対しないよ。でもね――」


 ハルカの瞳が、悲しげな瞳がヨゾラを見ていた。


「――誰も役目を果たすべきなんかじゃない、って私はずっと思ってるよ」


「そんなことは不可能です! 誰かが使命を果たさねば、和の国は――」


「わかってるよ、理想論だって。大祭は誰かが必ずやらないといけないことだった。だから、私がやったんだもん――もしもそれが、誰かがやらないといけないことで、避けることができないものなら、一番やる気がある人に任せるべきだよね。だから、うん、ヨゾラちゃんが大祭を執り行なうのに反対はしない」


 ハルカの威圧さえ含むような言葉に、ヨゾラは気合を入れ直す。

 ゆっくりと息を吸い込み、全ての緊張を吐き出した。


「では、此度の大祭は私、巫女ヨゾラが執り行ないます。ハルカ様、一緒に来て、いただけますか?」

 重く響くヨゾラの声に、


「うん、いいよ~」


 ハルカは軽く返事を返す。


「でもね~、ヨゾラちゃん」


 ハルカは笑う。

 そんなヨゾラの苦手な笑みが、何故か一層タチの悪いものになっているような気がしてならなかった。


「先に謝っとくね、多分だけど――もう、私たちが思っているとおりになんて、物語は進まないんだと思うんだよね……」


 苦笑を浮かべてそう言うハルカに、ヨゾラは小さく小首を傾げたのだった。












 地霊大社の拝殿、その奥にひっそりと存在する山深き場所。

 四方を守る護符が成す、結界の中に隠されたその場所に、地霊大社、その本殿はある。


 木々が乱雑していたであろう山の一角が、広く広く切り開かれていた。

 地霊大社の本殿には、たった一つの空間だけがある。

 荘厳とした建築物も、言ってしまえばただの飾りに過ぎないのだ。

 直径数十メートルにも及ぶ巨大な魔方陣を包む儀式場こそが、地霊大社本殿の本質である。


 ヨゾラとて、無意味に足を運べる場所ではない。ここは、和の国で最も不可侵を強いられる場所の一つと言って良いだろう。

 だから、地霊大社の本殿、その前に立つ男にヨゾラは息を呑んだ。


「ケンセイ様、それに、お母様も、来ていただけたのですね」


「ほっほっほ、ヨゾラちゃん、それにハルカちゃんもよく来てくれた」


 ケンセイは鋭い眼光に似合わない、優しげな笑みで二人を迎えた。

 その横には、神妙な面持ちで、ヒイラギの当主代理コノハが佇んでいた。


「ハルカ様のご協力もあり、この通り――神教の意思は統一されました。此度の大祭、姫巫女ヒユキの代わりに巫女ヨゾラが務め上げます。よろしいですね、コノハ様――」


 そう、ヨゾラが言うと、


「――ええ、好きにしなさい」


 と、母は何の抵抗も無く受け入れたのだ。

 ヨゾラは少しだけ訝しんだが、それ以上に大きな達成感が安堵を生んだ。


「では、儀式上に――」


 そう言って、進もうとするヨゾラをケンセイがやんわりと遮る。


「まあ、待ちなされヨゾラちゃん。まだ、来ていないものがおる故に」


 そう言われて、ヨゾラは首を傾げた。

 役者は既に揃っているだろう。

 大祭を務める巫女ヨゾラ、神教の代表として元姫巫女であるハルカ、地霊祭並びに大祭の最高責任者であるコノハ、そして儀式の執行を見届ける将軍家の先代将軍ケンセイ。

 これ以上、他に誰が必要なのか。

 そうヨゾラが思っていると、おもむろにケンセイが空を見上げた。

 そんなケンセイにつられて、ヨゾラも空を見上げると、そこに流れる星を見た――


「――――――ぁぁああああああああっ! 高いっ、高いっ、高いっ、高いっ! し、ゅ、ゅ、ゆゆゆ、シュテルちゃん、離さないでね、絶対離しちゃダメなんだからねっ!!」


「フリですか?」


「そんな命がけのフリしないっ!!」


「冗談です」


 ――流れる星が如く光を纏った二人の人間が、空を駆けて、降ってきたのだ。


「はい、到着です」


「…………ぅぅう……もっと安全な道でよかったじゃん……ていうか、ここ何処……? って、あれ? ヨゾラ……? っ! ヨゾラっ! なんでこんな所に、ってあれ? ここ、地霊大社?」


 空を走る恐怖心も覚めやらぬヒユキは、状況を飲み込めていないのだろう。

 だが、それはヨゾラも同じだった。

 気がつけば、囚われているはずのヒユキが幼女と一緒に空から降ってきたのだ。理解しろというほうが無茶である。


「どうして、お姉様が…………」

 震える声でヨゾラは呟く。


「ちょっと、ヨゾラっ! 何してくれるのよほんと! いきなり睡眠薬とか、あんた正気なのっ! 仮にも私はあんたの姉なのよ!」


 一息に捲くし立ててくるヒユキにヨゾラは戸惑うばかりだった。


「……さ、さて、何のことでございましょう。お姉様が何処に行っていたのかは存じ上げませんが、もう既に大祭のお役目は私に――」


 そう口にしていたヨゾラに、ヒユキが近づく。

 そして、


「っぅ――!」


 容赦のない拳骨がヨゾラを襲った。


「何をしますのっ!」


「私を誘拐した罰」


「そんなのは知らないと――」


「それと、ハンゾウに責任全部押し付けようとした罰よ。あんたの我侭のために命を捨てようとした人がいて、なのに勝手にやったことだから知りません、全部その男が悪いんです、なんて主張するつもりならもう一発殴るわよ?」


