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和らぎ水と、酒祭りの夜  作者: 藤崎雅也
3章: 美酒鍋
6/6

一升瓶を抱えて

月曜日から、雨が降り出した。

気象庁の発表通り、その週の月曜日に、梅雨入りが正式に宣言された。週間予報の画面の傘の列が、現実に向けて、降り始めた。月曜から金曜まで、五日連続で雨。週末にも雨。雨は、こちらの予定にお構いなく、毎日降った。

アパートの天井のシミは、雨が降り出しても、特に何も変わらなかった。

シミは、雨の日も、晴れの日も、安定して、同じ場所にあった。

六月の西条というのは、要するに、毎日雨が降っている街のことを言う。

厳密には毎日ではない。週に一日くらいは申し訳程度に晴れる日もある。だが体感的には毎日雨である。アパートの窓から見える景色は、来る日も来る日も、同じ灰色のフィルターをかけられたように曇っていて、どこからどこまでが空でどこからが屋根なのか、輪郭がぼやけている。梅雨というものは、空と街の境界線を一旦解約してしまう季節らしい。境界線が解約されると、人間の生活もついでに解約されかける。少なくとも僕の生活は、六月に入って一週間で完全に弛緩していた。

土曜日の午後三時、僕は布団の上で寝そべったまま、天井を見上げていた。

二十歳の大学生が、土曜日の午後三時に、雨音を聞きながらぼうっと天井を眺めている。これを社会的にどう評価すべきか、いまいち基準がない。健全だ、とは言いにくい。だが不健全とも言いにくい。たぶん「平均的な大学生の標準的な午後の過ごし方」という、カタログのいちばん地味なページに載っている部類である。カタログの表紙に載りたいわけでもないので、これはこれで構わない。

天井のシミは、四月に二十歳になった頃から、一ミリほど大きくなった気がする。気がするだけで、計測したわけではない。シミというものは計測した瞬間に大きさが固定されてしまう気がして、なんとなく計測していない。観測すると確定するというのは量子力学の話だが、僕のアパートの天井のシミにも同じ原理が適用されている可能性がある。されていないかもしれない。どちらでもよかった。

ピロリン、と枕元のスマホが鳴った。

LINEの通知音である。

手を伸ばす。手を伸ばすという動作にも、梅雨の気怠さがべったり張り付いていて、伸ばすのに二秒くらいかかった。スマホを顔の前に持ってきて、画面を見る。

日本酒研究会のグループ。

宮原さんの投稿が、グループの先頭に来ていた。

『今日の定例会、中止じゃけえー 飲もうと思っとった蔵元が雨で配達遅れたらしくて、酒がねえ! 仕方ないけえ、各自家で勝手に飲むこと。以上!』

……以上、で済ませるのか、と僕は思った。

日本酒研究会の定例会というのは、月に二回、土曜の夜に行われる飲み会のことである。サークル名に「研究会」と付いている割に、実態は飲み会である。ただし宮原さんに言わせると「研究のために飲んどる」のだそうで、つまり研究の名のもとに毎月二回飲んでいる、という解釈が正しいことになる。研究の対象が日本酒で、研究の方法が飲酒で、研究の発表が翌週の感想LINEなのだから、文系の研究としてはこれ以上ない直接的な手法ではある。

その定例会が、酒がない、という理由で中止になった。

酒がない研究会など、確かに開けないだろう。これが日本酒研究会ではなく日本史研究会だったら、史料がない、という理由で中止になるのと同じようなものである。本質が欠けている。仕方がない。

仕方がないが、二週間ぶりの定例会を楽しみにしていた僕としては、中止と聞いて少しだけ手持ち無沙汰になった。

少しだけ、というのが正確である。

もともと、布団の上で天井を眺めていただけの土曜日に、定例会という予定が一つあるかないかで、生活の解像度はそんなに変わらない。布団の上で天井を眺める時間が、四時間が六時間に増えるだけの話である。それを残念と呼ぶには、人生のスケジュールに余白がありすぎた。

既読をつけた。返事はしない。返事をすると会長から連鎖的にスタンプが送られてくることが過去の経験で判明している。スタンプの応酬は雨の日の体力では捌けない。

スマホを枕の脇に戻して、もう一度、天井のシミを見た。

シミは、相変わらず、僕に対して完全に無関心であった。

その時、アパートのインターホンが鳴った。

ピンポーン、という、極めて標準的な、何の感慨もない音であった。

……は?

