第五十話 世界で一番汚い滝
「う……食べ過ぎた」
「大丈夫か。どこかで休むか?」
「い、いや、それには及ばない……けど、歩調は少し落としてもらえると助かりマス。ハイ」
リオネラの申し出に、アレンは額を汗ばみさせながら首を振る。
各々食事を終え店を後にした一行は、特に明確な目的地もなく町の西の方へと向かってぞろぞろ歩いていた。まだ日は暮れず、春に似た陽気が地へ注がれる。
そんな中、アレンの足取りは重く、遅かった。遅いのは単に肉体的幼さゆえの歩幅の問題もあったが、それだけではない。
「流石に、あそこからポテトにナゲットまで食べるのは無理があったんじゃないの? アレンてば食べるのは早くとも、食自体は細いほうなのに」
「うぐっ。以前の俺ならたかがサイドメニューの一つや二つ、悠々と食える量だったはずなんだよ……幼女・ストマックを過信しすぎた」
「ナニよその幼女ストマックって」
「あいす……どれもおいしかった。また来たい」
食べ過ぎと、幼少特有の胃下垂により緩く稜線を描くお腹をさする。現実に似たところで食事をしたせいか、つい体が変わる前のキャパシティの感覚で胃に物を詰め込んでしまった。
こんな路傍でリバースする羽目にはなりたくない。青白く血の気のない顔をするアレン。その隣でマシロは対照的な上機嫌さで鼻を鳴らしていた。アイスがよほどお気に召したらしく、ほぼ全種類の味をぺろりと平らげたほどだ。
彼女は彼女で、今夜辺り腹痛に見舞われそうな気はするが。今のアレンに他者を労わる余裕などない。
「ユウさんってクラスはなんなんですか? カードゲーマーの人ほかに見たことないから、あたし気になりますっ」
「クラスは<デュエリスト>。カードゲームで明確にプロ名乗ってる人って案外少ないからねぇ、僕も同じクラスの転移者は見たことないかな」
「デュエリスト……決闘? なんだか、よくわからないクラス名ですね」
「ハハ、カードゲームのプレイヤーはずっと前からそういう習わしなのさ」
歩きながら、ユウに対して質問を重ねるエライ。さっきからずっとこの調子だ。つり目気味の瞳には憧憬らしき感情が窺え、ユウもある種真摯にそれに応えている。口調は普段通りの軽さだが。
そして、その様子を横目にひそひそと言葉を掛けてきたのはポラリスだ。心なしか大きな帽子を目深にかぶり、抑えた声でリーザたちに話す。
「なんだかエライちゃんがおかしいっ。目がキラキラしてるし、珍しく敬語だし。タカビーなの隠そうとしてるよあれはっ」
「た、タカビーってあなた何歳よ……まあ、付き合いまだ短いけど確かにちょっと珍しい感じよね。私は現実世界のユウのことほぼ知らないけど、ファン……リスナー? みたいな感じなのかしら」
「エライちゃん、カードゲームやってるなんて聞いたことないのに。まだポラリスちゃんが知らない一面があったなんて、ううっなんだか悔しいっ」
「見る専……かもな」
「ミルセン?」
アレンの小さな呟きに、リーザとポラリスは顔を見合わせて目を点にした。
「テルペンの話? アレンちゃんもそういうの興味あるの?」
「てるぺん? いや、それはちょっとわかんないけど。見る専ってのは、要は見るの専門ってことだ」
「ゲームはやらないけど……ってこと? うーん、それって本当に楽しいのかしら。ゲームって自分でプレイしてこそじゃないの?」
「あー……MMOだとそういうの、あんまないかもな」
ゲーム性の違いだろう。対人要素の有無やプレイングを技術が占める割合。タイトルにもよるがMMOの場合、他人のプレイなんて見る前に自分のタスクに時間を費やす方が利口なのが大半だ。
「アレンちゃんやユウさんは違うの?」
「そうだな……対人ゲームは特に。俺も、自分でプレイはしないけどプロとか配信者の動画配信は見るって人結構見たことあるし、もしかしたらエライもそういう感じでユウのことをオエッ」
「ああっアレン落ち着いて! 焦って話すと出ちゃうわ!」
「えっ、いきなりえずき出した……ポラリスちゃんびっくり」
アレンは突如足を止めると、口に手を当ててなにかに耐えるように体をびくっと震わせる。
