07話 上の三人
「アメリア、お茶の時間よ」
屋根裏の使用人部屋にそう知らせに来たのは家事作業帽で蜂蜜色の髪を覆った少女だった。
少女はアメリアと同い年か少し年下くらいに見えた。
「それからね、使用人食堂に行く前にファウスタを家政婦長室に連れて来るようにって、マクレイ夫人からの言伝よ」
「了解。テス、ありがとう」
アメリアは少女に礼を言うと、ファウスタに少女を紹介した。
「ファウスタ、この子はテス。同じ見習い女中よ」
「テス・ラスウェルです」
笑顔でそう自己紹介したテスは優しい雰囲気の美少女だった。
テスの明るい茶色の瞳が興味津々といった様子でファウスタの顔を覗き込む。
(私もこの人みたいに金髪で可愛かったらすぐ里親が決まったんだろうな……)
ファウスタは神様の不公平を感じつつ自己紹介をした。
「ファウスタ・フォーサイスです。よろしくお願いします」
「よろしくね、ファウスタ。夏の空色が素敵な目ね」
テスに意外なことを言われてファウスタは面食らった。
空といえば青色だが、ファウスタの目はただのありがちな茶色だ。
「……ありがとうございます。でも私の目はただの茶色で……」
「琥珀の中に夏の空色があるなんて不思議な目よねー」
「……夏の空色……?」
茶色の例えに琥珀が出て来るのは理解できたが、夏の空色はどこから来るのか。
ファウスタの上に大量の疑問符が雨のように落ちて来た。
「……夏の空色って……何色ですか?」
「ファウスタ、あなた物がぼやけて見えたりする?」
二人のやり取りを聞いていたアメリアがファウスタに質問した。
ファウスタは視力に関しては普通と少し違う自覚があったので、自信がなくなり口をもごもごさせた。
「いえ……多分……ぼやけてないと、思います、けど」
ファウスタは見えざる余計な物が視える事はあっても、物が見え難くて苦労した事は一度もない。
「そう……そうよね」
アメリアは釈然としない顔で頷く。
「針仕事は出来るんだからちゃんと見えてるよね。針仕事は手元が見えなかったら出来ないものね」
「はい。見えてます」
「私の目がおかしいの?」
テスが不安そうな顔で目を見張った。
アメリアも少し自信なさそうにファウスタの目を覗き込んだ。
「私も多分テスと同じように見えてる。ファウスタの目は薄い茶色の中に空色が入ってる」
「え、えっ?!」
ファウスタは自分だけが違う見え方をしていることに衝撃を受けた。
だが今まで目の色に空色があるなどと他人からも言われたことはない。
孤児院でもみんなファウスタの目は茶色と言っていた。
「ねえファウスタ、あなたは毎日鏡を見てる?」
テスが何か思いついたように言った。
「いいえ」
「じゃあ今、鏡を見て。もしかすると成長期かも!」
言いながらテスは部屋の奥に入り、箪笥の上に置かれた鏡を持って来てファウスタの前に掲げた。
「どう?」
「……あっ!」
鏡の中の自分の顔を見てファウスタは声をあげた。
たしかに茶色の目の中央、黒い瞳の部分の周囲に空色がにじみ出ている。
「空色あります! 今まで無かったのに!」
「成長期ね!」
テスが自信満々に言った。
「大人になるにつれて目の色が変わるのはよくある事よ。私も今は茶色だけど赤ちゃんのころは青い目だったんですって。あなたもきっと成長して目の色が変わってきたのよ!」
テスは全て納得が行ったようですっきりした明るい笑顔を見せた。
アメリアは釈然としないようだったが、はっとして言った。
「呼ばれてるなら、早く行かないと」
「そうそう、マクレイ夫人も皆さんもお待ちかねよ! 早く行きましょう!」
急に思い出したようにテスは慌てはじめ、ばたばたと鏡を元の位置に戻すと二人を急かしはじめた。
三人は早足で部屋を出ると階段へ向かった。
「ファウスタ、使用人食堂に着いたら絶対にしゃべったら駄目よ」