僕のアパートのインターホンが鳴ったのは、引っ越してきてから一年半で、たぶん四回目くらいである。一回目はNHKの集金で、二回目は宅配便で、三回目は隣の部屋への誤訪問だった。共通しているのは、僕がインターホンの相手と話したい用事を一切持っていなかったということである。今回もたぶんそうであろう、と僕は布団の中で予測した。予測したが、無視するのも気が引けるので、のろのろと立ち上がって、玄関まで歩いた。

ドアスコープを覗く。

そこには、傘を畳みかけた女性が立っていた。

少し茶色がかった、長い髪。グレーのパーカー、ジーンズ、足元はスニーカー、肩には大きなトートバッグを下げている。トートバッグからは、ネギの先端と、何かの瓶らしきものの口が、ちょっとはみ出していた。

……月野さんだった。

ドアスコープの丸い視野の中で、月野さんがちょっと顔を上げて、こっちを見た。見た、というか、ドアの向こうに人がいることを察知して、ドアスコープの方角に視線を合わせてきた。完全に目が合った。ドアスコープ越しの目は、なぜか普段より大きく見える。なぜそんな仕様になっているのか、レンズメーカーに聞きたい。

「蓮くん、おる?」

と、月野さんがドアの向こうから言った。

「いますけど」

と、僕はドアの向こうから答えた。答えてから、答えるよりも先にドアを開けるべきだったことに気がついた。気がついた時にはもう一拍遅かった。

慌ててロックを外して、ドアを開けた。

雨の匂いが、廊下から一気に流れ込んできた。

月野さんは、傘を畳んで小脇に抱えて、トートバッグを肩にかけ直して、こっちを見上げて、にっと笑った。

「お邪魔します。今日、美酒鍋作るね」

「……は?」

今日二度目の「は?」である。今日は「は?」の当たり日らしい。

月野さんは、僕の「は?」をまったく気に留めず、すたすたと玄関に入ってきて、靴を脱ぎ、トートバッグからネギと、瓶と、その他もろもろを取り出して、廊下の壁際に並べ始めた。瓶はどう見ても日本酒の一升瓶であった。

「定例会中止になったじゃろ。せえじゃけ、私が作りに来た。蓮くん、台所貸してね」

台所と言っても、僕の下宿の台所は廊下の途中にあるIHコンロが一つだけの簡易台所である。シンクは小さく、まな板を置くと作業面積がほぼゼロになる。そこに月野さんが立つと、もう廊下の幅が完全に塞がれることになる。

「あの、月野さん」

「なに」

「なんで、ここ」

「日研グループに住所書いとったじゃろ、蓮くん」

「……書いてました」

「せえじゃけ、ここに来た」

完全に論理的な会話であった。情報は揃っていて、推論には無理がない。問題は、その情報を使って僕の下宿に押しかけてくる行動の方であって、論理ではなかった。

月野さんが、こっちを向いて、片手で一升瓶を持ち上げて見せた。

「美酒鍋知っとる?」

「いや、知らないです」

「ほいじゃあ、教えてあげる。今日の主賓は蓮くんじゃけえね」

主賓、と言われた。

主賓と言われた覚えのない主賓は、玄関に立ったまま、まだ事態の半分も飲み込めていなかった。飲み込めていないうちに、月野さんはもう台所のIHを点けて、まな板にネギを置いていた。

