508話 吃驚仰天
「ファウスタ、アルカードさんがお呼びよ」
その日、ファウスタは家女中アメリアからそう告げられて戦々恐々とした。
(今度は……何かしら……)
前回アルカードに呼ばれたときには、心霊探偵の仕事の終了を告げられて、ファウスタは失業のショックに打ちひしがれた。
それ以前に呼ばれたときは嬉しい報酬の話だったが、アルカードの話は必ずしも嬉しい話とは限らないのだ。
アルカードは人間社会ではこの屋敷の使用人の頂点である家令で、魔物社会では吸血鬼たちの頂点である吸血鬼ギルド長だ。
そんなアルカードにファウスタが呼ばれるとき、それは必ず重要な話があるときで、それはファウスタの人生を左右するような話だ。
それだけに良い話か悪い話かで、天国と地獄の差が激しい。
アルカードの話にファウスタは今まで、良くも悪くも吃驚させられて、心が天に上ったり地獄に突き落とされたりしている。
(天罰の危険はもうないのだから、そんなに酷い話はないはずよ。お嬢様は私をメイドとして一生雇ってくださるのだもの。私は失業はしないわ。仕事を持っていれば貧民街に連れていかれたりしない。貧民街より酷いことなんて無いんだから、きっと大丈夫よ……)
次々と心に湧き上がって来る不安を打ち消しながら、ファウスタは運命に立ち向かうかのように、地階の家令室へと向かうために使用人用の階段を下りて行った。
「あら、こんにちは」
地階に下りると、ちょうど廊下を歩いてきた茶色のドレスの婦人が、ファウスタを見て挨拶の言葉を口にした。
「こんにちは」
ファウスタは反射的に挨拶を返した。
「良かったわね」
「あ、ありがとうございます」
作法や会話の勉強をしていて、それらが身に付いてきているファウスタは流れるようにお礼を言った。
茶色のドレスの婦人はファウスタににっこりと微笑みを返すと、ファウスタとすれ違ってそのまま廊下を歩いて行った。
(……あれ?)
投げかけられたその言葉に対するふさわしい返しの言葉として、ファウスタは条件反射的にお礼の言葉を口にした。
しかし会話が終わった後に、良かったと言われたが、何が良かったのだろうと少し不思議になった。
(新しい使用人の人かな? 何の話だったの? 私を誰かと間違えた?)
茶色のドレスは、ファウスタが知ってるこの屋敷の女性使用人たちのお仕着せのドレスとは違った。
見かけないドレスにも引っ掛かりを感じたが、新しい使用人が増えたと聞いていたし、ファウスタは滅多に地階に下りないので知らないことがあるのは当たり前だとすぐに納得した。
(廊下がピカピカだわ。ジゼルたちが頑張っているのね)
家令室に向かって廊下を歩き出したファウスタは、磨き上げられている廊下に感心した。
そこでファウスタは、ふと、思い出した。
アメリアやジゼルから聞いた、廊下をピカピカに磨く、茶色のドレスの屋敷精霊のことを。
そして、この屋敷に来た最初の日に使用人食堂で見た、屋敷精霊かもしれない茶色のドレスの婦人のことを。
「……っ!」
ファウスタは廊下を振り返った。
だが、つい今しがたすれ違ったはずの茶色のドレスの婦人の姿は忽然と消えていた。
「よお! ファウスタ、久しぶり!」
(ティムさんが来ていたのね)
ファウスタが家令室へ行くと、そこには三人の魔物がいた。
ぼさぼさの黒髪に貧相な服装のティム、白髪の老家令に化けている吸血鬼アルカード、そして小姓に化けている灰金髪の吸血鬼の少年ユースティスだ。
「ファウスタ、椅子をどうぞ。ティムから話があります」
ファウスタはアルカードに椅子を勧められてティーテーブルの席に付いた。
ティム、アルカード、ユースティスの三人も同じテーブルの席についた。
(ユースティスさんも一緒なんだ)
過去にファウスタがアルカードに呼ばれて家令室に来たとき、ユースティスはいつも立ったまま控えていたが、今回はテーブルの席に一緒に付いていた。
「雪、凄かっただろ! 吃驚したか?!」
早速ティムが気ままな雑談を始めたが、アルカードは咳払いをした。
「ティム、まずは、ファウスタにお願いする事があるでしょう」
「お、そうだった」
アルカードのじっとりとした視線を受けて、ティムは急に気付いたように言った。
「心霊探偵の仕事さ、あと一件だけやって欲しいんだ」
「え?!」
(心霊探偵のお仕事?!)
