423話 曇天の朝
「生憎の雨にならないと良いけれど」
早朝、いつものようにファウスタの身支度の手伝いをしたアメリアは、窓の外に目をやってそう呟いた。
窓の外は、曇天だ。
「雨が降ったら、即位記念祭は延期になりますか?」
「雨くらいじゃあ延期にはならないわ。即位記念祭って戦争時代からの伝統行事だから、元は軍事パレードなのよ。雨でも行進するわよ」
アメリアはしかつめらしい顔をすると、ファウスタに説明した。
古い時代の王様というものは戦争の勝者であり、軍を指揮する者であったこと。
即位記念祭は、元は戦争の勝利を祈願する行事であったこと。
何百年も続いている伝統行事なので、式に参列する貴族たちは、伝統的な王室騎士団の正装で参加すること。
「旦那様も王室騎士団の騎士だから、今日は騎士の正装で大聖堂へ行かれるのよ。オルロック伯爵のお屋敷はマーグンキブ宮殿の向かいにあるから、きっとパレードも見れると思うわ。行進している騎士の中に旦那様もいるわよ」
「旦那様もパレードするのですか?!」
「もちろんよ。そのために旦那様は王都へ来ているのよ。議会とか他の行事のためでもあるけれど。貴族たちがこの時期に王都に集まるのは、即位記念祭に参加するためでもあるのよ」
(アメリアさんは、さすがなのだわ)
騎士爵の娘であるアメリアの知識にファウスタは感心した。
即位記念祭やそのパレードの存在をファウスタは聞き知っていたが、実際にパレードを見た事はなく、ましてや貴族の事情など、孤児院にいた頃のファウスタにとっては完全に別世界の話だった。
新聞の写真で見た事がある女王陛下のパレードに、知り合いが混じっていて行進しているなど、夢のような話だ。
「伝統貴族は爵位を継承するときに、必ず君主に忠誠を誓って、王室騎士団の騎士になるの」
(サー・ロジャーは騎士爵だけど料理人で、貴族じゃないから……)
ファウスタが知るサー・ロジャーは、騎士爵だが、高級レストラン『黄金の鹿』の経営者で、料理人としての功績で騎士爵になった人だ。
爵位を継承して騎士になったわけではない。
「王室騎士団は、庶民の騎士とは違うのですか?」
「王室騎士団は王族と古い伝統貴族だけの騎士団よ。庶民出身の騎士は銀星騎士団」
「サー・ロジャーは銀星騎士団ですか?」
「そうよ。サー・ロジャーは銀星騎士団。サー・ロジャーもきっと行進するわよ」
「サー・ロジャーも?!」
「銀星騎士団は乗馬が出来る有志が参加するの。サー・ロジャーは毎年参加なさっているから今年もきっと行進なさるわ」
「アメリアさんのお父様も行進しますか?」
「ええ……するわ……」
アメリアは少し嫌そうに、表情を引きつらせた。
「サー・ロジャーほどの成功者なら、即位記念祭に参加する騎士として、名乗りを上げるのはむしろ義務と言えるけれど。うちの父みたいな平凡な学者は無理しなくて良いのにね」
「式典の参加は、大変なのですか?」
「支度が大変なのよ」
アメリアは疲れたような表情を浮かべた。
「国家行事にふさわしい支度を整えなきゃいけないんだから、結構な負担なのよ。だから叙勲を辞退する人もいるわ」
「……?!」
ファウスタは、騎士爵になれたら上流階級の仲間入りができると思っている。
それを断る人がいると聞いて、ファウスタは驚いた。
「騎士爵になれるのに辞退する人がいるのですか?!」
「そりゃあ居るわよ。騎士爵の年金はたった五銀貨なのに、国家の式典に参加しなきゃいけないんですもの。お金がなかったら体面が保てないわ。騎士爵に叙勲されるのは大抵が成功者でお金持ちだから、ほとんどの騎士はお金のことなんて気にしていないでしょうけれど。うちの父みたいなただの学者は大変よ」
「……え?」
ファウスタは聞き捨てならない金額を聞いた気がして、アメリアに問い返した。
「五レブリス……?」
見習いメイドの一カ月の給金が八十ドログである。