雨は、まだ降っていた。

窓の外で、灰色の空が、ぼうっと、こちらを覗いていた。

美酒鍋というものを、僕はその時まで本当に知らなかった。

知らなかったことは、別に恥ずかしいことではない。広島市の西区で生まれ育った僕にとって、美酒鍋は「広島の郷土料理」としてテレビで一回くらい見たことがある気がする、という程度の認識でしかなかった。世の中には、テレビで一回くらい見た気がする、で済まされている料理がたくさんある。たぶんあなたの実家のあたりにもそういう料理があるはずである。問題はそれを、自分のアパートの一升瓶を抱えた女性が作りに来る、というケースにまで認識を広げていなかったことであった。人生の準備というものは、いくらやっても足りないらしい。

月野さんは、僕の狭い台所で、信じられない速度で具材を切っていた。

豚バラ。鶏もも。砂ずり。白ねぎ。白菜。玉ねぎ。人参。椎茸。こんにゃく。

トートバッグから、出てくる出てくる。マジックの帽子から鳩が出てくるあれと同じ仕組みになっているのではないかと疑ったが、よく見ればただのトートバッグであった。物理法則は守られている。守られているのに、出てくる量が物理法則を超えていた。ネギだけで僕の冷蔵庫の野菜室の半分を占めるくらいの長さがあった。

「あの、月野さん」

「なに」

「これ、何人前ですか」

「二人前」

「二人前で、白ねぎ、こんなに使うんですか」

「美酒鍋は白ねぎが命じゃけえ」

命、と断言された。命と言われると、それ以上反論する手立てがない。命にネギの量で勝てる人間は、たぶん存在しない。

切る音だけが、台所から聞こえていた。トン、トン、トン、と一定のリズムで、まな板に包丁が当たる音である。月野さんの手元はほとんど見ていないのに、音だけで、相当に手慣れていることが分かった。家でよく料理をする人の音、というものがあって、月野さんの音は完全にそれであった。包丁が、まな板に対して敬意を払いながら、しかし容赦なく仕事をしている。そういう音である。

「蓮くんは、座っとって。狭いけえ、二人で立ったら絡まる」

「すいません」

ちゃぶ台のある側に追いやられた僕は、所在なく、座布団の上で正座していた。正座する必要はなかったのだが、なぜかそうなった。自分の部屋の自分の座布団の上で、自分が正座している。状況の主導権が、完全にあちらに移っていた。

鍋に油をひいて、にんにくを炒める音がした。

続いて、豚バラと鶏ももと砂ずりを順に投入する音。じゅわっ、と音の質が変わった。それから塩と胡椒を振る音。ガラガラ、ガラガラ、と二回ずつ。胡椒の方が塩より圧倒的に多かった。

そして、月野さんが一升瓶を持ち上げた。

持ち上げた瓶を、躊躇なく、鍋の中に傾けた。

……ええ、と僕は思った。

ジュッ、という音と一緒に、白い湯気が一気に立ち上がった。湯気は台所から廊下を伝って、ちゃぶ台のあるこっちまで流れてきた。流れてきた湯気の中に、嗅いだことのない種類の香りが混じっていた。日本酒の香りと、肉の香りと、塩と胡椒の香りが、湯気の中で勝手に握手を交わしている。鍋の中で外交が成立していた。

「月野さん、それ、入れすぎじゃないですか」

「入れすぎが正解じゃけえ」

「正解、なんですか」

「アルコールは飛ぶし、コクが残る。日本酒は鍋に対して遠慮したら負けなんよ」

遠慮したら負け、と言われた。

鍋に対して遠慮するという発想自体、僕の中になかった。鍋は鍋であり、こちらは食べる側であり、両者の間には遠慮という概念が成立する余地がそもそもない、と僕は無意識に思っていた。月野さんの世界では、鍋と人間は対等な交渉相手であるらしい。日本酒を入れすぎることが、その交渉における誠意の表明らしい。文化が違う、と僕は思った。

そのうち、白菜と玉ねぎと人参と椎茸とこんにゃくが次々と鍋に投入され、鍋の中はもう野菜とアルコールでいっぱいになっていた。湯気はますます濃くなり、僕の部屋全体が、小さな酒蔵のような匂いになり始めていた。普段、コンビニの弁当の匂いしかしないこの部屋に、酒と肉の湯気が広がっているという事実が、なんとなく、現実離れしていた。

