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第六十七話 鬼

「リーザちゃんがさあ。今、通ってったよ。もうイベントも済んだのに二人とも出ていくもんだから、なにかあったのかと様子を見に行こうとしたらすれ違ってね。なんだか早歩きだったし、挨拶もなしだ。さみしいねえ」


 アレンの問いに、ユウは頷くでもなく語り始めた。今一つ要領を得ない迂遠な語り口。芝居っぽく両手を上げて、肩をすくめながら続ける。


「すれ違いざまに見たら泣いてたんだよ、彼女。下向いてたけど隠しきれてなかった。いやあ、嫌われてて挨拶しなかったわけじゃないみたいで、ここだけの話内心でちょっぴり胸撫でおろしてたね」

「……それで?」


 だからなにが言いたいのか。結論を述べないユウに、平時の余裕がなく狭量なアレンは苛立ちを隠そうともせず訊いた。


「それで、じゃないだろ。あの子になにした?」

「——っ」


 そして返ってきたのは意外にも、それよりも強い語調の言葉だった。

 ふっと笑みが消える。細められた目は遊びや不真面目さからは程遠い、これ以上ない真剣な眼差しをアレンに向けている。

 その、普段の彼からかけ離れた圧にアレンは思わず目を逸らし、つい口ごもる。


「来なよ。ここで話すと、みんなに聞こえる」


 そんなアレンを見て、ユウは自室のドアを開けてアレンを部屋に迎えようとする。


「……俺、今から寝るところなんだけど」

「そっか、でも僕はまだ眠くない。地下でグースカ倒れてたからね」

「……」


 一応抵抗を試みるも、とても許される雰囲気ではなかった。意識せず重くなる足取りで、アレンは仕方なくユウの部屋へ入る。

 アレンの隣なので、構造もまったく同じだ。違いと言えば散らかり方だろうか。どうせこまごましたものはインベントリにぶちこんでおけば困らない世界なので、物自体はそう多くないのだが、どうにも取っ散らかっている。床には脱ぎ捨てた服やなにかの容器があったり、なぜだか謎の水滴に濡れているところもある。

 キメラでこれなのだから、現実の自室はもっと煩雑としているのだろう。


「座るところもなくて悪いけど」

「いいよ。下手に落ち着くと、寝ちまいそうだ」


 ユウは後ろ手にがちゃりとドアを閉め、そのまま背を預ける。アレンは立ったままそれに向き直った。


「宿に戻るときも疲れた顔だったけど、今はもっとだね。その顔、マシロちゃんに見せたら泣くんじゃないかな」

「は、ひどい言い草だな」

「大丈夫、女の子を泣かせるほうがずっとひどいよ」

「あ……?」


 不意に棘のあることを言われ、歯に力が入る。睨みつけてやるも、幼女の眼力なんて怖くない、と言いたげに一笑に付されてしまう。


「なにがあったのかは察しが付く。でも、どう考えても駄目でしょ。リーザちゃんは心配して降りてったんだよ」

「んなこと……俺だってわかってるよ。だけど、俺もいっぱいいっぱいだったんだ」

「だから仕方がない、か? そんな風にわざとらしくいじけた顔をするなよ。心まで子どもになったのかよ、アレン」

「……っ!」


——心まで子どもになったのかよ。

 その言葉は、アレンの無意識に少女の見た目に頼っていた甘えを剥ぎ取るのには十分だった。気づかぬうちにそれに依存し、小狡く利用していた。そのことを自覚する。

 転移してひと月近く。アレンの精神は意識せずとも容姿に引っ張られ、幼児的な未熟さのようなものが出ていた……かもしれない。

 ひょっとするとそれも言い訳で、単に元から甘えた人間だっただけ、というのもあり得るなと内心で自嘲する。


 ただともかく、アレンは知らず取っていた表情をやめた。現実から視界を切り離すようにぎゅっと目をつぶり、口を引き結んだ、いかにもつらそうで被害者ぶった、わかりやすい誇張の仮面を。


