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様子を見ながら段階的に『慣らす』という意味で、実験はひとまず週三回の昼食というごく短時間の集団行動から始められた。
食堂は特別医療棟の地下にある大部屋が使われることになり、そこで一六名の患者が班ごとに揃って食事を摂る。患者たちの自主性を重んじるため、配膳は週ごとに担当する班を変える学校の給食方式で、その後の片づけや清掃作業などは全員で行うことにより奉仕の精神を学ばせるのだ。
危惧されていた個室から食堂への移動方法も、存外にあっさりと片が付いた。
真土の他、プロジェクトの担当官がまず班長として選ばれた患者を迎えに行き、それから班員たちを一人一人加えていくという形でスムーズな移動を可能にした。
移動には当然、完全武装した十名からの見張りがついたが、班長たちはそんなものでは眉一つ動かさない連中である。威圧としての効果は薄かったが、彼ら自身が多かれ少なかれプロジェクトに協力的だったため問題は起こらなかった。比較的人格と精神が安定しているだけではなく、彼らも本心では退屈していたのかもしれない。
必ずしも従順というわけではなかったが、班長たちが目を光らせている中、脱走や反抗といった行動に出る患者もまた皆無だった。
移動の例でも顕著なように、まずわかったのは、D感染者たちが必ずしも好戦的ではないということだった。〝D〟は他の〝D〟に対して過剰なほどに反応するが、それはあくまで反射に近い機能であり、明確な敵対意識がない限りは衝突することはなかった。
自分以外の〝D〟を初めて見る者たちもいて、最初は驚き恐怖する者もいたが、相手に敵意がないことがわかるとすぐに落ち着いて、以降はすぐに慣れたようだった。
そしてもう一つ――七奈の存在である。
四人の班長およびその頂点としての団長を選抜するにあたって、真土は真っ先に七奈を推薦し、それは本人の了承もあってなし崩し的に決定した。彼女をして一種のカリスマと評した真土だったが、他の班長たちからも反対が出ることはなかった。
班長以外の患者たちはコミュニケーション能力が平均的に低く、自閉症のようにほとんど自分から喋ることのない者も多くいたが、そういう者ほど七奈や他の班長たちに対して従順だった。何も言わず黙々と従う――そんな者たちの方が圧倒的に多く、それはただの人間同士にもある距離の取り方と同じ、とみることもできたかもしれない。
あるいは、これまで成果を出せていないとされていた玲子の治療が、少なからず効果を発揮していたのかもしれないが、そこはあまり考慮されなかった。
とまれ、一部例外は存在しつつも、少なくとも表面上は目立った問題もないまま、七奈を中心とする集団行動はうまく機能していた。
が――実験が二週目に突入したその日、ちょっとしたアクシデントが起こった。