屋根裏から地下へと階段を下りながら、思い出したようにアメリアは言った。
「上の人たちに質問されたときに答えるのはいいけど、基本的に私語厳禁なの。気を付けて」
「上の人たちって誰ですか?」
「家令のアルカードさん、執事のバーグマンさん、家政婦長のマクレイ夫人の三人よ」
(バーグマンさん……)
三人のうちまだ会ったことのない一人の名前を忘れないように、ファウスタは頭の中で復唱した。
「テーブルの奥の席に座ってる三人よ」
「偉い人順に座ってるの。偉い人が奥の方、私たち下っ端は反対側の端っこよ」
アメリアの説明をテスが補足した。
「上の三人が退出なさったらしゃべれるんだけど、一人でも残ってるうちは私語は駄目よ」
「すぐいなくなるからね、ちょっとの辛抱だよ」
しゃべっては駄目と言われファウスタは不安になった。
「……あの、しゃべったら駄目なうちは、解らない事も聞いたら駄目ですか?」
「ええ、駄目よ」
「解らない時はどうすれば……」
「使用人食堂ではあなたの席はテスの隣りになるはずだから、作法がもし解らなかったらテスを見て真似をすればいいわ。テス、お願いね」
「ええ」
気楽な様子でテスはふんわりした笑顔をファウスタに向けた。
「解らないことがあったら私を指でツンツンして知らせてー」
「お、お願いします!」
「テスの真似して同じようにしてれば大丈夫よ」
「上の三人はお茶を一杯だけ召し上がってすぐいなくなるから、しゃべれないのはちょっとの間よ。心配しなくても大丈夫!」
「私は先に行ってるねー」
地階に着くとテスはアメリアにそう言い、ファウスタにも笑顔を向けて手をひらひらさせた。
「ファウスタ、また後でねー」
「はい、後で、よろしくお願いします!」
テスと別れてファウスタはアメリアと一緒に家政婦長室へ向かった。
「マクレイ夫人、アメリアです。ファウスタを連れて来ました」
アメリアが扉をノックしてそう言うと、返事の代わりに扉が開いた。
扉を開けて出て来たのは家政婦長のマクレイ夫人だった。
マクレイ夫人の腰に下げた鍵束が動きに合わせてチャランと鳴る。
「アメリア、ご苦労様。あなたは先に使用人食堂に行ってなさい」
「はい、マクレイ夫人」
アメリアはファウスタの方を見て一瞬にこっと笑うと、踵を返してその場から歩き去った。
「ファウスタはこちらに来なさい」
「はい」
マクレイ夫人はファウスタを家政婦長室に招き入れた。
(あ、アルカードさん!)
家政婦長室の中には白髪長身の家令アルカードが居た。
アルカードは着替えたのか、午前中にファウスタを孤児院に迎えに来た時とは違った服装をしていた。
立襟の白いシャツに黒のタイを結び、濃灰色のベストに黒い上着、黒いズボン。
その黒い上着は前側は腰までの丈しかないが、後ろ側は飾りなのか渡り鳥の尾のように二つに割れて先が細り膝裏くらいまで長く垂れ下がっていた。
「ファウスタ、調子はどうですか? 何か不都合はないですか?」
「大丈夫です。皆さん親切にしてくださいます」
「それは良かった」
アルカードはそう言うと、一歩横に退き、後ろにいた男性がファウスタと向かい合えるよう移動した。
アルカードの退いた位置に踏み出し、ファウスタの前に立ったその男性は長身で恰幅が良くアルカードと同じ服装をしていた。
そしてアルカードほどではないが薄っすらと青い煙を纏っている。
(この人も魔力で変装してる魔物なんだ)
今日一日だけで、アルカード、ティム、ユースティスという三人の魔物に会い、さらにお姫様の幽霊に二度も遭遇したファウスタは、新たな魔物を前にしても特に驚きはなかった。
青い煙も魔力なのだと答えが解ってしまえばどうという事もない。
魔力なんて視界がちょっと煙たくなるだけだ。
ここを解雇されて宿無し貧民に落ちる事に比べたら大した問題ではないのだ。
