第五十一話 平穏が破られる足音
その日アレンは、リーザとマシロと一緒に二十五階層でレベル上げに勤しんでいた。朝からだ。もうすっかり早起きがしみついてしまった。以前の、夜更かし徹夜上等の不健康ゲーマー生活よりは喜ばしいことのはずだが。
ユウは面倒だからと堂々とサボタージュを決めた。元々義務というわけではないから構わないが、せっかく朝は強いのだから動けばいいのにとアレンは思う。それに、「僕が行けばそれだけみんなの経験値が分散しちゃうからね!」ともっともらしい理屈をこねてきたのが若干腹立たしい。
ただとにかく、アレンたちは何事もなく狩りを進め、昼時になったら切り上げてバベルを出た。
アレンのレベルも10になり、二桁の大台に乗る。マシロも4まで上がったそうだ。
こうも熱心にほぼ毎日レベル上げに繰り出しているのは、マシロのことが懸念にあったからだ。記憶もなく、ボーナスウェポンも持たないか弱い少女。ユニークスキルの方はあるとはいえ、アレンのような超人的な射撃能力もないマシロが、低レベルのままキメラを過ごすのはどうしても危険が付きまとう。
バベルを避けようとも、いつゲーム内イベントでこの町が戦場になるかわからないのだから。
そんなわけでバベルを駆け巡り、空いた腹を満たすため三人は町に出て、南に向かった。
どこで昼食を摂るか三人で談義した結果、珍しくマシロが強い主張を見せたためだ。この前リオネラやサトシたちと食べた『しゃっくり鈍器』——どこのゲームから継ぎ接いできたのかわからない、謎のファミリーレストランだ。
「そんなに気に入ったのかあそこ。まあこの町じゃ中々食べられないものばっかだし、気持ちはわかるけど」
「ん……あいす、おいしかった」
「アイス目当てかい」
「いいじゃない、子どもらしくて。だけどデザートの前はご飯も食べるのよ、マシロ」
ならアイス屋の方がお気に召すのではないだろうか。
そうアレンは思ったが、しかしアイス屋なんて見たことがない。基本的な世界観は中世とか近世辺りだ。あの謎ファミレスがおかしいだけで。
<泰平騎士団>のギルドハウスもそうだが、シリディーナの町にたまにある明らかに時代を間違えた建物、ああいうのも一種のバグなのかもしれない。
実質ファミレスが唯一のアイス屋かもしれないというのは、なんとも奇怪な話ではあるが。
雑談混じりに並んで町を歩く。三人並ぶ様は、周りからはどう見えるのだろう。もしもアレンが元の姿であれば、若い夫婦かなにかにでも見えたかもしれない。
だが今のアレンはロリボディもいいところだ。外国の三人姉妹辺りが妥当だろうか。ともかく日本人ばかりのキメラの中で、かなり目を引くのは確かだ。
しかし。この場においては、アレンの方が先に彼に気が付いた。
「——あれ。あいつ……」
雑談混じりに歩いていた足を止め、アレンはその人影に目を向ける。
ちょうど、<ギルド>のギルドハウスに続く通り。シャツを羽織る軽装の、見慣れた男が珍しく表情を引き締めて歩いていた。
「おーいユウ、なにしてんだこんなトコで」
「あ、ホントだ。どうしたの?」
髪を茶に染めた、中肉中背の男性。いい意味でも悪い意味でも気軽で親しみやすい彼は、アレンの呼びかけにバッと顔を上げた。目立つ容姿の三者に気が付かないほどなにかを考え込んでいたのだろうか。
「アレンちゃん、みんな……! 急いで来てくれ!」
「えっ、ちょ、どうしたんだよいきなりっ」
果たしてユウは切羽詰まった様子で、アレンの手を取って引っ張る。見かたによっては通報案件だが、彼がこうも狼狽しているところはアレンもリーザも初めて見る。だから、なにがなんだかわからないが、アレンはリーザを顔を見合わせ、とりあえず付いていくことにした。
「わかったよ。まだ飯も食ってないんだが」
「僕もだよ、後で一緒に食べよう! でも今はアレを見ておくのが先だ……!」
手を引っ張られながら通りを駆ける。ちらりと後方を確認すると、マシロもちゃんとリーザに手を繋がれて付いてきていた。
(なんだ……町が、ざわついてる?)