喋りついでに胃の物まで喉から出かかってしまったようだ。強く、ぎゅっと閉じられた両目のまなじりから、さながら枯れた湖底から最後の水が湧くかのように微かな涙が浮かべられた。
別に嘔吐恐怖症ではないが、誰だってこんな道端で食べたものを吐き出したくはないだろう。周りの目もある。耐えるほかなかった。
やがて波を越えたらしく二、三秒ほどで小さな手のひらを口から離し、深く息をつく。
「はぁ……あぶねえ……今マジでワールドリバースするところだった。もう完全に喉ンとこまで上がってきてたね、ポテトサラダが」
「ねえさっきポテト食べたからって、胃の中で結果的に混合物になったものをポテトサラダって呼ぶのやめない? 二度とポテサラ食べられなくなりそう」
「うーん……わりかしまともな女の子だと思ってたんですけどねアレンちゃんのこと。まさか女の子でもなければまともでもなかったなんて」
「もう会話の内容全部吹き飛んじゃったわね。何の話してたんだっけ私たち……」
ポラリスから散々な評価を受け、リーザからは冷たい目線を注がれながらもアレンは額の汗を拭う。その様子に先頭のリオネラは歩を止めないながらも振り返って、無言で気遣わしげな表情をする。が、アレンはぐっと親指を立てて返した。波は越えたので心配ないと。
それから、みんなに置いて行かれないようにと胃を刺激しない程度の小走りで追いつこうとする。
「——ぁ」
「……む」
しかし折悪く、前を通り過ぎようとする路地からぬっと高い人影が現れた。細身気味に見える、男のものだ。
瞬間、視線が交差する。互いに衝突を確信したことだろう。黒い服の背の高い男性、彼は微かな驚愕を目に浮かべつつ、タイミングから避けられないことを察して身を硬直させた。
「わっ」
「……これはすまない。オレの前方不注意だった」
どん、と衝撃が起こる。ぶつかった二者のうち、体格的に弾き飛ばされたのはアレンの方だけだ。勢いよく尻もちをつく。
男性は低い声で謝罪すると、すっと手を差し伸べてきた。顔を上げるアレンの目に、黒髪の彼の顔が映し出される。黒く、そして暗い印象の男性だった。
現実世界のアレンより少し年上、ユウと同じくらいだろうか? 気遣っているような語調でも、声色は妙に響きが薄い。真っ黒い瞳の眼差しは温度を失って冷え切っており、目は開けていてもまるでなにも見ていないかのようだ。
「あ、いや、こっちこそ飛び出しちゃったから……ごめんなさ——」
地味なようでどこか印象に残る、会ったことのない雰囲気の男。しかしとにかく、この場は謝るのが先だろう。路地から人が出てくるなんて思いもよらず、気にせず前を走り出したのはアレンの方だ。
アレンは差し出された手を取り、謝罪を口にする——
「——オエェッオロロロロロロロロロロ」
「うわっなんだこいつ……ッ⁉」
——しかし口をついたのは謝罪だけでなく、吐瀉物もセットだった。
ぶつかった衝撃で胃が揺さぶられたようで、逆流した内容物が開いた口から醜い滝のごとく流れていく。それらはぼたぼたと嫌な音を立てて道端に積もり、胃酸の鼻を突く酸っぱい臭いに微かなバーベキューソース辺りの香ばしさが混じり合って極めて最悪の芳香を放っていた。
「ウッ……ォェッ…………」
「うわぁ……」
ひとしきり盛大なモノをぶちまけると、アレンは涙目になりながら顔を上げる。男性は顔を引きつらせ、言葉も無い風だった。
いきなり幼女がぶつかってきてしかもゲロまで吐き始めたのだから妥当な反応だろう。アレンは妙に冷静な思考でそう思いつつ、すっと手を放して立ち上がる。そして流れるような動作で腰を折り曲げ、深々と頭を下げた。おそらく人生最高のお辞儀だったろう。
「マジすいませんでした」
「あ、ああ……まあ……子どものやったことだし……オレにはかかってないから……」
全力の謝罪を、男性は困惑混じりに受け入れた。寛大な措置と言うより、単にヤバそうだからこれ以上関わりたくなかっただけだと思われる。その証拠に彼は「じゃあ」と目を逸らしてそそくさと大通りの方に立ち去ってしまった。