「ファウスタ、紹介します。彼は執事のバーグマン氏です」
アルカードが魔物の男性を紹介した。
「アーチボルド・バーグマンです」
バーグマンは笑顔で自己紹介をした。
アルカードの貴族的な微笑とは違い、バーグマンは本気で楽しい事があるみたいな陽気な笑顔だった。
「ファウスタ・フォーサイスです。よろしくお願いします」
ファウスタは挨拶をするとバーグマンを見上げた。
薄い青い煙に包まれたバーグマンの顔は、中年の紳士の顔と若い青年の顔が重なって見えていて、青年の顔のほうは耳が尖っていた。
(耳が尖ってるのはエルフかな? ……でも絶対違うと思う)
ファウスタは実際に妖精族を見た事はないが、本の挿絵に描かれている彼らを知っている。
物語の中のエルフたちはすらりとした長身に、透けるような金髪、そして儚げな美貌という麗しい容姿をしていた。
バーグマンは耳だけは妖精族のように先が尖った形をしていたが、しかし肩幅の広いがっちりとした体格で、整えられてはいるがごわごわして硬そうな鉄錆色の髪、そして眉が太く勇ましい顔立ちをしてた。
エルフの華奢で儚いイメージとはまるで正反対で、とても頑丈そうだ。
熊の魔物だと言われても「そうなんだ」と普通に納得してしまいそうな厳つい容姿だった。
(こんな強そうなエルフはいないよね)
「私が留守のときはバーグマン氏が私の代わりを務めます」
アルカードが安定の笑顔でファウスタに説明した。
「旦那様からの言伝をバーグマン氏が私の代わりに伝えに来ることもあるかもしれません。見知っておいてください」
「はい」
(バーグマンさんってアメリアさんたちが言ってた偉い人だ)
名前に聞き覚えがあったので、ファウスタは先程アメリアやテスが言っていた『上の三人』の話を思い出した。
(偉い人三人のうち二人が魔物なんだ……)
「では皆さん、我々も使用人食堂へ行きましょう」
アルカードは他の二人を振り返りそう言うと、ファウスタに再び笑いかけた。
「皆にファウスタを紹介します」
アルカード、バーグマン、マクレイ夫人の三人の後に続いて、ファウスタは使用人食堂へ行った。
(……!!)
室内の光景を見た瞬間、ファウスタは息を飲んだ。
広めの部屋には二十人くらいの使用人がいた。
部屋の真ん中にある長テーブルの周囲に男女の使用人たちがずらりと並び、背筋をぴんと伸ばして立っている。
左右の壁際にも数人の使用人たちが並び、やはり姿勢正しく立っていた。
誰一人おしゃべりをしておらず部屋はしんと静まり返っている。
整然と起立している大人たちの何人かが青い煙を纏っていた。
青い煙は魔物の魔力なのだろうと頭の隅っこでは理解していたが、ファウスタの心はそれどころではなかった。
背の高い大人たちが静かに立ち並ぶ姿に気圧された。
孤児院の食堂にも長テーブルがあり大勢で食事をしていたが、世話係の数人の大人がいるだけであとは全員子供だった。
そして子供たちは大抵はおしゃべりをしていて騒がしく、みんな勝手に思い思いの方向を見ていたものだ。
(大人の世界に来たんだ……)
ここにいる大人たちの中で一番子供に近いのはアメリアやテスだろうが、彼女らでさえファウスタよりも背が高く、子供よりは大人に近い。
壁側で茶器を乗せたワゴンの脇に立っている吸血鬼ユースティスは、見た目は少年で、男性はもとより大人の女性使用人たちよりも小柄だったが、百歳以上であることを仄めかしていたので大人より確実に年上の偽子供だ。
「ファウスタ、付いて来なさい」
マクレイ夫人はファウスタを振り返り、一緒に来るよう促した。
アルカード、バーグマン、マクレイ夫人の三人は、使用人たちが微動だにせず起立する中を部屋の奥に向かって進んだ。
三人の足音と、マクレイ夫人の腰に下げた鍵束がこすれて鳴る金属音がよく聞こえるくらい部屋は静寂に包まれていた。