「……ああ、そうだな。俺は……俺が悪い。感情を抑えきれなくて、子どもじみたことをした。全面的に俺が悪いし……リーザには謝るよ」

「わかればいいよ、わかればね。ホラ、あんまり子どもぶってるとさぁ、元の世界に戻った時に大変じゃん? ハハ」

「ああ……元の世界。そうだな」

「……薄い反応だね。帰るんじゃなかったの? 現実。プロゲーマーのアレンちゃんは」


 ちゃんを付けるな、といつものように言い返す気力は、今はなかった。それにさっきは珍しく付けなかったので、一度くらいは見逃してやることにする。

 そして、今のアレンに現実に帰るつもりがないのかと訊かれれば、それは否定できる。首を横に振れる。

 しかし——


「帰りたいし、帰らなくちゃいけない。……でも、人を撃つのはもう」


 嫌だ。

 心底から、魂から嫌だった。


「ふうん。なるほどね」

「ふうんって、お前……! 人を撃つのが、殺すってのがどんなか……ッ」

「わかるよ。僕も殺したし」

「……は?」


 朝食の話題のように、本当に呆気なくこの男は人を殺したと口にした。それが信じられなくて、アレンはぽかんと口を開ける。

 アレンが悩んでいる、ここまで苦悩してつらい思いを抱えて、行き場のないそれのせいで周囲に八つ当たりまでしているモノをユウは、朝ごはんのパンにジャムを塗るくらいの気軽さで笑って言った。


「ま、一人だけどね。僕のユニークスキルは火力の出せる能力じゃないから、どこかで自分の手で攻撃をしなくちゃいけない。だから隙を見て数度斬り付けて殺したよ。こう、胸とか首を剣でザクっと」

「な……」

「この前バベルで言ったよね? 呪いの鋼鉄剣。相変わらず使いづらい武器だよ、魔物相手でも人間相手でも」


 人を斬り殺す。動かなくなるまで、塵に返るまで、胸や首を斬り付ける。

 それは、引き金の感触しか知らぬアレンよりも、ずっと重くて生々しい殺害の体験だったに違いない。アレンだったら——アレンでなくとも普通の人間であれば、大抵は数日ふさぎ込んでしまうほどの。


「お前は……平気なのか?」


——そんなはずがない。そう思いつつも、訊かずにはいられなかった。

 奪った命の十字架を背負い、それでも立っていられる理由が知りたくて。


「まさか。あれからなにをしていても刃を伝う肉を断つ感覚が忘れられない。きっと何度でも夢に見るし、終生忘れられないだろう」

「だったら、どうしてそんな平常でいられるんだ!」

「決まってるだろ。僕はね、絶対に元の世界に帰りたいんだ」


 それは、アレンと同様の決意で——


「周りから馬鹿にされて、からかわれて。それでも自分の才能を信じて、苦労して努力して、ようやく掴んだプロゲーマーとしての成功なんだ。それをこんなわけのわからない世界に閉ざされてたまるか……!」


——しかしその固さは、アレンのそれよりずっと強かった。


「お前だってそうじゃないのか、アレン! 僕らは同じプロゲーマーで、現実むこうですべきことがあったはずだろ!」

「お、俺は、でも——」

「僕はたくさんあるぞ! リスナーもかなり増えたし、企業の案件だって取れるようになってきたんだ! 今やデジタルカードゲームだけじゃない、もっと広い場で名を知らしめていける! その夢を世界が阻むのなら、人なんていくらでも殺してやる……!」


 そう豪語するユウの双眸には、普段は虹彩の奥に隠されたギラついた輝きが浮かんでいた。清濁ともに燃やし尽くすような、煌々と燃え盛る野心の火だ。

 その火を見て言葉を失う。

 出会って数日、同じ宿で過ごし多くの言葉を交わせども、アレンはアサガミユウという人間のことを今日に至るまで、その心の深奥はなに一つとして理解できていなかったのだと思い知った。飄々とした仮面の向こうには、彼が人生を賭す大きな望みが存在していたのだ。そしてその夢こそが、彼が善悪を超越し、罪科を許容するだけの理由。


 レイブンは<ギルド>の団長として、大義を背負って命もろとも罪を断ち。この男(ユウ)は人生を賭した夢のために、命を散らす罪を踏み越える。

 二人には、敵を塵に変えてでも成し遂げるべき目的がある。

 ……同種のものは、アレンにもある。元の世界に戻りたいと願う理由。残してきたものと、託されたもの。

 しかしそれは、標榜して振りかざすことで、他者の首を掻っ切れるほどのものだろうか。少なくともアレンにとって、その願いは倫理の枠を壊すほどのものではない。願いが弱いというより、道徳を背反することに対する良心が強く拮抗していると言うべきか。


「ユウは、強いな。レイブンも強い。……きっと、<エルピス>の——アンティルも」


 強いのは、心だ。誰も彼も確固たる意志を持ち、罪を犯してなお折れない信念があるのだ。アンティルも、その心情など汲み取れないが、少なくとも言葉を交わして破綻者ではなかった。彼の持つ倫理は一般社会のそれとそうズレてない。それでも人を殺める道を選択しているのだ。

 許されるべきではないし、裁かれるべき悪には違いない。

 ただそれでも、敵ではあっても罪悪感に打ち勝つ強さが、今はただ羨ましかった。


「……それでいいのかよ、プロゲーマー」

「え?」


 芽生えかけた諦め。

 鋼の意志に焦がれつつも、叶わないのだと認めかけて俯いたアレンの顔を、ユウの手がぐっと掴んで上げさせた。体がぶつかるまで半歩程度もない至近距離で、二者の視線が交錯する。