丸儲けの心霊探偵の仕事があると聞いて、ファウスタの心は嬉しい驚きに跳ねた。
「シャールラータンって奴がファウスタに相談があるらしいんだ。話を聞いてやってくれ。病気の人で可哀想だからさ、優しくしてやってくれよ」
(病気って呪いかしら? でもシャールラータンって……)
聞き覚えのある珍しい名前に、ファウスタは記憶を辿った。
「霊能者の人でしょうか?」
「お、ファウスタも知ってるのか?」
「お名前を聞いたことがあります」
「そそ、有名な霊能者らしい。でも所詮はただの人間さ」
(私も人間なのだけれど……)
ファウスタは釈然としないながらも、心霊探偵の仕事は報酬がとても美味しくて魅力的だったので、ティムの依頼を了承した。
「私に出来る事でしたら。心霊探偵のお仕事を引き受けたいです」
「おお! ファウスタ、ありがとうな!」
ティムはぱあっと笑顔を浮かべてファウスタに礼を述べると、隣に座っているアルカードを振り向いた。
「報酬にシャールラータンの相談料も追加してやってくれよな」
「はい。もちろんです」
(報酬……?!)
報酬という、聞き捨てならない単語がファウスタの耳に飛び込んできた。
ファウスタは全神経を集中させて話を聞く体勢を取ったが、しかしティムの話は要領を得ないものだった。
「ファウスタ、頼んだぞ。支払いはブラックモアにちゃんとやらせるから。シャールラータンの相談に乗ってやってくれ。社会福祉ってやつ」
肝心の部分が全て抜け落ちている感触のティムの話に、アルカードとユースティスは呆れたような表情を浮かべた。
(ブラックモアさんって……誰だったかしら? シャールラータンさんのお話しを聞けば報酬が貰えるの?)
ファウスタが戸惑っていると、アルカードが口を開いた。
「ティム、説明が不足しています。まずは依頼のことから説明すべきでしょう」
「おん? 依頼は今したぞ」
「ティムの個人的な依頼ではなく、マークウッド同盟の依頼の件です」
ティムは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに名案を閃いたかのような顔でユースティスを振り向いた。
「ユースティス、後は任せる」
「……」
「……」
アルカードとユースティスの顔から表情が抜け落ちた。
ユースティスに冷たい視線を返されたティムは、少しあたふたしながら言い訳をした。
「だってさ、そのためにここに居るんだろ?」
「……承りました」
ユースティスが温度の無い声で了承すると、ティムは安心しきったような笑顔を浮かべた。
「おう、頼むわ」
ティムに説明を任されたユースティスは、ファウスタに視線を向けるとぱっと優しい笑顔を浮かべた。
「ファウスタ、マークウッド同盟がファウスタに依頼していた仕事は、先日の慰霊祭で終了した。まずはお礼を言わせてもらうよ。協力してくれてありがとう」
「お、お役に立てて、良かったです」
「ファウスタはとても頑張ってくれたからね。ファウスタの仕事に対して、マークウッド同盟は……」
ユースティスは少女人形のような美貌に完璧な笑顔を浮かべて、あまりにも刺激的な言葉を放った。
「二万ドログの報酬を支払う」
「……っ!!!」
ファウスタの心臓が飛び上がった。




