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ディオニュソスの楽園  作者: SOA
始動
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 まずは集団生活に慣れることが基本だという主張は、おおむね間違ったことではない。

 だがそれは一般論であり、特別医療棟の患者には当てはまらない。喩えるならば、虎やライオンといった猛獣同士の食事を同じ檻の中で行うようなものだった。

「猛獣じみた力をもつというだけで、彼らは人間です。人間には理性と知性がある。病によってその部分に障害がある、あるいは歯止めが効かない者も当然いるでしょうが、だからといって個室に閉じこめたままでそれが完治するとでも? 逆です。無理にでも共同生活を送らせることにより『規律を守る』という基本を学ばせ、思い出させることこそが肝要なのです」

 正論だった。ぐぅの音も出ないほどに。

 実際、クォーター制による一年を四期に分けた研究所の成果は、今期も限りなく0に近い。この一年のみならず、研究所創設からずっと治療成果は何も上がっていないのが実情だ。それを理由に現状の治療方針が間違っていると指摘されることは、もはや避けられないことだった。

 だが、それをわかっていてもなお彼女――国木田(くにきだ)玲子(れいこ)は認めるわけにはいかなかった。

「真土くんの言いたいことはわかるよ。だけどね、彼らに『規律を守らせる』ためのものがない。一般社会で人が法律を守るのは法的拘束力とわかりやすい刑事罰が伴うからで、そうでなければ誰も法律なんて守らないよ。その点を真土くんはどう考えているわけ?」

 研究所内、研究棟五階の一角にある会議室。

 来年度より始まる次期の治療方針についてのディスカッションには、主任である玲子を始め複数の研究者と医師たちが参加していた。

 真土は今年になって研究所に配属されてきたばかりの新人ではあるが、帝国医科診療大学病院の息がかかった生え抜きであり、年齢的にも玲子より上だ。

 日本の医療の中心を自負する大学病院がD研究に乗り出した、その先兵が真土であり、温和なふうでいて事あるごとに方針に口出しをしてくるのは今に始まったことではない。実質的にD研究の第一人者である玲子に対する圧力は日に日に強まっており、今日もディスカッションの開始早々に新たな方針を打ち出してきた。

 真土の言葉は正論でこそあれ、D症候群治療の現実とは乖離(かいり)したファンタジーである――と一蹴してしまいたい気持ちを、玲子はぐっと我慢する。

 このD対策研究所の元締めは国だが、その国が送り込んできた帝国医大のエリート様を邪険に扱うことは、玲子であってもできることではなかった。

「そう、現在まで彼らには抑止力たり得るものがなかった。けれど、それは集団生活の中でこそ生まれると僕は考えています」

「自然に抑止力が生まれるって? どういうことさ?」

 真土はニヤリとした笑みを浮かべ、自信ありげに答えた。

「簡単なことですよ。集団にはすべからくヒエラルキーが存在するものです。人間的な道徳心や欲望の抑制機能が衰えた者ほど、単純な能力差による階級は絶対となる」

 玲子は思わず目を見開いた。

「……まさか感染者たちに殺し合いをさせるつもり? いくらなんでも冗談がすぎるよ」

 眼鏡の奥の目をきつくして語感に怒りを滲ませると、真土は大仰に肩をすくめてみせた。

「そんな危ないことさせるわけないじゃないですか。いいですか、たとえばデザートのプリンが一つ余った時に誰が食べるか? そこで彼らの中にちょっとした『勝負』の概念が生まれればいい。元より、じゃんけんで勝ち負けを決められるような連中ではないのだから、殺し合いにならない程度の『力比べ』をさせる。そこで勝者と敗者が生まれるわけです。敗者は当然、勝者にプリンを譲らなければならない。それが規律を守る第一歩となるわけです」

「話にならないね。そんな方法、禍根(かこん)を残して後々余計な厄介事に発展する可能性も充分に考えられるよ」

「そうはなりませんよ。敗者はじゃんけんに負けたわけではなく、実力で負けたのですから。単純な力の上下関係がそこにはあって、その単純さこそが重要――肝なのです。『こいつに逆らうとまずい』という恐れ――それが抑止力となる」

「……仮にそれが正しいとして、それじゃ勝者はどうなるの? 頂点に立った人物が、他の全員を恐怖で支配するようになるよね。最初からプリンを全部そいつが独り占めしちゃったら、規律も何もないじゃん」

「それも簡単なことです。一対一でかなわなくても、二対一ならばどうですか? 三対一、あるいは十対一なら?」

「――なるほど」

 感心したように頷いたのは、会議机の末端に座すフォーマルなスーツ姿の美少女である。他の参加者がすべて白衣姿であることだけでなく、年齢的にも一回り以上幼い彼女の存在はかなり異物的だった。

 石動(いするぎ)紗羅(さら)・ベルヴァルト――彼女はれっきとした警察官である。もっとも、見た目も普通でなければ〝D〟専門の部署に属するという点でも異端中の異端ではあるが。

「その考え方はおもしろいな」

 異端の感心を惹いたことに興がのった真土は、さらに熱弁を振るった。

「そうでしょう。集団生活は幾つかのグループに分けて、班長的な存在として一名を選出する。班長を中心としたグループ行動および連帯責任を課すわけです。さらに班長たちの中からもトップを選出する。その者が実質的にナンバーワンですが、あくまでも象徴としての役割に過ぎないわけです」