 碧色の両目に映るその男は見たことのない神妙な顔つきで、真摯さ——に加えて、アレンが悩むのとはまた別種のほの暗い小さな罪悪感——が微かに茶色がかった瞳に籠められている。

 ユウは、一瞬だけそれを口にすることを躊躇ったようにも見えたが、それは本当に一瞬で、表情に浮かんだ迷いらしきものは風に吹かれる蝋燭のように掻き消えた。


「許せるのか。知り合った人たちを無惨に殺されて」

「……サトシのことか」

「知ってたんだ。でもそれだけじゃない、合流する前に訊いた話では、その時確認できただけで騎士団と<ギルド>で四人死んでる」

「っ!」


 四人。そのうちの一人が、サトシなのか。

 アレンの頭の中で、残された三人の様子が目に蘇った。

 沈痛を隠せず眉を寄せるリオネラに、地面に蹲るエライに、ただ茫然と潤む目からぽろぽろと雫を零し続けるポラリス。

——許せるのか。ユウはアレンにそう訊いた。

 許せるはずがない。顔を合わせたことはたった二度、親友とは呼べないかもしれないが、友人ではあった。少なくともアレンはサトシのことをそう思っていた。


 見た目は少女で精神は男性という、奇特な境遇のアレンにも壁のない接し方をしてくれた。この前は自分の戦い方を見せてやると言ってくれていた。<ギルド>の一員として、そしてパーティの一人として傍目から見ても懸命だった。

 それを踏みにじる悪を。許そうだなどと、思えるはずがない。

 小さな胸中に発し、渦巻く怒り。

 アレンが抱えるそれとは比にならぬ、数十倍数百倍のそれを、ポラリスたちは自らに刻んでいるに違いなかった。


「いいのかよ。次に死ぬのはリーザちゃんやマシロちゃんかもしれないんだぞ……⁉ 男見せろよ、アレン!」

「ぁ——」


 その発破が、熱の込められた目と言葉が、鋼になれない心を揺らす。

 今日は四人死んだ。中にはサトシもいた。それ以外に三人。副団長になるほどの彼女であればまずないとは思うが、ノゾミも入っているやもしれない。

 アンティルには逃げられた。数は減ろうが、<エルピス>はまだ生きている。

 人死にが続いて、それでも戦いが終わらなくて、犠牲が止められなくて。

 いつかそれで、仲間みんなが死なない保証がどこにあると言うのだろう。


 出会ったときから親身になってくれた、謝らなければならない銀の髪の彼女も。

 記憶と寄る辺のない、素直でひたむきな愛らしい少女も。

 今、目の前に立つ、軽い態度の裏に煮えたぎる赤い野望を隠していた男も。

 今日出会いこれから親しくなるであろう、力はなくとも悪い人物ではなさそうな彼も。

 ジークも。レイブンも。ノゾミも。リオネラも。エライも。ポラリスも。

 彼ら彼女らが今日のサトシのように、<エルピス>に殺されないとは限らない。アレンが手を汚すことに怯えて縮こまっているうちに、斬られ、撃たれ、刺され、嬲られ、跡形も残らぬ塵となっているかもしれない。


 元の世界に帰る。現実に置いてきた心残りと、マグナに託された思いを運ぶ。

 ……それだけでは、殺人を厭わぬほどの覚悟には至らなかった。良心を砕き、捨てさせるにはまだ届かなかった。

 ならば——仲間の命では、どうだろう。


 大切な者たちの命が、天秤に掛けられるとしたら。

 命と命。人々を脅かす悪の連中と、愛すべき仲間の命。それらの取捨を定めるのだとすれば。

 大切な誰かを、失ってしまうくらいなら。


「ああ」


 届く。

 きっと、もう迷うこともなくなる。


「……その返答は——」

「やるよ。俺」


 覚悟が足りないのなら。至らないのなら、今埋め合わせろ。

 仲間みんなの命。失われるかもしれないそれらを守ることは、アレンが抱く、個人的な願いよりもずっと重いはずなのだから。


「悪を討つ。それをもう、躊躇しない」


——黎明、日は昇り。罰を巡るイベントも、地中の鼠を駆逐するたばかりも、町を焼く未曽有の炎もすべて事は済んだ。

 それでも、アレンにとっての夜明けは今この瞬間なのかもしれない。


 暗く長い、迷いの夜を抜け。

 ここに、少女のカタチをした、黄金の色をした一人の鬼が生まれたのだった。

第三章 完

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