またどこかで会ったら改めて謝りたいが、しかし向こうはもう二度と会いたくないかもしれない。
「アレンーっ、どうしたの? あんまり遅いと置いてっちゃ……うわっめっちゃ吐いてる」
「あ、リーザ」
中々付いてこないアレンを気にしてか、リーザが声を掛けながらやってくる。道にぶちまけられた汚物を見て眉をひそめた。
視界の端で、遠のいていく男性の背姿がふとこちらを振り向く。しかし目が合うとすぐに顔を戻し、通りの向こうへ歩いて行った。町の中心のほうだ。
「わわ、おリバースしちゃってる。私お掃除するね、『スイングウォーター』!」
リーザの後ろから、みんなも様子を窺いに戻ってきた。中でもポラリスは状況を確認すると、いきなり手から水流を放ち始める。
魔法。アレンもここまで間近で目にするのは初めてのそれは、類まれな魔法職——<魔法士>が扱える水系統の魔法の一つ、スイングウォーターと名称が割り振られたシロモノだった。
水流は弧を描くような軌道で、アレンの吐瀉物を道の端に作られた溝へと洗い流した。下水道が整備されていてよかった。
「悪い、ポラリス。ありがとう」
「いいよー。ついでに口もゆすいじゃってよ」
「ああ、すまなゴボゴボゴボボ」
勢いそのまま、ポラリスの手から放たれる水流がアレンの口元に方向を変える。路傍のアレを洗い流すほどなのだから、どう考えても口内をゆすぐにはいささかパワーが強すぎる。
「……まあ、サンキュ」
「いいよいいよ、アレンちゃんとは友達だもん!」
「……うん」
口元がビッチャビチャになったが、口の中も一応は綺麗になった。なので少し迷ったが、一応お礼を言っておく。
ポラリスのこれが、素でやっているのかどうか微妙にわからないのが恐ろしかった。
そんなこんなで紆余曲折あったが吐くものも吐いてアレンの体調もよくなり、今度はきちんと揃って街を歩く。
途中、リオネラと道具の話題になり、アレンは自分があまり道具を買いそろえてないことに気づかされた。リオネラ曰く、ポーション類はバベル探索の命綱で、他にも状態異常回復の類も店で買える物は準備しておくべきだと。
その通りだ。アレンは素直に感心し、これまでの軽率さを恥じた。その足で道具屋に向かい、みんなで見て回る。ユウも町を出て消費した分を補充するのだと言って、いくつか買い込んでいた。
そこからは流れで近い店で防具なんかも見て回り、サトシの赤マントは店売りではなくモンスターからのドロップ品だとか、そんな話をする。
アレンはふと、空いたアクセサリー枠のことを思い出した。キメラに来て間もない頃にリーザに選んでもらった『硬化の腕輪』。それとは他に、装飾品の類は二つまで効果を発揮してくれるのだから、もう一つ買ってもいいかもしれない。
「アレンちゃん、これどう⁉ すっごく似合うと思うんだけど!」
「え? って、フリフリなの着れるかよ……いやまあ、もしかしたら超強い装備かもしれないけども。でもやだ」
そんな中、ポラリスが肩を叩いて子どもサイズのマネキン人形に着せられた服を示してきた。こういうのはゴシックと言うのか、黒いドレス風でやたらとフリルやレースが付いてコスプレ衣装じみている。
精神が男性のアレンが着るには中々にハードだった。
防具屋に子どもサイズのものがあること自体が珍しい。下手したらアレン以外に買う者などいないのではないか。一応防具屋にあるということは防具の一種として、きちんと防御力も上昇する装備扱いなのだろうが、このキメラではその具体的な数値を確認することは通常できない。
だが、だからこそ見た目を理由に着ないで済む。
もしこれで防御力が高ければ、合理性に基づけば着用するべきだと葛藤する羽目になっていただろう。アレンは今だけ、キメラの不親切な仕様に感謝した。
「ええーっ? アレンちゃんお人形さんみたいだし、絶対こういうのも似合うって! カワイイし!」
「俺はかわいさ求めてないっての。第一スカートなんか履けるか」
「ゲロは吐けるのに?」
「ゲロは関係無いだろゲロは……!」
——結局、この日はそれ以上なにかを買うこともなく、しかし賑やかな一日を過ごし、日が落ちた頃に解散した。




