422話 即位記念祭前夜
風がびゅうびゅうと吹く、月も星も見えない暗い夜。
地上から闇を追いやる瓦斯灯の明かりたちを見下ろして、魔道士プロスペローは箒で空を飛んでいた。
プロスペローは狐色の髪をなびかせながら、荷物袋をぶらさげた箒で、強風にエーテルが舞う中を飛行した。
眼下の夜景にマークウッド辺境伯邸が見えはじめると、プロスペローの箒は速度を落とし、すうっと降下して行った。
「やあ、プロスペローさん」
人間に化け、マークウッド辺境伯邸の門番を務めているゴブリン族の二人は、にこやかにプロスペローを迎え入れると用件の確認をした。
「ユースティス様ですよね?」
「はい。お願いいたします」
「しばらくお待ちください」
プロスペローのいつもの答えを聞き、ゴブリン族の一人が屋敷へと、プロスペローの到着をユースティスに伝えに行った。
特別な予定でもない限り、プロスペローは毎日ユースティスに報告に来ていたので、門番のゴブリン族たちはすっかり慣れて、交わす言葉も確認も簡略化されて流れ作業になっていた。
プロスペローは箒にぶら下げていた袋から箱を取り出すと、その場に残っているもう一人のゴブリン族にそれを差し出した。
「これはいつもお世話になっているお礼でございます。どうぞ皆様でお召し上がりください」
「困ります。受け取れません」
ゴブリン族は少し惜しそうにしながらも、プロスペローの贈り物を辞退した。
「魔道士からあまり物を貰うなと、上司に叱られまして……」
屋敷で外仕事をする魔物を束ねているのは、ゴブリン族の庭師ワーズワースで、戦争時代を知るワーズワースは大の魔道士嫌いであった。
「先日、白キノコをご馳走になったばかりですから……」
「運良く雷キノコが手に入りましたので、今日は雷キノコをお持ちしました」
「雷キノコ!」
雷キノコと聞いて、キノコ好きのゴブリン族は目の色を変えた。
ロンセル産の雷キノコは、人間たちが高級食材として珍重しているキノコであることをゴブリン族たちは聞き知っていた。
雷キノコはマークウッドの森には無いため、マークウッドで生まれ育ったゴブリン族でその味を知る者は少ない。
「キノコの良し悪しに疎い私などより、キノコ好きの皆様に召し上がっていただいた方が、雷キノコも喜びましょう」
「この香しい刺激的な匂いは、雷キノコの匂いだったのかぁ……。まだ食べたことないんだよなぁ……」
ゴブリン族は大きく心を揺さぶられたようで、独り言のように砕けた口調でそう言いながら、プロスペローが持つ箱に羨望の眼差しを向けた。
プロスペローはここぞとばかりに、贈り物の箱をずいと差し出した。
「私はキノコはあまり食べませんので、受け取っていただかなければ、食べきれずに捨ててしまうことになりかねません。皆様に食べていただければ助かります」
「……捨てるのは、勿体ないですね……」
「ええ、ですから、ぜひ、キノコ好きの皆様に受け取っていただきたいのです。ぜひぜひご賞味あれ!」
「……そこまでおっしゃるなら……」
ゴブリン族は口では遠慮しながらも、明らかに嬉しそうな笑顔で雷キノコの箱を受け取った。
プロスペローはゴブリン族たちの好感度を上げることに今日も成功した。
「オルロック伯爵邸とその周辺を見てまいりましたが、特にこれといった異常はございませんでした」
ユースティスが屋敷から庭へ出て来ると、プロスペローは早速報告をした。
ファウスタは明日、オルロック伯爵邸の窓から、マーグンキブ宮殿のバルコニーに現れる王族を霊視することになっている。
下見を申し出て許可されたプロスペローは、下見の結果を報告した。
「屋敷の中にも特に怪しいエーテルはありませんでした。しかし……些末なことかもしれませんが……」
プロスペローは少し思案気な顔をして言った。
「多数の霊がおりました」
「オルロック伯爵邸にか?」
「オルロック伯爵邸にもおりましたが、周辺一帯にです。マーグンキブ宮殿までの道筋にも、王宮の庭にも、辺り一帯に多数の霊がおりました」
びゅうびゅうと吹いている風が、庭の木々や花々を揺らしていた。
「空にも多くいましたので、風に流されて来たのかもしれませんが……。まるで墓場のように、そこかしこに霊がおりました」
「墓場か……」
プロスペローの話に、考えるように目を伏せたユースティスの灰金髪を、風がなぶって翻弄した。
「集まっている霊は小物ばかりですので、特に害はないかと存じますが、もしお邪魔になるようでしたら私が一掃いたします。いかがいたしましょう」
「それは明日、現場を確認してから決めよう」
ユースティスは思案気な顔のまま、プロスペローのほうを見ずに答えた。
「明日、ファウスタは王族を霊視するために行く。その妨げにならないようなら霊を排除する必要はない。視界の邪魔になるようだったらその場で対処する」
「承知いたしました」
プロスペローは幸福そうな表情で報告を続けた。
「それから、明日、ヴァーニー卿からご報告があるかと思いますが、何でも屋のダフという男、なかなか面白い情報を持っておりました。どうやら警視庁は押収した品を新世紀派に横流ししているようです」
「ほう」
ユースティスは顔を上げた。
「それは使えるな」
「はい」
プロスペローは陶然としてユースティスの視線を受け止めた。
「蛇の道は蛇と申しますが、ダフはなかなか面白い情報を持っております。ダフの持つ情報について私もこれから調査をいたしますが、ダフの身の安全には留意しておりますのでご安心ください。そしてもう一つ……」
夜の庭を、風がびゅうっと吹き抜けて行った。
「ファウスタ様が聴いたという王冠の歌が、子供たちの間で流行しているようです」
「どういうことだ?」
「子供たちに流行っている遊びで、あの歌が歌われています」
ちまたで、王冠ごっこ、王様ごっこ、王冠選びなどと言われている子供の遊びについてプロスペローは説明した。
「どこから流行が始まったのかは不明です。子供の口から口へと伝わっている様子です」
「ふむ……」
ユースティスは再び、思案気に目を伏せた。
「本日のご報告は以上となりますが……」
今日の報告を終えたプロスペローは、いつも最後に言う言葉を口にした。
「畏れながら、ファウスタ様のご様子はいかがでしょう」
ユースティスは機械仕掛けの人形のように顔を上げると、事務的に淡々と言った。
「探偵社の終了に動揺していたようだが、平穏に過ごしている」
「私は契約従者として、ファウスタ様のお心の一端を感じることができます。ファウスタ様はご不安を感じておられます。私に出来ることがありましたら、お力になりとうございます」
「ファウスタはタレイアン公爵夫人を恐れている。明日の霊視に恐れを感じているのだろう」