「…………」


 ヒユキの言葉にヨゾラは沈黙する。

 それでも、彼女の言葉を肯定することはできないのだ。彼女の言葉認めるということは、ハンゾウが捧げてくれた忠義を無駄にすることと同義だから。

 ヨゾラは意地でも、無関係を装わなければならない。


「今更やってきて、部外者まで連れ込んで、ご苦労様なことですが――お姉様の役目はもうありません。ですのでご安心して、見学してくださいまし」


「大祭は姫巫女である私が務めます。ヨゾラは邪魔だから引っ込んでて」


 ヒユキとヨゾラが火花を散らす。


「何で今更戻ってくるのよ! あんた嫌がってたじゃん! これは武家がなすべきことなの!」


「口を開けば武家武家、武家武家、うるさいのよっ! 自己犠牲に陶酔するような人に危険な役目を任せられるわけないでしょ! 実力不足で選ばれなかったくせに今更しゃしゃり出てくんなっ!」

 

「っ! 人がせっかく守ってあげるって言ってるのにっ! どうして、この、分からずや!!」

 気がつけば、感情のまま叫んでいた。

 ヨゾラは武家の娘だ。だがそれでも、個人としての強い感情だってある。ただ蓋をして、押さえつけているだけなのだ。

 両親を亡くして、孤児に落ち、無理やり姫巫女にされた哀れな姉。誰も、誰一人として、本当の意味で彼女の味方はいなかった。

 

 だから、

 

 だから、私が守ろうと、そう決意したのに。

 彼女はヨゾラの手を取ってくれない。

 

「なんだ……やっぱりあんた、私のことを助けようとしてくれてたんだ」


「…………なによ、悪いっ!?」


 苛立たしくて、腹立たしくて、悲しくて、叫ぶヨゾラにヒユキは優しげに笑いかけていた。


「ううん、嬉しいよ」


 そんな、言葉と共に抱きしめられる。

 埃と土の匂いをさせる姉が、優しくヨゾラを抱きしめてもう一度。


「凄く嬉しい、ありがとう、ヨゾラ」


「…………なによ……いまさら…………」


 今更、そんな姉のような真似しないで。

 そんな言葉は口から出てはくれなかった。


「私が弱いからヨゾラを不安にさせちゃったんだよね。ごめんね、頼りないお姉ちゃんで」

 

 強がる自分が恥ずかしくなるような言葉をヒユキは言った。

 違う。

 突き放すようなことを言ったのは自分だ。姫巫女の座を得るために散々暗躍したし、心無い言葉を嫌というほど突きつけた。


「でももう大丈夫だから。いろんな人が支えてくれてるって分かったから、私を大切に思ってくれている人がいるって気がつけたから、私は頑張れるから――だから、守って見せるよ、ヨゾラのことも」


 そこに、ヨゾラの知っている姉はいなかった。

 民のために血を流すことを厭い、武家の宿命に不満を漏らし、逃げ出せたらなと思いながら苦しむ姉はもう、何処にもいなかった。

 ヨゾラが守ろうとした、何の覚悟も持たない、弱い姉はどこにもいない。

 だけどそれは、姉を、民の一人を、守らない理由にはならない。


「私は――」

 そんなヨゾラの口を、ヒユキの指が塞ぐ。


「大丈夫、全部お姉ちゃんに任せなさい」

 

 無理やり姉に納得させられそうになったそんな時。ギィィっと、古めかしい扉が開く音がした。

 

「――盛り上がっている所に水を差すようで悪いのだが、既にお前たちが姫巫女の使命を果たすことは不可能だ」


「「はあ!?」」


 誰も立ち入っていないはずの扉が開かれて。


 現れた人間は、同じ種族であるという事実を疑いそうになるほどに、完璧で、完成された容姿を持った少女であった。

 

「ママっ! ちゃんとヒユキお姉ちゃんを助け出しました! 褒めてください!」


 ヒユキの傍にいた子供が、勢いよく飛び出して少女に頭を擦り付けていた。

 驚愕と疑問が言い争いをしていた姉妹の言葉を奪った。

 子供の頭を撫でる少女が、立ち入り禁止の地霊大社本殿から現れたというのに、ヨゾラとヒユキ以外、誰も驚いていないし、咎めようとさえしない。


「あ、貴方は何者ですかっ!? ここがどのような場所か知っての狼藉ですか! いやそれよりもさっきの言葉はどういう意味なのですかっ!?」


 自分は至極当然の糾弾をしたつもりだった。

 なのに、ケンセイや母、ハルカまで、何故かヨゾラに同情的な視線を送ってくるのだ。

 混乱の極地にいるヨゾラに、少女は一切の容赦なく追い討ちをかける。


「ふむ、分かりやすく言うのならば――お前たちの術式の制御権は既に私が頂いた。返して欲しくば、素直に私の言うことに従うがよい、と言った所だな」


 そして少女は精巧な顔を歪めて、悪魔のように笑ったのだ。

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