「はい、できた」

月野さんは、鍋を持って、僕のちゃぶ台に運んできた。

ちゃぶ台というのは、本来、こんな立派な土鍋を置くために存在しているのではない。インスタントラーメンの丼か、コンビニの弁当か、せいぜい一人用の小鍋がせいぜいである。そこに、明らかに四人前くらい入っていそうな土鍋が、どん、と置かれた。

ちゃぶ台が、ちょっと、軋んだ。

ちゃぶ台の悲鳴を、僕は聞き流した。聞き流すほかなかった。

月野さんは、自分の方の取り皿に、当たり前のように一杯目をよそった。

「いただきます」

ちゃぶ台に手を合わせかけた、その瞬間、月野さんが、ふと、合わせかけた手を、止めた。

止めて、こちらを、ちょっと、見た。

見たのに、目が合った瞬間、視線を、湯呑みの方に逸らした。逸らした視線が、湯呑みの縁を、なぞるように動いていた。何かを、言うかどうか、迷っている、という顔であった。

「あの、月野さん」

と、僕が先に声をかけた。

月野さんは、僕に何かを言わせる前に、自分から、口を開いた。

「あのさ、蓮くん」

「はい」

「先週、うちに来とったでしょ」

……あ、と思った。

月野さんの口調は、責めている口調ではなかった。むしろ、軽い、ふだんの月野さんの口調であった。だから、何かを糾弾されているわけではない。糾弾されていないのに、僕の心拍は、勝手に、上がっていた。

ばれていた、ということが、確定した瞬間に、心拍が上がる仕組みになっているらしい。心拍は、こちらの自意識を勝手に翻訳して、勝手に出力する装置である。心拍の翻訳精度は、本人の理性より、たいてい、高い。

「あ、はい」

と、僕は、固まった姿勢のまま、答えた。

固まった姿勢のまま、というのは、僕の身体が、急に、動き方を忘れたからである。手はちゃぶ台の上、肩はちょっと前傾、視線は鍋の中、というその時の姿勢のまま、僕は、しばらく、止まっていた。動かしてもよかったのだが、動かす許可が、自分の脳から下りてこなかった。

月野さんは、湯呑みを片手で握って、こちらを見ずに、続けた。

「ごめんね。母さんから、聞いて」

「いえ」

「おじいちゃん、酔って絡んだって」

「いえ」

「ええ年して、絡む人なんよ、うちのおじいちゃん。本当に、ごめんね」

月野さんは、そう言って、ちょっと、頭を下げた。

ちゃぶ台の上で、頭を下げる動作は、ふだんあまり見ない動作である。普通、頭は、立った状態とか、椅子に座った状態とかで下げるものであって、ちゃぶ台に向き合った正座の姿勢で下げるのは、構造的に、ちょっと、無理がある。それでも月野さんは、その無理がある角度で、ちゃんと、頭を下げた。