前を向き直し、周囲に集中するとアレンはすぐその異常に気が付いた。
町を行く人や立ち止まって誰かと話す人、転移者が皆どこか浮き足立っている。表情も硬く、どこか緊張を含んだ面持ちだ。
異変に胸がざわつく。不安が頭をもたげ、嫌な予感は徐々に確信を持って背筋を伝う。
なにせ、ユウに引かれて向かっている方角は——
「広場の方——まさかっ」
息を荒げながら、リーザが呟く。
アレンもまた同様の懸念を抱き、そしてそれらは、広場に着いた途端に避けられない形を伴って現実に現れた。
南の広場。以前目にした東の方とは少し趣が違うそこは、しかしやはりというか、中心には木製の掲示板が立てられている。
そのボードに紙の告知が張り出されていることは、直接は見えずとも周囲の人だかりから容易に読み取れた。
「ゲーム内イベントの……こくち?」
重大な事柄だったから、とうに知識のないマシロにもそのことは伝えてある。
そのこと——つまり、ゲーム内イベントが始まる約一週間前には、シリディーナの場合町の四方に存在する広場のボードに告知が張り出される、と。
「ああ……そうみたいだな。覚えてて偉いぞ、マシロ」
「ん……」
頭を撫でると、マシロはくすぐったそうに金色の目を細めた。猫みたいだ。
しかし、裏腹にアレンの頭の中は困惑でいっぱいだった。マシロを撫でたのも現実逃避のようなものだ。マシロを除き、この場にいる者は皆事の重大さを理解している。一度でもあのゲーム内イベントを体感した者は。
そしてなにより異常なのは、その時期にあった。
「どうして……⁉ 早すぎる!」
脚を震わせながら、リーザが半ば叫ぶように疑問を発露させる。声は出さずともアレンも、そしてこの広場にいる全員がきっと同じ思いだ。
——そう、早すぎる。
<ギルド>のギルドハウス、団長室でレイブンと、マシロや<エルピス>について話してからまだ一週間。前回のゲーム内イベントであった『恐竜襲撃』からも二週間程度、このタイミングでのイベント告知は明らかに聞いていた話と違う。
イベントが月末、そのだいたい一週間前に告知が行われるということだったから、だいたいもう一週間程度早いことになる。
「……考えるのは後だ。とにかく、ボードの内容を見よう」
「あ……う、うん。そうよね……ありがとう、アレンが冷静で助かる」
既に異常事態だが、ともかく告知の内容を確認するべきだろう。
ボードの前に集う群衆の後ろに近づき、なんとか人の隙間から確認しようとする。……リーザは背伸び、アレンはそれでも足りなかったのでぴょんぴょんとジャンプを繰り返してようやく見ることができた。情けないが、体裁を気にしているような場面ではない。
「あ、あれは」
前回の『恐竜襲撃』の際、リーザ、そしてマグナと一緒に確認した告知では、白い紙に子どもが描いたような落書きじみた図が描かれているというものだった。
そして今回も張り出された紙に描かれていたのは荒く、統一感のない線はおよそ美的センスを感じさせるようなものではなかったものの、前回のような絵図面とは異なり、大きく一つのモチーフがあるのみだった。
すなわち——
「鬼……だよな? たぶん」
「うん。私もそう思う、なんか角生えてたし」
ちらりと見ただけで、それがなんなのかは理解できた。
大きな鬼の絵。相変わらず歪んだタッチではあるが、大きく開いた口らしきものと、頭から二本生えているドリルみたいな角からしておそらくは鬼のはず。
だが、それだけだ。鬼だということが理解できても、そこからなにも繋がらない。前回の告知に比べれば情報量があまりに少なすぎる。鬼が描かれているとして、だからなんだと言うのだろう。
「鬼が来る……のか? 今度は」
「一応、レイブンと軽く話した限りはそういう線で当たることになった。ま、他に考えようがないっていうのが正直なところなんだけどね」
さしずめ『鬼襲来』と言ったところだろうか。前回恐竜型モンスター——スリーアイズ・レックスが町を襲ってきたように、今度は鬼のモンスターがやってくるのだろうか。モンスターが襲撃してくる以外のイベントも過去にはあったらしいが……二度続くことも、ないとは言い切れないだろう。
このタイミングで出されたイベント告知だが、この場合もイベントは今日から約一週間以内で行われるのだろうか。それとも開始はもう少し遅れていつも通りになるのか、仮に前者の場合来月からのイベント時期もズレが——
「アレン」
「ん……マシロ?」
思考の泥沼に浸かり始めていたアレンは、いつかのように袖口を引っ張られて我に返った。
隣を見ると、やはりマシロがなにか言いたそうにこちらを見ている。彼女になにか意見があるのか。ひょっとするとイベントについて気づいたことでもあるのかもしれない。幼いとはいえ聡い、理解力のある子だ。
目を合わせ、先を促す。するとマシロは、
「……おなか、すいた」
そう端的に、今の感情を口にした。
「——、お腹……ああ……ご飯、まだだもんな」
確かにアレンも空腹と言えば空腹だ。朝からバベルを動き回って、まだ昼食を摂っていない。
……かと言ってこのタイミングで言い出すのか。思わずアレンは息を吐いて脱力した。あまりに拍子抜けだ。
「ハハ、ま、いいじゃない。ご飯も大事さ。焦っても仕方ないんだからさ」
「そうよ、せっかく四人揃ったんだしご飯にしましょ。お腹が空いてちゃ考えられるものも考えられないわ」
「……わかった。確かに、食べながら考えればいいか」
二人の言う通り、今から気を張っていても仕方がない。
イベントが始まる日にちや時刻は、その時になってみなければわからないの。特に今回はことさら不明瞭だ。
ちょうどよく緊張をほぐしてくれたマシロに感謝しつつ、もう一度その小さな頭を撫でる。指を通るさらさらの白い髪が心地いい。
「?」
どうして撫でられているのかわからない、と戸惑いを秘めた瞳が向けられる。
その疑問には答えず、アレンは先導して例のファミレスへの道を歩き始めた。足取りがまだ軽いのは、その後ろに続く三人のおかげだ。
しかし、平穏を破る足音は確かに背後にあり、少しずつその歩を進めている。そのことだけは誤魔化すことのできない事実だった。