堂々と威厳に満ちた足取りで歩く三人の後に付き従い、ファウスタは緊張で固まった体をぎくしゃくさせながら必死に歩を進めた。
アルカードが王者のように長テーブルの一番奥の席まで進む。
その両側の席に、あたかも王の両翼のようにバーグマンとマクレイ夫人が立った。
(これが上の三人……)
アルカード、バーグマン、マクレイ夫人の三人は、ここに集った使用人たちの頂上に君臨しているのだということを、ファウスタは目の前の光景と雰囲気から実感した。
アルカードは最奥の席から少し離れて、部屋全体が見渡せる位置まで下がるとファウスタを隣に呼び寄せた。
ファウスタは俯いたままアルカードの隣りに行く。
背中を冷たい汗が流れた。
「皆さんにお知らせがあります」
しんと静まり返った室内にアルカードの声が響き渡る。
「新人を紹介します。この子はファウスタ。今日から見習い女中としてここで働きます」
アルカードはそう言うとファウスタの方を向いた。
「ファウスタ、自己紹介をお願いします」
「は、はい……」
震える声でファウスタは返事をした。
顔をあげて正面を見る。
テーブルの周囲には、美々しい金の縁取りのある群青色の上着を着た長身の男性使用人たち、レース襟の黒いドレスにフリルのエプロンを付けた女性使用人たち。
その末席に青灰色の服にエプロンを付けたアメリアとテス。
壁際には一人だけ明るい灰色のドレスにエプロンという出で立ちの女性を筆頭に、薄青と白の縦縞柄のドレスにエプロンを付けた女性使用人たちがずらりと並んでいる。
そして反対側の壁際には紺色の兵隊服のような上下を着た少年二人と、彼らより一回り小柄で水兵のような服を着たユースティス。
それら全員の目がファウスタを見ていた。
大勢の視線を浴びてファウスタは頭の中が真っ白になった。
少し心配そうな顔をしているアメリアとテスや、何を考えているか解らない薄い微笑を浮かべているユースティスを目の端に入れながら、ファウスタは誰とも目が合わないように正面の遠くを見つめた。
「ふぁ、ファウスタ・フォーサイスです。よろひぐっおねがいします」
(か、嚙んじゃっ……たっ……!)
発音の失敗にファウスタの顔がかっと熱くなる。
額にぶわっと汗が噴き出した。
(ご挨拶は今日何回もしたのに、こんな大事なときに失敗するなんて……)
ファウスタは失敗のショックでぼんやりしてしまった頭でお辞儀をすると、再び俯いて床を見つめた。
「皆さん、彼女をよろしくお願いします。お知らせは以上です」
ファウスタの挨拶の後、アルカードは皆を見渡してそう言い話を終わらせた。
そして壁際の女性使用人たちの方に顔を向けた。
「厨房の皆さんもお時間をいただきありがとうございました。どうぞ職場にお戻りください」
壁際に並ぶ女性使用人たちの先頭、明るい灰色のドレスの女性がアルカードと目配せをして頷き合った。
そして彼女は縦縞柄のドレスの女性使用人たちを引き連れて部屋を出て行った。
「ファウスタ、あなたの席に案内します。いらっしゃい」
マクレイ夫人はファウスタにそう声をかけると、長テーブルの下座の一番端の席にファウスタを案内した。
「ここがあなたの席です」
ファウスタが席の前に立つと、隣りの席のテスがファウスタの方に顔を向けてにっこり微笑んだ。
マクレイ夫人が上座に戻り、上座の三人が着席すると、それまで起立していた使用人たちが一斉に着席した。
ファウスタも皆の真似をしてあたふたと椅子に座る。
ユースティスと紺の上下を着た二人の少年たちが給仕をして、上座から順番にお茶を出していく。
静寂の中に、茶器が触れ合う音が小さく響く。
使用人食堂の張り詰めた雰囲気に完全に飲まれて、ファウスタは体が震えるのを感じながら膝の上で右手で左手をぎゅっと握っていた。
一番最後にファウスタの前にもお茶が出された。