一ドログが十レブリス、銀貨十枚なので、見習いメイドの月給八十ドログをレブリスに換算すると八百レブリス、銀貨八百枚だ。
見習いメイドの月給が銀貨八百枚なのに、騎士爵の年金が銀貨五枚とは、これ如何に。
「そうよ、五レブリスよ。日給じゃないわよ。年金よ。日給だったとしても少なすぎるけれど」
「……一年間のお給金が、たった五レブリスですか?」
「給金じゃなくて年金だけど。そうよ、五レブリスよ。騎士爵なんて本当に名誉以外には何もない、形だけの地位よ」
「……五万ドログの間違いではないのですか?」
「騎士爵の年金が五万ドログだったら、私が騎士爵を目指してるわよ」
アメリアは乾いた半笑いをすると言った。
「ファウスタ、貴女は騎士爵に夢を見すぎよ。ジゼルもだけど。毎年、銀貨五枚の小銭しか貰えないのに、騎士としての支度を整えるお金が必要なの。体面の維持が大変なのよ」
窓の外の、重く雲の垂れこめた灰色の空に、アメリアは目をやった。
「雨が降ったら高価な礼服が台無しよ。雨が降っても騎士は行進するんだから。うちの父は、雨でも風でも来いって言っているけれどね。むしろ嵐の中を行進するほうが騎士っぽくて格好良い、なんて、お馬鹿なことを言っているわ……」
アメリアは死んだ魚のような目をした。
「王族の方々は雨が降ったら馬車にお乗りになるけれど。侯爵以下はずぶ濡れよ。他の行事なら馬車に乗れるのだけれど」
「騎士が、馬車でも良いのですか?」
騎士は馬に乗っているものとファウスタは思っていたので、騎士が馬車に乗ると聞いて首を傾げた。
アメリアはファウスタの疑問にすらすらと答えた。
「現代の騎士は軍人ではないし、銀星騎士団は乗馬の嗜みがない庶民出身が殆どで、女性もいるから、騎士が全員参加する行進は馬車が許されているの」
乗馬は貴族の嗜みとされているが、庶民は乗馬ができない者が大半だった。
騎士爵に叙勲される庶民は、事業家や、学者、芸術家などが多い。
事業家はともかく、学者や芸術家は馬に乗れない者が殆どだった。
「即位記念祭の場合は、銀星騎士団は伝統の軍事パレードに花を添える役目だから、乗馬が出来る希望者だけの参加なの。伝統のお祭りだから騎士っぽい見た目が必要なのよ。王侯貴族と一緒に行進する国家行事だから、上流の仲間入りを目指している人は率先して名乗りをあげるわ」
そう説明した後、アメリアは小さく溜息を吐いて付け加えた。
「うちの父の場合は、ただの趣味だけれど……。騎士とか英雄とか大好きなのよ。騎士爵に叙勲されたら、格好つけたくて、無理して乗馬を習ったのよ」
(騎士爵も色々と大変なのね)
ファウスタはまた一つ、世間を知った気分になった。
「ファウスタは今日は、私のメイドとして行くのよ」
朝食の時間、オクタヴィアは今日の即位記念祭の観覧についてファウスタに説明した。
「霊能者ファウスタは妖精の子だから、王都の空気が合わなくて、しばらく森で静養することになったの。だから今日のファウスタは私のメイドよ」
「私は森で静養しているのですか?」
「そうよ」
オクタヴィアは楽しそうに設定を語った。
「何が視えたかは、帰ってからゆっくり話を聞かせてもらうわ。その場では言わないでね。あ、でも、トトメスがいたらすぐに教えて欲しいから、他の人には解らないように、秘密の合図を決めておきましょうよ」
オクタヴィアがわくわく顔で秘密の合図について思案を始めたとき。
部屋の扉がノックされた。
給仕のデボラが応対に出ると、そこには意外な人物がいた。
「お兄様?!」
来訪者はオクタヴィアの兄、マークウッド辺境伯令息オズワルドだった。
「今日、霊視に行くんだろう。それでファウスタに頼みがある」
オズワルドは、オクタヴィアとファウスタを交互に見ていった。
「これは僕と、シリル・ロスマリネからの頼みだ」
「ロスマリネ侯爵令息の?」
「そう。アイザック王子がどんなふうなのか、ファウスタに視て欲しいんだ。それで彼がどんなだったか教えて欲しい」