「ふむ。トップといえど、他の班長たちが結託すれば地位は危ういし、班長といえど他の班員たちが結託すれば同じ。誰にも絶対的な恐怖による支配を行う余地はなくなるということか」

「その通りです。さすが紗羅警部はわかっていらっしゃる」

 真土からわざとらしい爽やかなスマイルを向けられても、紗羅は表情を変えることなく、むしろ相手を遮断するように瞼を閉ざした。

「だが、実現性については私も懐疑的だ。真土博士の案はたしかにおもしろいとは思うが」

 プライベートでは友人関係にある玲子を(おもんぱか)ってか、紗羅はそのように言葉を締めた。職種は違えど、彼女とて研究所に頻繁に出入りする関係上、大学病院と研究所古参のメンバー間の確執はある程度把握していた。

「必ず実現しますよ。次期クォーターは年明けからさっそく段階的な実験を開始したいと考えています。ただそのためには、国木田博士の承認が必要ではあるのですが」

 真土は余裕に満ちた笑みを渋面の玲子に向ける。ディスカッションの内容はすべて記録されており、明確な反論もなく頭ごなしに否定することはできない――真土はそれをわかっている。

 しばらく黙した後、玲子が口を開いた。

「……真土くん、ここ最近よく七奈ちゃんに面会してると思ったら、その集団生活とやらを想定した上で根回ししてたんだね」

「ええ、その通りです」

 初の面会以来、足繁く見舞いに通い、菓子や焼き芋などの差し入れを届けるだけでなく、少女の話し相手になったり勉強を見てやったりと、真土は精力的に献身していた。

 一か月が経過し、打ち解けてくれたのかまではわからないが、少なくとも少女がだいぶ自分に慣れてきたという手応えはあった。なにより『協力』の件について、「まあ、べつにやってもいいけど」という言質(げんち)を取れたのが大きい。それがあったからこそ、彼は今日のディスカッションで性急とも思えるプランの打ち出しを行ったのだった。

「これまで特別医療棟の全員と面会はしていますが、僕の見たところ断トツなのが彼女です。さすがレベル5といったところですか。彼女ならばきっと僕の思い描いたように他の患者たちを統率してくれるはずです。知性も高く、恐ろしいほどに強く、なによりも美しい。一種のカリスマですよ、彼女は」

 悪びれたふうもなく言ってのける相手の言葉に、玲子は大仰に溜息をついた。

「えらく心酔してるようだね。真土くんてロリコンだったんだ? 患者に手出さないようにね」

「ハハハ。どちらかというと憧れですから。――で、どうでしょうかね、僕の計画。もちろん主導は僕がとりますので、国木田博士や他の方々のお手を煩わせることはありませんよ。あなた方はこれまで通りの研究を進めるかたわら、この新しい試みによってさらに多くのデータを得られることになる。けして悪くない話だと思いますがね」

 主導をとることが最初っからあんたの狙いでしょう、という言葉を玲子は飲み込んだ。同席する他の面々も、表立って大学病院を敵に回すことなどするはずもない。

 玲子としては、べつに主導を取られること自体は、どうでもいいのだ。それが本当に病魔の完治へと繋がるのならば、だが。

 患者たちの安全性と、真土の真の狙い――その実験の先にある『重度感染者たちの社会復帰』という壮大な計画こそが、引っかかっていた。無論、それは玲子もいずれ乗り出さなくてはならない大きな課題だったが、あまりに時期尚早に過ぎるように思えたのだ。

 沈黙を破ったのは、紗羅だった。

「待て。実現性の問題についてまだ疑問が解消されていない。そもそもグループの班長、および班長たちのトップ――仮に『団長』と呼ぶが、その者を最初にどうやって決めるつもりだ? こちらで勝手に決めた上で事前に告知するにしても、素直に従う者の方が少ないと思うが」

 真土がにこやかに答える。その質問が出ることをあらかじめ予想していたように淀みなかった。

「彼ら全員の能力、資質について我々は大まかに把握していますので、班長および団長の選出にはそれほど手間取ることはないでしょう。そもそも最低限の意志疎通すらできない状態の患者は除外しますからね。すでに私の方で特別医療棟に入院している患者の中から、実験に耐えうるであろう一六名をピックアップしています。最初は彼らを四人ずつの班に分けて行動させるのがよいと考えています。一六名については、お手元の資料を見ていただければ納得いただけるかと」

 紙の資料をめくる音が室内に響き渡る。

 紗羅も玲子もリストにざっと目を通したが、それを見て反対を口にできそうなほどの穴は見つからなかった。むしろ、真土のそつのなさに舌を巻いたほどだ。

「仰る通り、実際に集団生活を始めた時、それがすんなりいくかというと、おそらく一〇〇%無理でしょう。必ず従わない者が出てくる」

 しかしそんなことは些事である、というふうに真土は自信ありげに続ける。

「ですので、初日はレクリエーション的な催しを開きたいと思います。つまり、人選に異議がある場合はその是非を問う場ですね。あ、もちろん殺し合いに発展するのはまずいんで、色々と制約はつけますが」

「従わない場合はH〇四(ヒュプノス・フォー)で強制退場ってわけ。でも全員そうなっちゃったら結局、元の木阿弥(もくあみ)だよね?」

 最後の反撃とばかりに玲子が口を挟むが、効果はまったく得られなかった。

「そうはなりませんよ、きっとね」

 結局、真土は一度として余裕に満ちた笑みを消すことはなかった。

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