「いえ、本当に、別に、僕、お祖父様は、面白い方で」

「無理せんでええよ」

月野さんは、頭を上げて、ちょっと、笑った。

「うちのおじいちゃん、酔ったら、ああいうふうに、絡む人やけえ。蓮くんが面白いと思ってくれたんなら、それは、それで、ありがたいけど」

「いや、本当に、面白かったので」

「うん、ありがとう」

月野さんは、もう一回、ちょっと笑って、そのあと、湯呑みを見ながら、続けた。

「だから、今日、お詫びに来た」

……お詫び。

その単語を、頭の中で、もう一回、転がしてみた。

転がしているうちに、いくつかの、これまでばらばらだったピースが、ゆっくり、繋がり始めた。

月野さんが、今日、僕の下宿に押しかけてきた、その動機の本体。

「定例会中止になったじゃろ」というのは、押しかけのきっかけだった。

「主賓は蓮くんじゃけえね」というのは、お詫びの相手、という意味だった。

ピースが、別の意味を、ゆっくり、帯び始めた。

「本当は、来週の定例会の場で、『この前、うちの祖父が、すみません』って、言うつもりだったんよ。せえじゃけど、中止になって。せえじゃけ、家に来ることにした」

月野さんは、湯呑みの縁を、指で、なぞっていた。

「ちょっと、押しかけ、強引すぎたかな、とは、思うんやけど」

「いえ」

「面と向かって、ちゃんと謝りたかったから」

月野さんは、そう言って、こちらを、見た。

視線が、合った。

合った視線を、僕は、すぐには、外さなかった。お詫びは、もう、十分、受け取った。受け取ったので、それ以上、何もしなくてよかった。何もしなくてよいのに、何かを返さないといけないような気がしている自分が、いた。

「鍋、冷めるね」

と、月野さんが言った。

「あ、はい」

「食べよ」

「はい」

月野さんは、もう一度、手を合わせて、今度こそ、ちゃんと、「いただきます」を言った。

僕も、慌てて、もう一度、「いただきます」を言った。

一口、食べた。

……美味しかった。

美味しい、と言葉にしてしまうと、なんだか急にこの料理の格が下がる気がするのだが、それでも、美味しかった。豚バラの脂と、酒のコクと、野菜の甘さが、口の中で順番に挨拶をしてくる。日本酒の香りはちゃんと残っているのに、アルコールの刺々しさは消えている。これがアルコールが「飛ぶ」ということか、と僕は二十歳にして初めて、料理用語としての「飛ぶ」を体感した。

「美味しいです」

「やろ」

月野さんは、自分でも一口食べて、満足そうに頷いた。それから、トートバッグの中から、もう一本、一升瓶を取り出した。

「もう一本あるんですか」

「鍋に使うのと、飲む用は別じゃけ」

「別なんですか」

「当たり前じゃろ」

当たり前、と言われた。

月野さんの世界では、これも当たり前であるらしい。鍋用の酒と飲む用の酒が別、という概念は、僕の今までの人生に存在していなかった。新しい当たり前が、今夜だけで二つくらい、僕の中に追加された計算になる。

月野さんは、自分の湯呑みに、その一升瓶から酒を注いだ。それから、僕の湯呑みにも、ちょっと注いだ。

「これ、うちのよ」

と、月野さんが言った。

「うち?」

「うちの蔵で作っとる酒。『うつしよ』っていうんよ」

「うつしよ」

「おじいちゃんが付けた名前なんよ」

ラベルを見ると、確かに「うつしよ」と書いてあった。書体は、手書きのような筆で、しかしどこか若い人が書いたような、現代的な雰囲気もあった。瓶の色は深い緑で、ラベルは白に黒の文字。シンプルだが、目が留まる類のラベルであった。

僕は湯呑みを持ち上げて、一口、含んだ。

賀茂泉の純米吟醸とは、また違う味であった。賀茂泉は華やかで、最初の一口で「お酒だ」と分かる強さがあった。『うつしよ』は、もっと静かだった。口に入れた瞬間は、水のような顔をしている。少し遅れて、後ろの方から、米の甘さと、ちょっとした苦味と、香りが、ゆっくり立ち上がってくる。

「……静かな酒ですね」

と、僕は感想を言った。

言ってから、変なことを言った気がして、慌てて取り消そうとした。だが取り消す前に、月野さんが、こっちを見た。

月野さんの目が、ちょっと、見開かれていた。

「蓮くん」

「はい」

「それ、わりと、的確じゃ」

「そうですか」

「うん。うちの酒、そういう酒なんよ」

月野さんは、自分の湯呑みを少し持ち上げて、それから、口に運んだ。一口、ゆっくり飲んで、目を閉じて、ちょっと考えて、それから、目を開けた。

開けた目は、さっきまでと、ちょっとだけ違う光を持っていた。

違う光、というのが、どう違うのか、僕には説明できなかった。説明できないが、確かに違っていた。何かが、月野さんの中で、一段降りてきたような、そういう光であった。


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